2024-12-17 Tue : 自分の庭を持つ話?
生活
いがじゅんランチのおそらく 146 回目くらい。子が両親を呼ぶときのバリエーションはいろいろあって、平成初期と今を比べると「パパ」「ママ」がシェアを伸ばしている気がするよね、という話をした。igaiga555 が「短いのは強い」と言っていて、それはそうと思った。「おとうさん」より「パパ」や「ダダ」の方が言いやすいよね。「ちち」「はは」も短いか。『SPY×FAMILY』のアーニャじゃん。 幼少期のぼくは両親のことを「おとうさん・おかあさん」と呼んでいて、中学生のときだったかな、途中から「とうさん・かあさん」に移行したはず。最近は「名前 + さん」で呼ぶことも増えてきた。妹・弟と雑談する中で両親について言及するときは「名前」(呼び捨て)なこともしばしば。だんだんと「親」から「友人」っぽい位置付けに変わってきたのかも。 今日は写真を撮っていなくて、仕方がないので mixi2 の近影をスクリーンショットで。 https://gyazo.com/a60bfa89596e0d647d5fc527d0244612
先週の News Connect の土曜版を見落としていることに気付き、ちょいと出遅れながらも聴いた。宇野常寛さんの新著『庭の話』に興味を持って購入した。宇野常寛さんの早口トークはおもしろいな。会話形式だと、相手に聞かれたことに宇野さんが正面からは答えていないように感じられた。「宇野さんは A だと思いますか?」に対して「はい or いいえ」じゃなくて「それがね、考えていることがあるんですけど〜」とトークが始まっちゃう感じ。 https://open.spotify.com/episode/2SE1ryz0bAzH4XBFCaDKoK
そんで、書籍はこれから読むところなんだけれど、この『庭』というのはぼくにとっての日記や Cosense みたいなもののことなんじゃないか?という感覚がある。書籍を読んでたしかめていきたいね。 @kakutani: じゅーんのscrapboxは私から見れば盆栽というよりもさながらガーデンズ・バイ・ザ・ベイですねえ(すごい) 今日読んだ yuta25 さんの「日記」の話との接続も試みたい。すごく好きな話で、ここの Cosense にもリンクしてくれていて、ありがたい限り。 さらに antipop さんの今日の日記における「詩」や「喩」とはどんなふうにつながり得るかを考えている。「喩」ってのは「メタファー」のことか。ふむふむ。 まだうまくいえないが、言語的な領域をAIがどんどん覆っていくのにしたがい、詩のようなあり方が相対的により重要になっていくように思える。叙情においても、叙事においても。ひとことでいうと「喩」の問題であるといえる。
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