ネットワーク外部性
「ネットワーク外部性 network externality」とは、需要面、すなわちその財を利用するユーザ数の増加、あるいはネットワークのノード数の増加からもたらさられる便益のこと。経済学・経営学の用語で、元々はVHSとベータの家庭用ビデオの普及の分かれ目を説明する際など、情報技術標準の普及を決定づけるロジックとして概念化されたもの。 そして90年代後半以降には、情報経済の勝敗を決めるものとして盛んに紹介されることとなる。(たとえば シャピロ&ヴァリアン「『ネットワーク経済』の法則」(IDGジャパン、1999年)asin:4872803779)。
たとえばMicroSoft社のOSやOFFICEなどの製品が一人勝ちに近いシェアを可能にしたのは、周りの人間もほとんどがそれを使用しているという事実自体が、その製品を利用するユーザ間でのことの価値を高めるからである、といった具合に用いられてきた。
また「外部性」とは経済学の用語で、「ある経済主体の活動が、市場を経由することなく、当事者以外の他の経済主体の環境に(良くも悪くも・便益面でもコスト面でも)影響を与えること、の意。
これとよく併置されるものとして、「規模の経済 scale merit」がある。こちらは生産面、すなわち大量生産によってコストが削減されることを指し、産業社会における大量生産・大企業化のロジックを象徴するもの。
→また、はてなダイアリーキーワード「ネットワーク効果」参照のこと。
東:
コミュニティサービスはネットワーク外部性*1で拡大する。mixiにしてもはてなにしてもそうだけれども、実際には、そのコミュニティは会社が提供するものの何十倍もの価値を持ってしまっている。「他の人がはてなをやっているから俺もはてなを使う」という連鎖が生じていることによって、はてなのサービスは、はてなという会社が持っている以上の価値を持っている。ここにポイントがあると思います。 とはいえ、これはコミュニティ・サービスに限らない。そもそもブランドとはそういうものです。プラダが提供する価値以上に、プラダのバッグは高い値段で取引される。それはなぜかというと、「あの人がプラダを持っているから私もプラダが欲しい」という人間が世界中にいるからです。ただ、このネットワーク効果による収益は、消費者には還元されない。プラダのバッグが売れたら、その儲けはプラダがすべて持っていく(笑)。それがブランド商法の本質ですね。
しかし、そうなると、ネットワーク外部性のメリットを直接享受するのは創業者だけということになる(むろん、ユーザーも間接的には享受していて、だからコミュニティは成長するわけですが)。ところが、はてなアイデアで近藤さんが模索されようとしているのは、それをユーザーに還元するためのシステムだと思います。ネットワーク外部性の効果で成長したサービスがあるとき、その収益を創業者がガメるのではなくて、ユーザーに分配することはできないか。それが近藤さんが考えていることではないか。 そしてこれは、情報社会の設計のうえできわめて大事なことではないか。さきほどの倫理研でも議論になったのですが、mixiがある有名なユーザーを強制退会させた事件があった。もちろん、強制退会は約款的に問題はない。mixiは私企業だからです。しかし、100万人規模のユーザーがいるとき、「いやこちらは私企業だから勝手に誰でもやめさせられるよ」というのは果たして許されるのか。そこでは、「ネットコミュニティを支える私企業の公共性」という、別の問題が生じる。近藤さんは、この「私企業が持つ公共性」に対して大変自覚的だと思います。というより、企業は公共的な存在であるべきだ、という思想がはてなの根底にあるんでしょうね。 これは「ネットベンチャーはもっと公共性に目覚めよ」という道徳的な話でもない。はてなが面白いのは、そこにはてなアイデアなどのシステムを入れたところにある。そこから考えられるのは、ネットワークの外部性をうまく使うことで、むしろ公共性を再定義できないかということです。プラットフォーム・ビジネスは、ユーザーに支えてもらってはじめて大きくなれる。ならばそれに対してリターンを返すのは当然であって、それが新しいタイプの公共性ではないか。 ■ 参考
林紘一郎『ネットワーキング――情報社会の経済学』(NTT出版、1998年 asin:4871885615) 依田高典『ネットワーク・エコノミクス』(日本評論社、2001年 asin:4535552487)