サイバーカスケード
アメリカの憲法学者、キャス・サンスティーンの『インターネットは民主主義の敵か』(石川幸憲 訳、毎日新聞社、2003年。原題は"Republic.com")の中で、インターネットが民主主義を脅かす可能性として語られるキーワード。「集団分極化 group polarization」ともいう。 インターネットで直接民主制が可能になるという素朴なアイデアはよくいわれるが、もし実現するとどうなるか。インターネットでは、付和雷同的に自分と同じ考えの反響を見つけ、同調しあうことがごく容易に可能となる。そして個々人がそのように振る舞うことで、もともと人々が抱いていた主義主張の極端な純化・先鋭化へと、全体的な議論の収束先は向かってしまう。一方、自分たちとは反対側の立場を無視・排除する傾向が強化され、極端な意見が幅を効かせる、ポピュリズム的事態を招いてしまうという危険がある。こうしてインターネット上には、極端化し閉鎖化してしまったグループ(「エンクレーブ ecvlave(「飛び地」の意)」と呼ぶ)が無数に散らばる、きわめて流動的で不安定な状態となってしまう可能性がある。 (類似概念として、世論研究における「沈黙の螺旋」と呼ばれる概念がある。また、このサイバーカスケードという現象自体、一種の「創発」的な現象あるいは「スマートモブズ」的な現象と紙一重――同じ現象をネガティブにとらえるかポジティブに捉えるか――ということができる。) サイバーカスケードと同様のキーワードとして、「デイリー・ミー」というものがある。これはMITのニコラス・ネグロポンテが『ビーイング・デジタル』(アスキー、1995年)の中で典型的に描かれている情報社会像への批判を含んでいる。ネグロポンテは、ネット時代の新聞というのは自分の趣味志向にあった記事だけを的確にフィルタリングしてくれる「the Daily ME(デイリー・ミー=わたし新聞)」に変わっていくという未来像を描く。 しかしサスティーンは、こうしたパーソナライゼーション技術が強化され、サイバーカスケードが頻発していくことで、いままでの民主主義社会における市民が必要としてきた、「思いがけない出来事や他者との接触機会」と「社会的な共通体験(共通の準拠枠、連帯財)」を喪失していくことになるのではないかと警鐘を鳴らす。こうしたサスティーンの主張の背景に一貫しているのは、共和制には直接民主制ではなく適度の熟考と討議が必要であり、「民主主義政治と市民」の関係を「市場と消費者」のメタファーで捉えることは危険であるということである。 またこうしたサイバーカスケードへの対策のひとつとして、極端な意見の持ち主同士がかたよることのないように、「対立する意見のホームページを必ずリンクすること」という「マスト・キャリー・ルール」を提案している。 キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』(石川幸憲 訳、毎日新聞社、2003年。原題は"Republic.com")→asin:4620316601 米国Amazonでの政治関連書籍のおすすめガイドをリンク構造分析し、見事に右派と左派が分化している様を描画したもの。
Political Books -- Polarized Readers -- May 2004
↑この分析についてティム・オライリーがRepublic.comとともに感想を述べたものの日本語訳(by yomoyomo氏)
Political Patterns on the WWW 日本語訳
サスティーンはカスケード現象を学会の学説の流行・隆盛にあてはめ分析し、同様の傾向が見られることを指摘している。
"Academic Fads and Fashions (with Special Reference to Law)" by Cass Sunstein (2001).