fmj
アイデアのおもしろさ=
・[ネタ]×[コンセプト]
知恵を一つと、エピソードを一つ。
1-1. TVゲーム感覚を現実でも
ゲーミフィケーションとか、「画面でキャラが成長する」とか、「継続利用するとお宝なアイテムがもらえる」とか、そういうことではなく。
ゲームの楽しさって、小サイクルのレスポンスがちゃんと回ってることにあると思うんです。例えば、行為に対して効果音が返ってくるだけで、没入感が全然違うんですよね。
一時期、脳トレから始まるDSの勉強ソフトのシリーズで、英作文のものを私もやったことがあるのですけど、一問正解するごとに、
『ワアアァァーッ!』
という、歓声を浴びているかのような効果音が入っていた。もともと、レベルに合わせた簡単な問題ですから、負荷はどうということもない。
そうすると、「よっしゃ、つぎ来い!」という気持ちで、どんどん解きたくなります。
「ゲームで勉強」ってずっと馬鹿にしてたんですけど、「あ、これはいいな」と素直に思った。
⇒「情報に踊らされると、情報社会では苦しいよね」という話を書いていますが、
同時に、
ところで、この↓連作エッセイ企画は、いきなり5本とかの記事を書きためないといけないので、順番が先の人ほど、打順を振られた瞬間が大変になります。それまでは隔週に1本とかのペースを守って書いてきたわけだから。
前の方に来ているのは、主宰さんから見て、
そういう無茶なお願いを聞いてくれそうな、気心の知れた人で、かつ、
そういう無茶な原稿でも書けてくれそうな執筆体力のありそうな人
だったんだと思います。
で、私は3番目。(そこそこ信頼されていたことが分かりますな)
で、その結果できた打順の妙。
先頭ののりさんは、割といつもの(それまでの)fmjの記事のテイストに近いものを書いてくれました。
で、2番手の蓮花さんが、「エッセイ」としての完成度の高い記事を書いてくれて、この企画全体の方向性を読者に示してくれたと言えるでしょう。
で、3番の私の後ろにはまだまだ、安定感のある書き手さん達が連なっています。
なら、3番手は、色物を試したり、逆張りで大きいのを狙ったり、変化を付けることを色々と試せるタイミングではないでしょうか。
やりがいありまくりでしたね。
ー【いっきDay 5】ー
育児してると、「日常の断片」「身辺描写」が色々とたまります。スケッチのように。
結構みずみずしくて価値があると思うんですが、蓄えすぎても、鮮度が落ちて使い物にならなくなるんですよね。
なんで、そういうものを集めて一本にしたような話を、5日間の中でどこかでやったらいいかな、ということは、企画で使うネタを整理しながら考えてました。
何種類か構成は考えていたと思いますが、できれば、こういう爽快な読後感のある作品を最終日に持ってきて、前向きなピークエンドの印象でこの連作全体を読み終えてほしい、という気持ちはありましたね。 ー【いっきDay 4】ー
下の、宿題のさらに子ノード。言わば孫。
で、あると同時に、「後ろ向き」(ネガティブ)テーマでもあり、「ごく個人的なルーツやコアの露出」という自己開示内圧を抜くための回でもありますね。 ー【いっきDay 3】ー
記事の始めの部分でも書いていますが、これは以前の記事を書いたときから頭の中にはありながら、後に回していた内容、いわば宿題です。
エッセイweekの中でわざわざやらなくてもいいわけですが、間が空きすぎるのもよくないと思って、少しそれをやる枠を作りました。
ところで、「【いっきDay 3】」という分類記号って、分類として分かりやすくするには、メインタイトルのしかも先頭でコールしてる方が分かりやすそうですよね。
でもまあそこは、「主としてサーチエンジンで検索され、ストックとしても機能する情報で、時間がたてば単品として読まれることの方が多くなる」もの、という意識でブログ記事をとらえていたので、あえてサブタイトルの方に落としています。
ー【いっきDay 2】ー
下の説明で書いている分類で言えば、後者ですね。後ろ向き。
「そんなん、できるか! がおーっ!!」
いや、子育てってつらいわけです。そんななか、それに正対していながら、いつも前向きでいるって、さらにきついわけです。
でも、苦しみのコアな部分は、どうしても癒されずに残ってしまうんですよね。愚痴を愚痴として吐けないと。それを、この機を流さず、やっているんですね。
ー【いっきDay 1】ー
fmjの連作エッセイ企画。こういう「新シーズン企画」は、主宰ののりさんから提案されることが多いのですが、その「枠」を提示されたときに私が考えたのは、「よし、普段のfmjでは書きにくかった思いを吐き出すチャンスだ」ってことでした。
要素に分解するなら、
ハックや知恵にならない精神的なこと
お客さん受けの悪そうな、後ろ向きなこと
で、このDay 1は前者ですね。
メッセージだけを、ぶん投げる。単なるエールで、単なるアジテーションです。でも、そんな形式だから出せる思念の形もあるんですよ。
⇒実はこの企画、ひとこと質問を投げて、メールで回答をもらったものを、加工して記事にしています。
会話や対話の機会があったわけじゃありません。
それをなんとかかんとか、fmjスタッフを視点キャラにした「ライブ感(主人公感立ち)」と、短く分断した「会話感」を出そうと苦闘して作り上げています。 途中、
「と、いうことは、〇〇ということですか?」
という合いの手に対して
「はい。(以下、本題に戻る)」
の、『はい』だけでも創造したい欲望にかられましたが、なんとか、一切、その種の『創作』をしないで仕上げたんだったと記憶しています。
私のリアクション芸(心の声)と、見出し(による分割効果による)リズム感だけで編曲しています。 褒めてくれ、この職人技を!
要するに、書き手の頭の中に流れている論理構成を読み取って、その起伏を効果音やBGMで強調していく、という、そんなイメージなのでございます。 わたしが構成してもちゃんと「いっき」カラーが出てそのキャラ立ちが好き٩(•౪•٩)〜♪♪▷家計のお悩み、FPさんに聞いてみた!【①資産運用編(担当:いっき)】 fmj-jp.info/?p=8588 ⇒私の絵と作文をいつかネタとして消化(昇華)したい、というのがむしろ内圧として直接のきっかけよりも強い力としてありました。 ⇒内容に関する言及があり、主従が転倒していない
⇒そういえば、この記事を書いているときに、「ノンタンは、商業的に成功していることもあって、その表現が芸としていかに凄いかがあまり語られていない気がする」という動機もあったんだった気がする。
だから、「絵をうまく描く方法」というのを思いついたとき、たとえそれが「初心者のためのおすすめの方法」だとしてもなお、“語るべき場面”というのはなかなかないものなんですね。
初心者が「初心者向けの方法」を聞きにいくのだとしても、やはり達人からそれを教わろうとするからね。
それでも、「育児チャンネル」としての文脈を持った場でなら、かろうじてそれが可能になる、という例。
⇒さらに、「保育雑誌のキャラクターの可愛さ」とか、
⇒そもそも、「保育雑誌なんてものがあるということ」に、子育てでもしないとなかなか気が付かない。そんな驚きもまた、この記事を書いた原動力でもある。
そういう複数の、動機や制約を重ねて合わせてアイデアを作り出す。 これをひねり出せたときは嬉しかったな。
一つには、重さ(情報の理屈っぽさという意味でも、人格の暗さという意味でも)を、どこか笑い飛ばしている感じが出せること。
それと、こういう「知恵」的なコツというのは、結論だけ聞いても応用が利かせにくいはずなんですよね。そこに到達するまでの思考過程もちゃんと聞いてもらう方が、本当はいい。
でも、そこを記事の初めに置くと、結論までたどり着いてもらいにくい、サービスの聞いてない文体になる……、というところで、
結論の後に、「1セクション」として、それを書く場所を作る。
で、さらに言うならば、アイデアが生まれる瞬間って、たいてい思いついた理由が複数あるんですよ。
で、この記事の書き方なら、
①実際の冒頭
②このコーナー
③編集後記
と、最大3種類も、理由や経緯を書けるんですね(笑)
「育児×ライフハック」。そんなコンセプトが(おそらく)あったであろうのが、当時のfmjです。
ただ、私としては、「Googleカレンダーで夫婦のスケジュール共有」みたいなのだけでは、本当の苦労や苦しさのコアの方に触れることができていないのではないかと感じていて、そこらへんのカウンターバランスになることで、私もメディアの役に立てるんじゃないか、ということを考えていました。