2023/06/01-2023/06/06
▷とはいえ、リーダー性のない、マネジメント専念なオペレーションに徹することは、本人もバーン様も、求めちゃいなかっただろうしなあ。
▷ある種、ボトルネックの後行程みたいに、「待機していること」を価値として見出せる方法がないと困るよな。
「手を動かしていれば仕事をしている」「頭を動かすことが真に生産的」「職場の空気を人知れずよくしていた人」の価値に続いて、急ぎの仕事を取って出して流すために待機してくれた人、を。
⇒「いや、そこをうまく差配して、急ぎの案件を先に、影響に余裕のあるものをあとに判断して実行するのが、仕事をするということだよ」という意見も作れるけど、それは代わりにバッファーを多めに積んでいる業務が割りを食っているということだろうし、限界がそもそもある話だろうしな。
⇒さらにいうと究極、「フリーランス、何もしていないと収入がゼロになってしまう問題」に行き当たるだろうけど。
▷☔️えええぇ?!
▷まあ、一番やって欲しいのは保育園の待機児童0で、その次はもう、大学無償化なんですよね、現金とかではなく。
⇒なんなら、児童医療費無料とかですらなく。
▷(求ム)中高生が毎日はいても、臭くならないスニーカー。手入れ不要、一足はきつぶしでも、雨に降られても、臭くならない! 的な。
▷よく、嫌な雑念が湧いて仕方がないときに、思考を緩めたくてお酒を飲んだりするけど、本来雑念を抑えるのが前頭前野の役割なら、それは逆効果なのではないだろうか?
▷「薄まる」なるほど。
いい記憶もうまいことランダム再生されるといいですね。
BGMとかやけ食いとかと合わせ技のほうがいいかもしれないですね。
▷「〜〜……💢」
「ええ〜。じゃあ、そういうときは、丸まったまま洗い、丸まったまま干してくれー」
「。わかった、そうする」
という会話をしたことはあったな。
▷仮にそれでどれか一足が、うまく汚れが落ちなかったとしても、また次に同じものを洗うときに、たまたままた、それを広げ損ねるという偶然もそうそうないので、総体のアベレージとしては十分にきれいな状態で回っていると言えるじゃん、くらいの感覚で生きているし生きていく。
▷まあ、自分を他人が雑に扱うことを、自分で許可していくことで、自己尊重感が切り下がっていく問題はあるけど、そんなことよりはそれで配偶者が怒りをぶつけてくることのほうが精神に悪影響じゃ。
▷かといって、10回に1回くらい、行動がゆきとどかないことがあるのを、1000回に一回レベルまで所作に神経を通して暮らしていく、なんてことは、ムリ、ゼッタイ。なので。そこは仕方ない。
▷いや違うか。
“できるとできないの間に、できるけど疲れるがある”
てことだな。
そういうものは、数を増やせないんだよ。
▷何かをしている最中や、何かをし終わった後に、人から見てどう見えるか、次に使う人、次に使うときにどう思われるかを意識して行動する、は疲れすぎて、一日にたくさんは無理。
▷不機嫌になりたくはないんだけど自分じゃそれを止められないから
どうしようもなくて他人との会話をシャットアウトしちゃう
本人も「できることなら不機嫌モードから抜け出したい」って思ってるはずだから
不機嫌から意識を逸らせるようなものを用意できるといい
甘いものとか近くにそっと置いておくと
子供が社会の勉強をしている。
そうすると、たとえば「各県の県庁所在地を覚えているかテスト」というか大会というか、クラスキャンペーンみたいなものができて、それなりにうちの子も熱心に取り組んだりする。
ただそこで、「この丸暗記って意味あるか?」とは、非当事者の傍目八目なら、すぐ思ってしまう。
暗記や勉強が不得意だったり嫌いだったりすれば、当事者だって、「こんなことやって、何になるの?」と思うだろうし。
うん、なんなのだろうな。
大人ですら、全部の都道府県に対して、カルタ状態に県庁所在地を即応で答えられる人はまれなんじゃないかと思うのに。
一応、2つの方向からの回答がある。
一つには、シンプルにテスト対策ということ。「それを知ってたからといって、その地域の地理的情報全般に詳しいとは限らない」のは真だとしても、「それすら知らないのなら、その地域のことについて、熱心に学んだ時期はその人にはなかったのだろう」ということもまた、他人から見れば蓋然性が高いから。
また、勉強法的な視点で言えば、そういった直接に論理でつながらないような情報は、暗記項目として腹をくくって覚えるほうが効率が良い場合すらある、というのも理由になりえるだろうか。
別方向の視点は、「先にポケットやアンカーを作っておかないと、日常的に流れる情報が機会として活用できなくなってしまう」こと。
たとえば、流しっぱなしにしてるニュースから、「○○市に大雨が降りました」という声が流れてきたときに、その市の名前が、日本地図上のどのあたりなのかがその瞬間でわからなければ、その情報はおそらく脳内にストックされずに流れてしまう。
暗記させられた時点では、無味乾燥なカルタだったとしても、それが最初にあることで、
「あれ、そのあたりの地方って、ついこの前も別の大雨が降ってなかったっけ」とか、
「えっ、その市って、この前大きな空港を作ったところじゃなかったっけ。大丈夫なのかな」とか
日常的な情報がリンクしたものになっていくための、最初のあじろぎになってくれるかもしれない。
そういった意味で、「知識があることでものの見方が深くなる」的な現象や、「関連する知識があるほうが学習はしやすくなるから、知識習得は複利で効いてくる」的な現象の最初の一歩は、そんな暗記から始まってもいいのかもしれない。
その後の人生の価値の上昇という観点では。
ところで、“あじろぎ” という杭はあなたにありましたか。
まあ、そこに紐付けたかったというよりは、「そこに堰き止められてたまる」というイメージを借りて、比喩を作りたかっただけなんですけどね。
粘土を押したら粘土がへこむような恋愛ってあるわけない。どうしたって無我夢中で努力しちゃうし、そうしたら感謝どころでなく承認されたいなるわけだし。
相手が自分といて楽しそうだとしても、相手は自分の作った上っ面を見ているだけじゃんとは思うだろうし、バタ足をやめたら自分は沈むんじゃとも思ってるだろうし。
氷の城壁
そして、最近追加されたのは、うちの小3長男ですね…。なんか…年中のときにできた彼女(転園直前にラブレターで告白してくれた)と、なんだかんだまだ続いている…。車で30分くらいの距離の遠距離恋愛…。お父さん同士が頑張ってデートをセッティングしているらしいよ。
年長者からすると「40歳ぐらいで何言ってるんだ」という感(笑。運動とメンテナンスが不足してるだけだと思うよ。/「人間、40歳になると急にガタが来るよ。メーカーの保証期限が切れた感じ」という呟きを以前見たが、本当だな→「修理に出しても治らない」 togetter
複数のパターンがあり、それを取りまとめるメソッドがあり、その実践を支えるツールがある、というような構図でノウハウを捉えてみる。
ルサンチマンというのかはわからないけど、今の自分を引き受けていないから目につくものにイラつきっぱなし、ということがあるのだろう。
⇒望んだわけではない、押し付けられた、選ばされた、搾取されている……。
おそらく基幹システム部分とユーザー利用の端末開発部分は分割して調達公募かけていると思います。金融系システムも分かれてたので。
一括調達の方が統一した設計や、仕様情報の共有ができたりというメリットがありますが、ベンダロックが発生しやすく、結果高値になるというデメリットもあります。
Twitterの「誤解されないように過剰に防衛的に予防線を張っている文章」に慣れると、たまに本を読んで「読んでいる人間のことを信じている文章だ……」と感動する。
私には漫画が刺激的過ぎて普段は避けているから、そのせいで推しの子がレジェンドにみえるのか、それとも実際レジェンドなのか本当は区別がつかないのだけど、こんな濃厚なコンテンツ体験は本当に久しぶりで何と比べたらいいのかわからない。漫画は、単位時間当たりのエモーションが青天井でおそろしい @twit_shirokuma: 推しの子では、推すほうも推されるほうも輝いているじやないですか。もちろんそこにリスクはあるけれども。ナルシシズムって、本来そういうもの。負けず嫌いになれるのもナルシシズム。悪いことはかりではない。人を、推しを耀かせるのがナルシシズム。そういうのが真正面から伝わる作品でもある @twit_shirokuma: 推されるだけでなく、推すのもナルシシズム。それらを通して人は輝くし、誰かを耀かすこともできる。それは社会的生物としての人類のポテンシャルだ。一人ではできないことを可能にする可能性もナルシシズムにはある。独りよがりの唯我独尊に陥るばかり、ではない。 「人間、40歳になると急にガタが来るよ。メーカーの保証期限が切れた感じ」という呟きを以前見たが、本当だな。急に性能が悪くなる。そのくせ修理に出しても「もうこの機種は作ってないから、部品がない。今あるやつを騙し騙し使ってください」とか言われるんだ。たまらんよ。
身体だけじゃなく、精神も急に何かに見放された感覚になる。以前子供作った知人が「急に肩の荷が降りたよ。誰かに耳元で「君は役割を果たした」と言われた感じ」と言ってて、そんなもんか、と思ったが… 多分この逆だ。誰かに耳元で「君はもう時間切れだ。死のうが生きようが勝手にしろ」と言われた感
「お前なんか生きようが死のうがどうでもイイよ。数のうちに入ってないから」という、誰かの声に抗い続けるのが、中年が生きるってことなんですよ。たぶん。
若い方々にRPGについて伺うと概ねポケモンかスマホのガチャRPGの話になり、ドラクエやFFについてはほとんど挙げられない。今後はドラクエやFFを一般的な例として使っていくべきか悩んでいる。
「俺はすごいぞ」程度なら鼻につくくらいですが、「私は世界の真実を知っています」系だとちょっと引いちゃいますね。
複数で並んで歩いてる人たちは狭い道でも避けてくれない傾向があります。〈避けようとすると「身内」を横に押しやるか、自分が横に並べず後ろに回ることになり外れてしまうので、それよりは知らない人に不便を掛けるほうが気が楽〉という演算を瞬時に行い、後は「身内」にだけ意識を向けてるようです。
「夏が来れば思い出す」の「来れば」は、已然形。
未然形なら、「夏が来ば思い出す」かな。「思い出さむ」か。
天照大神は古来からの神ではないだろうな。海洋系の氏族神だつたのではないか。壬申の乱のこの氏族の功績で天武天皇が持ち上げただけに思える。
「亡くなる」と「無くなる」と「失くなる」は大和言葉では同じ。漢字があると意味が細分化された感覚が定着する。こういうもの唐心(漢意)であろうな。あと、「失くなる」は常用漢字表にはない。
雨が降り続ければ、長雨と思い、「ながめ」の響きに「ながめせしまに」と口をつく。あるいは、口にしなくとも、「わが身世にふる」の感慨はある。日本人が日本語のなかに生きるということ、人生の長雨に結びつく情感を大和言葉の伝統に知れず調和してゆくこと。
年取って、へーと思うことの一つは、今のお婆ちゃん俳優・タレントの十代相貌をよく覚えてて、なんつうか、面影と重ねて見てる。
ああ、そうなんだ。批判ではなく、任侠はそもそもカルトだと僕は思ってた。
任侠って、はみ出しものだからこそ、擬似家族形成するのでは。つまり身分保証。
ハリウッドがいかに利益優先でワンパターン化しているかという批判記事pastemagazine.com/movies/intelle…が面白かった。それで消滅したのが「中予算の人間ドラマ・10代向け恋愛映画・ファミリー映画・アート的映画」て、それ逆に日本の映画館で予告編見たらなぜか大量にあるやつじゃんwっていう感じするな(続
すごい
かわいい
やったー
擬音語(ぺこぺこ、ぼうぼう)
だが、狂人がすべて先覚者ではないからな。
なんかで「日本の武士はモンゴルの短弓に射程で負けて苦しめられた」みたいなのを読んだが、モンゴル側は「日本の長弓の射程に負けて苦しめられた」みたいな話を聞いてしまい
当時のモンゴル側の記録で「うちの盾貫通するやんどうしよう」みたいな記述があるので両軍射撃戦でどん詰まりしてた模様
旋回して第二攻撃をかけると待ち構えていた対空砲が一斉に撃ち返してくるので、やらない。脱出したら悪名高い日本収容所が待っている。ラジエターやエンジンに1発食っても硫黄島まで帰れなくなって海水浴が待っている。
当時の日本側の兵隊は「米軍機は我が物顔に飛び回り、対空砲なんてちっとも当たらなかった」と回想していますが、お互いにビビりまくって対戦していたわけです。こういうのは片側の戦記だけ読んでもわかりませんね。
@uchujin17 生還した米兵が盛るためにピンチを語っている可能性はないですか?
@Ryoma1983 それもあるでしょうね。なのでいわゆる戦記ものの回想は字面通りには受け取れないと思います。しかし「実効性・定量的な損害は別にして、兵隊はどう感じていた」というのもまた事実の一面でもあります。
フィリップ・ジョンソン゠レアードは、論理的推論について新しい理論化を試みた。彼は、人間はルールに従うのではなく、既知の情報を用いて心的に一貫したモデル =メンタルモデルを構成し、そのモデルを吟味することにより思考を行っていると主張する。ここで「心的に一貫している」というのは、前提の間の一貫性だけではなく、既に知っていることとも矛盾しないという意味であり、「モデル」というのは主要な情報がもれなく意味的関係で結びついているという意味である[26]。
一般に、中間団体とは労働組合や商工会、農協、地域団体などのことを指します。リンドはその地域で大きな政治力を持つボス的存在の人物の重要性も語っています。ボスはその地域の利権の保全やその配分に大きな役割を果たし、ブローカーのように振る舞います。インテリは、こうした地域のボス的存在を前近代的な村社会の遺物だと受け取り、非常に嫌います。しかし、彼らが地域の利権を守り、調整を担ってきたことで、その地域が広く潤ってきたことも確かです。
リンドは地域を疲弊させるグローバルエリートより、地域のボスのほうがよほどマシだと言っています。
中間団体は本来、国家と個人との間に挟み込まれたクッションのようなもので、それによって、個人は国家の専制的な権力から守られますし、自分の意見を政治に反映することもできます。
それがなくなってしまうと、個人は寄る辺を失って国家に依存し、従属するほかなくなります。そこに到来するのが全体主義です。
それはそのとおりだと思うのですが、しかし、国家と中間団体との関係はもう少し複雑で、必ずしも拮抗関係だけではありません。たんに拮抗力としての中間団体を再生して多元主義を実現するだけなら、国家は多様な利益団体に引き裂かれてバラバラになってしまうでしょう。
つまり、本当に多元主義を実現するためには、多様な中間団体が自律的に存在して国家と拮抗すると同時に、それらが同じ1つの国家の下に統合されていなければならないという、矛盾した両面が必要だと思うのです。
「多元性」と「多元主義」は同じではありません。多元主義というからには、さまざまな意見の対立はあっても、それを最終的には統合して、全体が機能するようになっていなければならない。
リンドは本書で、トランプをヒトラーのごとく見なす傾向を批判していますが、これは確かに正しい。くだんの見解はトランプへの過大評価であり、同時にアメリカが抱える危機への過小評価です。
トランプが真に独裁者の器で、専制支配を確立できるんだったら、ある意味、まだいいんですよ。真の問題は、民主主義と権威主義の間にあるアノクラシー(不完全民主主義)の状態を回避できるか。
アノクラシーになった国は、最も内戦に陥りやすい。そして「ポリティ・スコア」という評価基準にしたがえば、トランプ政権末期のアメリカはアノクラシーに陥りました。
多元主義は、対立せず共存するための共通理解、凝集力が必要となる。典型的には言語や文化がその役割を果たしていますが、エスニックカルチャーといったリベラルが容認できない要素が絡むと問題は難しくなります。
リベラルな民主的社会の基盤にはナショナルな文化やアイデンティティの共有が必要だというのは、リベラル・ナショナリズムと呼ばれる理論です。これは近年では、むしろカナダやオーストラリアの多文化主義者たちから支持されています。
多元性を尊重すればするほど、それを1つのネーションを統合する共通文化の必要性が、よりいっそう切実になるわけです。それが自然に存在しないなら、教育を通じて人為的につくり出すしかないとまで彼らは考えています。
利害や価値観が異なっても、同じ歴史と運命を共有する仲間なのだという同胞意識があってはじめて、対話したりお互いに譲り合ったりしながら利害を調整することが可能になります。そうでなければ、どうして見知らぬ他人のために俺がゆずらなきゃいけねーんだという話にしかならない。
労働者階級出身のロック評論家デイヴ・マーシュ。彼はこの時代の若者文化を「パンク(不良)」と「ヒッピー」に分けて論じました。パンクは労働者階級に属し、ヒッピーは中産階級に属します。
両者は何が違うのか。中産階級のヒッピーには、社会を全否定できるだけのゆとりがあるんですよ。ところがパンクの場合、社会の崩壊はすぐ自分の懐に響いてくる。貧しく抑圧されているのだから、反抗するのは必然としても、社会への尊敬もまた必然だった。リンド風に言えば、まさに「拮抗力」が働いているのです。それも内面で。
ロックはこのような反抗と尊敬の葛藤から生まれたのですが、人気が高まって大金が動くようになると、どうしても中産階級化、つまりヒッピー化が進む。尊敬なしの反抗に走ってしまったものの、これでは長続きしません。
かくして1970年代前半、ロックは停滞に陥るのです。当の状態に活を入れた「パンク・ロック」が、アメリカ以上に階級格差の際立つイギリスで生まれたのも偶然ではないでしょう。
その意味でパンクの精神にこそ、対立と葛藤を統合に導く多元主義の基盤が見出せるかもしれない。現にロックンロールは、貧しい白人の音楽であるカントリーと、黒人の音楽であるブルースが融合したもの。エルヴィス・プレスリーが「黒人の音楽性と、黒人の感触を持った白人」と位置づけられたのは有名な話です。つまりエスニックの枠を超えている。
ただしアメリカには、管理者エリートへの抵抗が広まるのを阻害する要因もあります。『怒りの葡萄』で知られるノーベル文学賞作家のジョン・スタインベックいわく。
「なぜアメリカには社会主義が根づかないのか。この国の貧しい人々は、自分たちを搾取に苦しむプロレタリアートではなく、一時的な不運に見舞われた億万長者だと思いたがるのさ」。ボロを着ていても心は管理者というわけながら、これでは階級闘争になりません。
大戦時にも、社会主義者は階級闘争がネーションを超えると思っていましたが、結局、階級の絆よりもネーションの絆のほうが強く、ネーションのほうが階級を超えてしまいました。
そういう意味で、ネーションには階級闘争を緩和する効果があるといえる。だからこそ、ハゾニーやリンドがいうように、多数のネーションが併存・共存する世界を目指すべきであり、グローバリズムによるネーションの境界の取り払いは望ましくないと思うのです。
トクヴィルの議論に基づけば、こうした中間団体は専制的な中央権力を抑止する上でとても重要なので、是が非でも維持しなければならない、となるはずです。
ところが、日本の学者たちは、トクヴィルが言っていた中間団体とは「自由で自律的な市民からなる自発的結社」のことであり、アソシエーションと呼ばれるべきものであって、日本の村落共同体や農協、商工団体などは当てはまらないなどと言うわけです。つまり、中間団体には「良き中間団体」と「悪しき中間団体」があって、日本の村落共同体や農協などは「悪しき中間団体」であり、極端な場合はこれらを解体しても構わないということになるのです。
中野:実に馬鹿げた解釈ですね。それを言うなら、いま問題になっている旧統一教会やその関連団体だって自発的結社と言えてしまいますよ。
教育改革」が30年間、延々と続いていますが、そこで言われているのは、俗に「知識偏重」と言われる、過去から受け継がれてきた知識を教えるだけの教育をやめて、グローバルな時代に対応できる自由な「個性」や「主体性」や「思考力」を育成すべきだというようなことです。
ところが、その新しい教育を受けた世代が、大人になって、旧い教育を受けた世代から何と言われているかというと、「いまの若い人たちは主体性がない」と(笑)。「主体性を育む教育」を受けたはずの世代が、かわいそうに、上司に指示されないと何もできない「指示待ち人間」などと呼ばれて馬鹿にされてしまっているのです。
最近も『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(東洋経済新報社、2022年)という本が話題になりました。「目立つ」ことや「浮く」ことを恐れて、集団のなかに埋没したがる。
「改革」をしたからこそ、こうなったのではないかということは、考えようともしないのです。私自身は、教育はあくまでも過去の知識の教授に徹したほうが、かえって子どもの主体性や思考力を育めるはずだと思うのですが、誰も共感してくれません。
⇒教育はそうかもしれんが、入試と成績は多少考える必要がある
『ナショナリズムの美徳』で、ハゾニーは国民国家を「帝国」の反対概念と位置づける。ネイションの枠を尊重するか、それを越えた覇権を目指すかの違いです。で、国民国家の長所として、帝国主義的な征服に価値を見出さないことを挙げました(同書第14章)。
しかるにハゾニーは同じ章、それもわずか9ページ後の箇所で、国民国家であったはずのヨーロッパ列強が、アジアやアメリカ、アフリカの人々を征服するという点では帝国主義的だったと述べています。ならば国民国家であることと帝国であることは対極に位置するどころか、何の矛盾もなく両立すると見なければならない。
現在起きているのは、グローバリズムとトライバリズム(部族主義)によって、ネイションが引き裂かれる事態なのです。議会襲撃の直後、ワシントンの議事堂には州兵が入って警備する事態になりました。南北戦争以来のことと伝えられますが、あれはアメリカが分裂の危機に瀕した戦争でしたから、事の本質を表しています。「ナショナリズムを唱える者ならネイションを肯定するはずだ」という考えは、甘い幻想として捨て去らねばなりません。「反グローバリズムはトライバリズムへの道」が2020年代の真実です。
民主政治とは、簡単に言うと「みんなで話し合って物事を決める政治」のことです。それでは「みんな」とは誰のことか。「みんな」が誰かを決めなければ話し合いは始まりませんが、「みんな」の範囲を「みんな」で話し合って決めることはできません。
この点を追究するのが「政治秩序の哲学」です。先ほど述べたように、国民国家の範囲は歴史的経緯の中で決まったのであって、自律的な個人の合意や民主的手続きなどによって決まったわけではありません。
これに対して、ハゾニーは、現在の秩序には明確な根拠はないけども、いまのところバランスがとれているのだから、この秩序を維持していこうと考えます。いわば「暫定協定」として政治秩序を守ろうとするわけです。このような思想は保守主義と言っていいと思います。
ただし国民国家という「暫定協定」には、論理とは異なる無意識的な基盤があります。つまり神話。神話とは、無意識の願望を言語化・物語化することで、意識的に共有できるようにしたものです。多分に偶然によって成立した国民国家の枠が、こうして「必然的なもの」と見なされるようになる。暫定協定の永続化が図られるわけです。「神話を学ばなかった民族は例外なく滅ぶ」とは、アーノルド・トインビーの名言とされる言葉ですが、神話が共有されればネイションはまとまり、共有されなくなれば解体する。
アメリカだと、リンカーン像などが非常に神々しく作られていますね。また、ジョージ・ワシントンが子どものころに父親の桜の木を傷つけてしまったことを正直に告白した話が語り継がれています。あの話自体はつまらない訓話ですが、国をまとめるにはあの手の神話が必要なのでしょう。
歴史的に見ると、ネイションは30年戦争という宗教対立が終わったあとに台頭しました。当時のヨーロッパ人は神学論争やイデオロギー対立に疲れ果て、精神的安定を欲していました。そのため、イデオロギーや階級対立を超えて人々をまとめるネイションが求められたのです。ネイションが神話のようにフィクショナルなものだとしても、人々はどうしてもネイションを必要とするのです。
⇒同じ種から生まれ、同じ心の原風景を持っていると感じられる人々の集団。
両方の要素を取り込んだ新しい「暫定協定」を作るしかない。2020年代は、ネイション(国民)とステート(国家)をめぐる新たな神話が必要とされる時代なのです。
私もそう思います。グローバリズムとトライバリズムの両方を意識し、どちらか一方に傾くことなく、うまくバランスをとることが重要です。
アメリカは世界中の国々をリベラル化することを使命とし、そういうリベラリズムをナショナル・アイデンティティーとしてきました。そのため、国力がどれほど落ちこもうが、中東にも首を突っ込まなければならないし、ロシアにも首を突っ込まなければならない。ミャンマーにも首を突っ込まなければならない。自らのアイデンティティーを強調すればするほど、オーバーストレッチになって自滅する構造になっているのです。自分で自分の足を食ってしまうようなところがあるわけです。
しかし、だからと言って、この使命を放棄し、トランプ支持者たちのようにトライバリズムを進めていけば、それはそれでネイションの崩壊を招きます。
一時期「あっ」とか「えー」とか「えっと」とか意味の無い発音(fillerってやつ)が気になって狂いそうになってしまい、自分の発言からfillerを抜いたんだけど、俺が話すと変な空気になるようになった。ほぼ100%意味がある言葉だけで話すとうまく行かないみたい。友達同士なら大丈夫だけど会社だとダメ
「あっどーもーお疲れ様ですう〜◯◯です、一点質問いいですか?」みたいなほぼ意味の無い言葉(話してるのは明確に俺だし質問が断られるわけがないタイミングで話してる)を抜いていきなり質問するとシンッ…………って静かになるからヤバかった
この24時間に23区民970万人が出した糞尿は、ほぼ未処理のまま河川・運河に垂れ流されました
これが合流式下水道に住むということです
23区分流式下水道エリアに住む人の糞尿も、汚水管が合流式の下水管に接続されているので、垂れ流されています
なるほどー。。。
しばらく川辺には近寄らんとこ 確かにかんがえてみればそうよな
雨の影響もあり、しばらくは土手沿い走れんなぁ
大腸菌とか以外にも、体内から排出された医薬品やホルモン系も垂れ流しになってるということなのだ。
オリンピックでお台場を競技場にするとき問題になった奴の原因。構造的だから大雨振ったら終わります。
台風の後しばらくは多摩川や荒川の下流はサイクリングロード近寄らない方がいい説あるよね。流された糞尿が河川敷の地面にばら撒かれて乾燥すると粉末となって風で舞い上がるとか何とか。
何回か雨が降って洗い流されたあとに遊びに行く方が良い気もする。