子供が社会の勉強をしている
そうすると、たとえば「各県の県庁所在地を覚えているかテスト」というか大会というか、クラスキャンペーンみたいなものができて、それなりにうちの子も熱心に取り組んだりする。
ただそこで、「この丸暗記って意味あるか?」とは、非当事者の傍目八目なら、すぐ思ってしまう。
暗記や勉強が不得意だったり嫌いだったりすれば、当事者だって、「こんなことやって、何になるの?」と思うだろうし。
うん、なんなのだろうな。
大人ですら、全部の都道府県に対して、カルタ状態に県庁所在地を即応で答えられる人はまれなんじゃないかと思うのに。
一応、2つの方向からの回答がある。
一つには、シンプルにテスト対策ということ。「それを知ってたからといって、その地域の地理的情報全般に詳しいとは限らない」のは真だとしても、「それすら知らないのなら、その地域のことについて、熱心に学んだ時期はその人にはなかったのだろう」ということもまた、他人から見れば蓋然性が高いから。
また、勉強法的な視点で言えば、そういった直接に論理でつながらないような情報は、暗記項目として腹をくくって覚えるほうが効率が良い場合すらある、というのも理由になりえるだろうか。
別方向の視点は、「先にポケットやアンカーを作っておかないと、日常的に流れる情報が機会として活用できなくなってしまう」こと。
たとえば、流しっぱなしにしてるニュースから、「○○市に大雨が降りました」という声が流れてきたときに、その市の名前が、日本地図上のどのあたりなのかがその瞬間でわからなければ、その情報はおそらく脳内にストックされずに流れてしまう。
暗記させられた時点では、無味乾燥なカルタだったとしても、それが最初にあることで、
「あれ、そのあたりの地方って、ついこの前も別の大雨が降ってなかったっけ」とか、
「えっ、その市って、この前大きな空港を作ったところじゃなかったっけ。大丈夫なのかな」とか
日常的な情報がリンクしたものになっていくための、最初のあじろぎになってくれるかもしれない。
そういった意味で、「知識があることでものの見方が深くなる」的な現象や、「関連する知識があるほうが学習はしやすくなるから、知識習得は複利で効いてくる」的な現象の最初の一歩は、そんな暗記から始まってもいいのかもしれない。
その後の人生の価値の上昇という観点では。
ところで、“あじろぎ” という杭はあなたにありましたか。 まあ、そこに紐付けたかったというよりは、「そこに堰き止められてたまる」というイメージを借りて、比喩を作りたかっただけなんですけどね。
本当は、ちはやふるほうの歌にそういう名詞が何かあってほしかったけど、仕方ないね。
rashita.icon二つ目の観点のやや俯瞰的なアレンジですが、「最初、"こんなことやって、何になるの?"と思っていた経験が、後になって何かしらの役に立つことに気がついて、自分の"こんなことやって、何になるの?"という感覚を相対化できる(可能性がある)」というような効能もあるのかもしれません。
ikkiTime.iconすごい遅効性ですね。まずは、一回何かが役に立ってもらわないといけないという。