2023/02/11-2023/02/20
好きは推すのではなく、隠すもの
一時的に止まると、さらに感情の域水準が上がって、よほど強烈な感情でないと、アウトプットしようとしなくなってしまう。
プロフェッショナルを後から見た
能力は掛け算
うちあわせCast 121
もっと賢いGoogleがやってくると思ってたんですけど
⇒とはいえ、他者からのボトムアップが全くないと元気がでない。
・論理は訓練しないと使えない(道具だから)が、使い始めると便利(道具だから)
雑多な情報を無くしたくない、後で見つけたいということのためにしかノートを使わないというのであればEvernoteが1番いいと思う
面倒なツールは広まらない
面倒じゃないツールはそもそもその役割を果たさない可能性が高い
どんなツールを使うとかどんなノートを取るのか
という話で盛り上がるわけですけど、正直どうでもいいんですよね。
手を動かして自分でノートを作ることを日々やっていくかどうかということが1番コアなポイントで
ツールによってやりやすいとかやりにくいは変わってくるでしょうけど
ツール選びに明け暮れている暇があるんであれば、ともかくノートを書いたほうがいい。書き終えたノートについて自分で考えて、書きかたそのものをアップデートしていくということを続けることがおそらくセカンドブレイン的なもの。
⇒手間をかけたほうがエピソード記憶になるし、身体化というか、半タンジブルになりやすい。
⇒自分の内側から出てくる気の散りかたを抑えるためのにぎやかさはあってもいいかも
ボタンを押すとエディターの開くっていうスマートフォン
・アップルのメモ帳
・入門としては
習熟が難しいツールは何かを始めるまでのスパンがすごく長くなってしまう
ノイズが少なく、すぐに使い始められて、何回も気軽に使えるツールであればあるほど望ましい
・アナログノート
→量が増えたら探る
・習熟で身体化と、アウトプットで再構造化
歌メロが(サビですら)全くキャッチーでないのに、ギターがカッコいいからキラーチューンになっているというロック好きのための音楽。
⇒そう、ボーカルパートよりもギターパートのほうが、フレーズが格好いいくらいなんだよな、あの曲、『あのバンド』。
それだけに、弾いてみた動画(……、三井さんのとか)で聞いて、ギターパートの音量大きめでミックス(?)されていると、なんか本家よりもかっこいい音像になっていないか? と感じる。忙しく踊り続ける右手もずっと映っているし。 わたしが個人的に日本のアニメについて面白いと感じるのは、日本のアニメ作家や漫画家の人たちは決して当初から「グローバル展開」を考えてこの素晴らしい文化を生み出したのではなかった、ということです。スタート地点からグローバルのマーケットに狙いを定めてやってきた韓国の音楽や映画・ドラマとは、そこが決定的に異なっている点ではないでしょうか。
ここで注目すべきポイントは、日本のアニメが世界の人々のすべての層に受けているというわけではない、ということです。
一般のスーパーにくらべれば、値段はかなり高め。しかし紀伊國屋などと異なり、成城石井は「富裕層向け」とは打ち出していません。金持ち相手の高級スーパーではなく、「少しスペシャルな食事を」という時に使うお店だと定義しているのです。
成城石井ではワインはおおむね1000円〜2000円台、またチーズや総菜は、1000円ぐらいで収まる価格帯になっていて、これらはいずれも街のフレンチビストロと同じ価格帯にしてあるとか。つまりお手軽なビストロに食事にいくぐらいの気持ちで、かわりに成城石井でチーズや生ハムやお総菜、ワインを購入し、家飲みする。
渡世の人であり社会のアウトサイダーである寅さんは、人に教訓を与えるというよりは、むしろ触媒的な役割を果たしているのではないでしょうか。彼の存在が周りの人たちを近づけたり、団結させたりするのです。
また、ある意味で寅さんは社会の「生け贄の羊」的な役割を担っているのかもしれません。彼はリリーさん(浅丘ルリ子)と結婚しそうになりますが、決して結婚はしませんね。それが彼の運命なのです。その状態はもしかすると彼にとっては不幸なのかもしれませんが、逆に誰かの役に立ったり、誰かを幸せにしたりしている面がありそうです。
だが、各国の高齢化率(65歳以上の割合)とランクインアーティスト数の相関を見れば、その仮説はあっさりと棄却される。逆に、高齢化が進んだ国ほどランクインアーティスト数は多い傾向を見せる(r=0.48:中程度の正の相関)。ただし、日本だけが例外(外れ値)だ。
こうした結果を見せるのは、欧米など成熟した国ほど、高齢化と同時に文化的な多様性も進んでいるからだ。
念のために、ランクインアーティスト数とひとりあたりの購買力平価GDP(※1)との関係も確認すると、やはり中程度の正の相関(r=0.44)を見せる。だが、ここでも日本は外れ値となる。
以上のことから、日本のポピュラー音楽の停滞は社会の高齢化や経済水準とは関係がないと考えられる。言い方を変えれば、先進国のなかで日本だけ異様に多様性が乏しいのである。
⇒まあ、特典で複数枚のCDを買わせるのは論外だとしても、属人性を薄めて、よさげな曲ならなにが流れても好き、という楽しみかたを推奨するの、はどこまで正義を言い張れるだろうか?
⇒個人的には、新しい人を探しもするけど、「おっ」と思ったら、今度はその人の過去作品を縦掘りしたい。
客単価を上げて売上を維持しようとしたものの、結果的にそのことによって停滞を招いたケースとしてあげられるのは映画産業だ。1960年代前半に急激な斜陽をした映画産業は、オイルショック前後の1970年代に急激に窓口料金を上げて売上を維持しようとした。が、それによって一層の客離れが進み
ただし、映画産業が撤退戦であるとするならばそのかぎりではない。
多くの人々は自分の性的指向やその日の心の状態など極めて個人的な情報にかんしては秘密にしています。
ですが会話型AIならば、人々は自分の悩みや不満を打ち明けてくれます。
会話型AIはユーザーの会話内容を記録する機能を搭載しているため、既存の情報収集とは比較にならない精度のマーケティングや監視が可能になるでしょう。
ただ中国経済にかんするネガティブな回答とは、スタンスが全く異なると言えるでしょう。偉大な指導者であり改革者が指揮する国家の経済が衰退傾向にあるのは奇妙な話だからです。
そのためか幾つかの海外メディアでは、この部分の回答を「事前に設定されていた回答のように思える」と評しています。
もっとも会話型AIに何らかのフィルター機能を備えるのは、現在では常識となりつつあります。
問題はそのレベルです。
炎上につながる発言を慎むのは当然ですが、常に安全な言動しか行わない相手を、人間は信頼できません。
政府の見解と一致しない全ての発言を検閲した場合、そのAIはもはや会話型AIではなくプロパガンダを流すラジオと同じです。
その表象が「女性の主体性が発露された結果としての(良い)露出」なのか、「客体として消費される(悪い)露出」なのかの判定は不可能じゃないとしてもとても難しく、確実なのはそれを判定する人に巨大な「権力」を与えることだけだ、という話をそういえば『中央公論』五月号に書いておりました。
自民政治がそうだということは、日本人の一般的な風潮がそうなんだということ。そういう風潮が変わらないことには、政治も変わらない。それが民主主義。時間はかかるが、社会を変えるよう努力すること。そうすれば、自分の孫、ひ孫の時代に変るでしょう。ノンビリ待つのがいい。
結果として全然喋れなかったんですけど、それはそれで良かったなと思ってる部分はあるんですね。
当時言っていたことを今読むと、今の自分につながるようなアイデアや着眼点は変わってないんだけど、でもその後積み重ねた「地味に色々やってみた経験」の裏打ちがないから、あのまま「何に対してもちょっと鋭くて面白いことを言える人」みたいな感じで売れてたりしたら相当今ヤバいことになってただろうなと思ってたりする(笑)
30代前半って、「尖ってみせる」と結構簡単に評価してもらえるから、上昇気流を捕まえようと思えば捕まえられるんだけど、それって案外世の中の側からすると
「評価してるふりをしてるけど実はある程度以上に真剣に話を聞いてもらえているわけではない」
…みたいな袋小路的現象に追い込まれがちで、これはほんと凄い警戒しておいたほうがいい部分はあるような?
「若い人をチヤホヤしてあげる自分」に酔っているだけで、実は本気でその意見を聞く気はない年上のオジサン(いや女性もいるけど)・・・って結構やっかいだからね。
そうやって「世の中に絡め取られない」ためには、ちゃんと自分なりの納得を積み重ねるペースを崩さないことが大事で、必死にアピールするというより、むしろ「蓄積が隠しきれなくなった時に世の中から発見される」ぐらいのペースである方が、本当の意味で「社会」に対して主導的にアクションを起こしていける場合が多いと思う。
繰り返すけど、20代〜30代で凄い追い風を捉えてバカでかい成功を掴んだタイプの人は、気にせず行ける限りアクセルを踏み込んで突っ走るのが最適解だと思うんですよ。
でもそういうふうな成功はしなかった普通の人は、「中途半端なチャンス」に飛びついて世の中にがんじがらめにされてしまうよりは、着実に積み重ねていく道を選んだ方が最適解である事が多いと思います。
仕事関係でも…たとえばもう10年ぐらいの付き合い(といっても実際に仕事してるのはここ数年ですが)のウェブ編集者がいるんですが、彼は彼なりの「自分自身のしごと」として僕の記事をやってくれてるんで、そこの信頼感がかなりあるんですよね。
その「信頼感」があるから、彼が彼のペースで納得行くまで原稿を直したりそのための調べ物をしたり…っていう部分で凄い時間を使っていても、「まあ彼がそう言うなら自分の人生にとっても意味があるってことだと信じよう」みたいな感じで乗り切っていくことができる。
家族関係でも、他人から見ればイビツな関係に見えても、お互いにとっての欠乏を埋めあい、得意な部分を提供しあっているならそれこそが「完全な関係」なんだ、っていう発想が必要だと思う。
夫婦関係とかで、「大学時代の恋人とかがこんなこと言ってきたら”はあ?”って思うけど、一緒に人生過ごすと決めたこの人がどうしても必要だって言うんなら、まあそりゃ受け入れて生きるしかないよな」みたいなことは結構あると思うんですよ。
その分自分も、相手に受け入れてほしいワガママを、この人には受け入れてもらおう・・・っていうある種の「下心」も込みでね。
アメリカは「世界一の富豪」レベルのスターに対して大量の人がフォロワーになって大きな変化を起こす社会って感じですが、日本の場合は世の中に無数にいる普通の人が、ちょっとずちょっとずつ「自分たちなりのリーダーシップ」を発揮して社会の連動性を高めていくしかない。
そういう意味じゃあ、今後の日本社会においては、目覚めた中年世代の間の適切な高速バケツリレー方式みたいな感じで、丁寧に時代に合わせた転換を起こしていくことが、どうしても必要になってくるんだろうと思います。
若い世代からの「グローバル」な突き上げと、上の世代の「古い日本」との間を取り持って、適切な場合分けと適切な話のツナギ方を
文章を添えるのですが、それを書くことで私自身の心が整理されていく感覚があります。
Gitの場合はツールがメッセージを要求してきますし、メールであれば「礼儀」や「節度」という社会的な感覚が文章の必要性を喚起します。どちらも自律的な動作とは言えないでしょう。他に促される、つまり他律的な動作です。
この点をとっても、「個人の自由を最大限尊重し、やりたいようにやらせれば何もかもうまくいく」というのが甘い考えだとわかります。確かに人のやる気を支える上で「主体感・コントロール感」(エージェンシー)は重要ですが、そこに他律感が合わさることで、全体がうまく調和するのでしょう。