2023/02/21-2023/02/28
これこれの期日までに、指定の予算内で、こういう利得を生み出すための打ち上げを成功させる。上記条件を全て達成できたら成功、それ以外は失敗とする。と、初めに定義して呼ぶなら失敗だろうけどね。
それにしても、プロジェクトが失敗したのであって、打ち上げが失敗したんではないわな。
目的は手段を正当化しない
むしろ、強者が弱者を制する口実に使われがちなんではあるんだよね。
しかし、ルール無用にしたら、強者はもっと強者になる。
銃社会だからパワハラが少ない論法なら、DVする夫が妻に射殺される事件ってすごく多いのか?
ぼっち・ざ・ろっくを見始めた流れ
確か、このツイートが、ツイッターアプリのおすすめタブの、博士課程とかで出てきたんですよ。
博士課程に行く理由
で、「なんだろうこの漫画」「えらくストレートなセリフだな、るろ剣みたいに改変かな」とから思いながら、そのセリフ(「絶対いやだ! 働きたくない!! 怖い! 社会が怖い!!」)を検索して。アルのサイトからコミックのタイトルを調べて。
で、その後Kindleでコミックを買ったのが10/17。(2巻のだけど)
このツイートが、アニメ2話の放映(10/15 24時〜30分)の30分後くらい。
で、3話からは予約録画の設定をしているから、その1週間くらいで色々動いている。
しかし、不思議なことに、コミック1巻Kindleの購入日は2020/7/10で、つまり積んでいたことになる。なんで買っていたんだろう。セールにでもかかっていたのかな?
3巻購入10/20、4巻購入10/29。
きらら4コマでこれだけコミックでおもしろいって、そんなにない気がする、とかいうと火力強すぎだろうか。何かを褒めるのに、他を貶さなくてもええやん、って。
「生活保護や社会保険とか、そんなものは必要ねぇ」という考え方で、弱者に対する目線がむちゃくちゃ薄いのが特徴なんです。
特に今の40代、1970年代生まれぐらいの起業家たちって、就職氷河期世代なんですよね。就職氷河期で、就職しようにもぜんぜんできなくて、その中でもがき苦しんで起業して会社を大きくしてきた人たちなので、生存バイアスがすごいんです。
一方で「テクノロジーけしからん」「江戸時代に戻れ」みたいな人もいるわけじゃないですか。そういう人も、やはり弱者のことは気にしていないわけです。特に高齢富裕な人が「みんなで貧しくなればいいのよ」と言うんだけど、みんなで貧しくなって最初に死ぬのは弱者です。
あなたたちは田舎に別荘を持って、貯金もたんまりあるから死なないかもしれないけど、そんなことが言えるのは金があるからだよね、というか。
⇒「貧しくなればいいのよ」
なぜか女言葉w 間違いなくあの人のイメージが頭の中にある。別にあの人だけが言っているわけじゃないし、“女の人一般”がそういうことを言いがち、ってわけでもないだろうけど。
京都に永観堂というお寺があって、そこに「見返り阿弥陀」という有名な振り返っている仏像がある
もう1個彼が言っていたのは「100人を超えると文房具をちょろまかす奴が現れる」。要するに、お互いの友愛関係で仕事をやるんじゃなくて、「会社はお金を稼ぐ場所」「自分ごとではない場所」としか捉えなくなる人が出てくる。残念ながら、人間ってそういうものなわけですよ。
そこで、古典派経済学がイメージしているような「自由に行動すれば、利益を追求する行為によって全体のバランスが取れる」ということではなくなるんじゃないかな、という結論に達せざるを得ないのかなと思います。だから、少人数のチームで成立するDAOはありだということですね。 財前:制度や仕組みって、けっこう経路依存症だと言うじゃないですか。過去に縛られるのがすごく強い気がします。
佐々木:そうですね。それはありますね。
財前:「ずっとこうしてきたから今までのやり方を捨てられない」みたいに、それが最適化されているじゃないですか。それが捨てられないから、DXだと言われても、なかなかそっちにいけないのはありますよね。
佐々木:本当はプロセスを変えればいいんだけど、プロセスを変えるのが嫌だからロボット化みたいなことをして、プロセスはそのままでIT化する。そういうことをしちゃっているから、なかなか難しいですよね。
だけどあの頃、ちょうど同時に水俣病とか公害問題がすごく悪化していて。テクノロジーがあまりにも進化してしまうと、逆に社会にとって悪いことが起きるよねという反省点が、当時万博の裏側でメディアですごく語られていたんです。
確かにあの当時は「科学技術が進みすぎると、一方でネガティブの効果がある」という話は間違いではないというか、極めて正しかった。「科学技術が人を幸せにするわけではない、逆に不幸せにするんだ」という話が、50年経った今も根強くメディアの空間の中にしがみついています。
新聞・テレビ・出版の人に会うと、みんな「テクノロジーは人を幸せにしない」とか言いたがる。この構図はすごく強いかな。だから、メディアの影響はけっこう大きいんじゃないかなとは思います。
SF映画を見るのが好きで、今でも1970年代、1980年代のSF映画を見ると思い出すんだけど、当時のSF映画の中で描いていた未来世界でいうと、今でいうSDカードみたいなチップを何かの機械に挿して音楽を聞く、というふうになっている。
当時はレコード大きかったから、それがどんどん小さくなるというイメージはあった。ところが「クラウドに入る」というイメージは誰もできなかったんですよね。
佐々木:みなさんの家にもスマートスピーカーってありますよね。「Hey Siri」と聞いたりとか、「Alexa」と言うと電気を消してくれるやつ。あれも今はスピーカーという「物」だけど、もはや別にスピーカーである必要はないわけですよ。
そのへんにスピーカーやマイクが埋め込まれていて、宙に向かって「Alexa、明日の天気」と聞いたら、宙空から「明日は晴れです」と返ってきてもぜんぜんかまわないわけです。そうすると、テクノロジーがどんどんバックヤード化して見えなくなっていく。
デバイスが消滅していくというのが、たぶん未来なわけですよね。つまり、どんどん抽象化が進んでいるわけです。抽象化が進んで物じゃなくなっていくのが、日本人には理解できない。日本人にとって(テクノロジーは)“文房具”なんですよ。物だと思っているから。手先、手の延長みたいな。
だから、Excelを標準化のための技術として考えないで絵を描いちゃったりするのは、そういうことなんじゃないかなと思います。すべてが文房具扱いなんですよね。たぶんこれが、日本人が今のテクノロジーについていけない1つの要因になっているのかなと。
みんな職人気質なんですよね。江戸時代からからくり人形とかを作っていたじゃないですか。我々の民族にはああいう血が綿々と流れていて、細かいものを一生懸命作るのは好きなんだけど、抽象的なプラットフォームとか概念を生み出すのは非常に苦手なところはあるのかな。
抽象化して見えなくなってくることに対する漠然とした不安みたいなのが、「怖い怖い」になっているんじゃないかなと、個人的なイメージとして考えているところではあります。だから、対策方法はないです。
⇒自分の手の延長ではなく、個人を超えた仕組みそのものに価値があって、そこに自分が紐づけられる感覚。うん、いやだね。
⇒だけど西洋人、それは、「これは神を作り出そうとしていることではないのだろうか?」という種類の恐怖はないんかね。
サルゴンの法則
サルゴン(王)の名前を持つ、反ポリコレユーチューバー。西洋側でサルゴンさんがポリコレ勢力にこの法則を見つけ出したので。
1994年のピーク時には全国で6万か所以上あったガソリンスタンドは、いまや3万を切るまでに。人口がまばらな地方では死活問題で、近所のガソリンスタンドが廃業してしまって遠くの町まで給油に行かなければならなくなったという話はよく耳にします。
自宅に充電設備を設置すれば、この問題は解決します。
航続距離180キロというのも、ほとんど問題にはならないでしょう。
用途は通勤や近所のスーパーやコンビニでの買物、さらにはゴミ出しなんてのもあります。本当に田舎になると、ゴミステーションが自宅から数百メートルも離れているというのは珍しくありません。
対人コミュニケーションにおいて、「得意科目なんだった?」系の話は、強力な人間の属性分けだ。キャラ付けだ。何の科目が得意と示すかで、どんな奴と思われるか、そのイメージがちょっと決まってしまう。
「現代文が得意」っていいよな。
「英語が得意」「体育が得意」に比べるとハッピーオーラが少ないので鼻につかない。
「数学が得意」「音楽が得意」「美術が得意」あたりに比べるとフレンドリーで取っつきやすい。
「社会が得意」「理科が得意」はちょっと置きに行き過ぎてるモブキャラ感がないか。
「技術が得意」「家庭科が得意」「情報が得意」はモブにも程がある。
「総合が得意」「道徳が得意」なんて答えたら異常者だ。
「休み時間が得意」「給食が得意」で笑ってくれるのは自分のおばあちゃんだけだ。
ここまで書いてきた文章に、「現代文が得意だった僕」のすべてがある。
現代文が得意というのは、少なくとも僕にとっては「状況判断のうえ、もろもろを逆算し、求められているものを先回りして感知し、その場で最も都合のいい解答を叩き出す、浅ましさを持つこと」と同義だったのだ。
僕の現代文の解き方はシンプルだった。
①解答用紙のサイズと問題文から、採点基準の個数を逆算する
②問題を解きながら、採点基準をいくつ満たしてるか数える
③解き終わった時点で自分が何点か正確に分かる
この3点だ。
なんだか、浅ましくないか。なんか舐め腐ってないか。ただただ「問いに答える」「試験を受ける」という営みを斜めから見て、一番コスパよく点を取ることだけを考えたやり方じゃないか。
考えたくもないが、認めたくもないが、恐らく、「現代文が得意」な僕が本当に優れていたのは、地頭でも論理力でも感性でもない。
相手を舐め腐り、斜めから見て、雰囲気や顔色を察知し、最大公約数的に好かれやすそうな振る舞いを選ぶ「家畜ごっこ」のスキルだったのだ。
【与太話】西洋古代では,大地が球形であることがほぼ常識となっていたのに古代中国では平面説が有力だったのは何故か?これ,あまり誰も言わないのですが,ギリシャ人と中国人で南北の到達点の緯度が凄く違うのですよね.これだけ南北に移動していると昼の長さや影の長さの緯度差を認めざるをえない.
古代ギリシア人は海の民・交易の民で、船に乗って広く移動した。それに対して古代中国人は陸の民・農耕の民で、大地の上に居続けた。
これも東西の地形の差かな。東は陸地がドーンとあって、西は複雑な海岸線がニョロニョロしてる。
住んでる世界の「南北・東西の対比」という話題だと名著『銃・病原菌・鉄』を思い出しますね。
あちらは技術の伝播スピードの差を大陸内の気候差に求めた話でしたが。
(似た気候を持つユーラシア大陸では農業ノウハウ等が全域で使い回せて人口爆増に超有利だった…という話)
色々なご感想があるようですが地球の丸さは低緯度帯を南北に移動してもあまり感じられません.太陽の影の長さの変化は太陽高度が低いエリアで顕著になります.同様に昼の長さも高緯度帯で顕著に変化します.ギリシャ人の北極圏への接近が重要なのはそういう事情です.
縦軸:影の長さ,横軸:太陽高度
自分のために取っていたノートが、AIが残した情報を保存するためのノートへと代わってしまう。このとき誰が主体なのかはかなり曖昧です。ミームとしての情報が主体で、人間はそれをただ保存するだけの存在に成り下がる、というと大げさですが、それくらいの変容がやってくるかもしれません。
いわゆる「知的生産」においても、個人がほとんど「頭を働かせる」ことなく、AIのアウトプットを整形してはい終わり、なんてことに
でも、だからこそ、意図的に自らの意志を持ってノートを使うことを捨てたくないな、という気持ちが私にはあります。別にAIに抗おうというのではありません。何かしら自分の「領域」を守りたいという気持ちがあるだけです。でもってそれが「自由」に生きることではないのかと、個人的には思います。
理科が本当に大嫌いです。 中2になって化学反応式などがでてきました。 それから本当に何もかも嫌になってしまいました。 なんで石灰水に二酸化炭素が加わると白く濁るの? なんで有機物を燃焼したら水や二酸化炭素ができるの? など疑問点が沢山あります。 これを塾の先生に質問してもそういう詳しいことは3年生で習うからまだ気にしなくていいと言われモヤモヤな気持ちのままなんです。 なので理解が深まらないというか…。 何がどうなったから二酸化炭素ができる など明確な根拠が自分で分かればこれは正解だ!と思えるのですがそういうのがまだ分からないので本当にあってるのかな?と不安に思い、そういう物が沢山あるので自分の勉強不足を感じてしまい嫌になり勉強する気がなくなります。 分からないだらけでもう何が分からないのか分からない状態です。 どうしたら理科を好きになれますかね?
TodoアプリにTodoを入力できる人間はTodoアプリを使わなくてもある程度自己管理ができる
⇒色々と似たようなネタを思いつけそうな。