2023/01/11-2023/01/20
#採掘場
成長物語のはじめのほうが好きだ
集中に過剰な気合いが必要なモノ
暗い気分になるモノ
疲れる
いつでもアルバム1枚分の時間があるわけじゃないし、
知的生産をしたくない人にさせることはできない
元々の貧しいアウトプット煽りは、
出荷したくない人でも出荷させるという意図があった。実際、人は生きているだけでコストがかかるし、学習するにも追加コストがかかる。しかもそれがけっこう楽しい。
でも、それらをまかなう稼ぎはなかなか楽しくないし動機がない。
Twitterが私の中で滅ぶなあ。心への衝撃がけっこうでかい。やれやれ。
← 2023/01/01-2023/01/10 / 2023/01/21-2023/01/31→
https://note.com/rashita/n/n7d702c088241
もちろん、こうした言葉が問題なのではなく、それをどういう意味で使っているのかが問題で、「インプットだけでなくアウトプットしていこう」とか「情報発信で世界を変えよう」といった言説において、それぞれがどういう意味なのかをしっかり考えていこうよ、というのがたぶん私が主張したいメッセージだったのでしょう(書いてから気がつきました)。
自分から何かを出せばそれだけで「アウトプット」と言えてしまいますし、どんな情報であれそれを発信したら「情報発信」と言えてしまいます。よって、「アウトプット/情報発信すれば〜〜になる」という言説は非常に危ういのです。
すると、為すべきはアウトプットの言い換えよりも先に、「アウトプット」の再考なのでしょう。その言葉において何が含意されているのか。
https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/20160306/1457284309
「死」という要素をドラマのため、物語のために利用する。それは鉄血に限らず数多のフィクション作品において行われていることです。しかし、そこにはやはりなにかしらの歪さがある。その歪さを、歪なままに描いた上で、歪であるという自覚(のようなもの)も同時に描く。それがおそらく鉄血の選んだ方法であり、物語に対する誠実さの1つのありようなのではないでしょうか。
(いやまあ個人的好みで言えばなんぼなんでも悲劇の一個一個が「劇的」すぎねえかってのはあって正直そこら辺好きになれねーんだけどね。ただその「劇的」さに対するエクスキューズの誠実さは好感が持てます、という話)
https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/20160306/1457270008
そもそも映像作品における演出効果の大きな役割の1つに、見ている者の感情をいかにコントロールするか、という側面がある。カメラワークや音楽、照明効果により、見ている者を不安がらせたり期待させたり、悲しませたり喜ばせたりする。それが映画の演出だ。にもかかわらず『Gレコ』では、視聴者の感情誘導を放棄しているようなシーンが非常に多い。
https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/20150608/1433757131
元来ドラゴンボールは「子供の世界」だった。海では亀やイルカが喋り、山奥の農村では村人が牛魔王に恐れをなす。世界的犯罪組織のメンバーに超能力者はいるし、聖地の高い高い塔のてっぺんにはネコの仙人様がいる。そうしたファンタジーな設定が極々自然に受け入れられた、大らかな世界観がドラゴンボールの世界だった。
それがサイヤ人編以降、世界観は急速に変調を来していった。悟空の尻尾やピッコロ大魔王という存在も、気がつけば宇宙人というSF設定へとすり替わり、悪魔や獣人、超能力者や武道の達人といった、おとぎ話的なキャラクター達が世界からドンドン閉め出されてゆく。
https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2022/12/30/225527
全曲(4名とも)良いのだが、「転がる岩、君に朝が降る」での青山吉能が本当に素晴らしい。
明らかに歌い慣れていなさそうな発声と流麗緻密な節回しを自然に両立する超絶技巧は、(中略)
有り得ないコンビネーションなのだが、役への深い入り込みもあってかきわめて自然に感じられる。
その上で、うつむき気味に始まって上を向き(アジカンの原曲には入っていない技巧的なギターソロの終わり側に逡巡を滲ませてから)、また顔を下げるが最初よりは確かに前を向いている…という音色表現の設計と達成が見事すぎる。
そしてそれは声優ならではの技術があればこそ、という点において優れた「声優音楽」でもあり、
バッキングギター(右チャンネル)の大部分がギターソロになっているようなアレンジが、メタルとは距離があった類のゼロ年代〜テン年代の邦ロック路線のもとでなされているのは非常に大きい。
邦ロック(ひいてはエモ)とメタルの和解としても、定期的に話題になる「ギターソロ不要論」への対処(というかそういうギターが好まれる潮流を生むきっかけ)としても、決定的な一手になりうるアルバムだと思う。様々な音楽ファンに聴いてみてほしい傑作である。
https://yamap.com/activities/6893281
■東京23区最高地点
「最高地点」を論じる場合、単に標高の最高地点をとる場合と、山頂の標高のうち最も高いものをとる場合の2つの立場が考えられる。
前者の場合、東京平野部は全体として西から東に向かって高度が減ずる地勢であるため、標高の最高地点は23区の西端付近にあるものと推定される。文献 1 によると、練馬区関町北四丁目の石神井高校内(標高約54m) が東京23区内にある最も高い基標であることから、本高校敷地境界に近い石神井高校東バス停を代表地点に選んだ。*
後者の場合、東京23区の最高峰は新宿区戸山二丁目の戸山公園内にある箱根山であるとされ、山頂にある水準点の標高は44.6mである。ただしこの箱根山は、江戸時代初期に作庭された尾張徳川家屋敷の庭園内に盛土された築山である 2 ため、自然地形における最高峰ではない。
自然地形での山に限った場合、港区愛宕一丁目にある愛宕神社を擁する愛宕山が最高峰であり、標高は25.7mであるとされる 3。
なお、一般人が立ち入ることのできる人工構造物を含めた最高地点は、東京スカイツリー内の東京スカイツリー天望回廊(地上451.2m)4 であろう。
⇒ぶっちぎりのスカイツリー。
⇒人工構造物に、高さで大敗するような地形。マインクラフトやディズニーシーみたいな世界。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230115/1673762400
ツイッターのトレンドを埋め尽くすほど話題になって、ネタバレを避けるためにツイッターも避けなければならなかった。というよりトレンドを埋め尽くしていること、それ自体がネタバレで、波乱が予想された。
https://toyokeizai.net/articles/-/642095?page=4
SNSで幸せそうな人は「歴史上の人物」だと思え
https://ddnavi.com/interview/994359/a/
ただ、物語の起承転結がきちんと整っていなくても、自分のこだわりたい部分に悪い意味でしがみつきながら、いびつながらもなんとか形にすることができるというのが、純文学の自由なところなんじゃないかと思っていて。
https://president.jp/articles/-/65205?page=7
わたしは相手の話を聴く。基本は傾聴することが、相談者を前にしてわたしのなすべき第一の仕事である。だが、聴くということは、動かされるということである。相手の話が深刻であればあるほど、「そうですね、たいへんですね」とうなずいておしまいとはいかなくなる。背中がむずむずしてくる。はらわたの据わりが悪くなってくる。なにかをせずにはおれなくなるのである。それで、専門家の窓口に繋いだり、その窓口へ向かう本人に同行したりする。
だが問題は、相手がそんなことをこちらに求めているか否かである。わたしが具体的に行動を起こすのは、相手との信頼関係ができたと思うときである。なぜなら、わたしが行動することによって生じるなんらかの変化を、相手が恐れることもあるからだ。
https://president.jp/articles/-/65205?page=4
そういう人のなかには──すべての人がそうだというのでは決してない──わたしに高い理想を見いだし、わたしを絶賛し、頻繁に連絡してくるなど、急激に距離を詰めてくる人もいる。ところが、わたしがその人の理想像に反した言動をするや一転、わたしを激しく憎み、罵るようになってしまうのだ。なかには「沼田牧師に傷つけられた!」とふれてまわったりする人もいる。
そんな人と向きあったとき、わたしもまた怒りに駆られてしまう──勝手にそっちから来ておいてなんだその態度は。昼夜かまわずさんざん話につきあって、感謝されるならまだしも、なんでこんなに憎まれなきゃならないんだ。そんなことだからあなたは、けっきょく誰のところに行ってもまともに相手にされないんだよ──そこまで毒づいて、はっと気づく。これこそ「かわいそうランキング」そのものではないか。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASR1J65M1QDHPITB011.html
自宅に引きこもっていたが、22年1月ごろからメタバース空間に入るようになった。約1カ月後、学校に復帰すると決めた。「居場所を無意識に求めていたと、今になって思う。学校で友達ができなくても、VRがあるから大丈夫だと思った」と話した。
留年したものの、今は大学
https://toliveistomusical.com/2023/01/13/bocchitherock/#toc1
アルバムのスタートはアニメOPの『青春コンプレックス』だし、劇中に登場した4曲はごていねいにも登場した通りの順番で収録されているし、なんなら文化祭ライブの2曲は続けざまの収録。それでアルバムのラストは作品の最後で聴ける『転がる岩~』なんですからね。『結束バンド』を聴こうという人間のおおかたはアニメを見た上でのことでしょうから、物語性を承知しているリスナーを徹底的に刺す構造になっているんです。
こんなの、普通のロック・バンドにはできっこないです。
⇒分かる気もする。すごく素直に並べた曲順というか、手管で生み出したサプライズ、みたいなのが曲順になかったよね。
持ち上げすぎかもしれないですけど、あの『アビー・ロード』にも似た性格のアルバムなんです。あれだって、ザ・ビートルズのレガシーを知っていればもっと深く楽しめる、いわば「群像劇「ザ・ビートルズ」のサウンド・トラック」ですから。
⇒ただ、それぞれの曲に物語が事前にべっとり付いていると、変に並べ替えると違和感が生まれてかえって聞きにくくなる、ということはあるかもしれない。
で、音楽オタク的な観点に戻るとですね。すごくエゴイスティックな主張なんですけど、ロックはいつでも「陰キャ」のためのものであってほしいんですよ。「陰キャ」「陽キャ」という二項対立が乱暴ならば、それは「オルタナティヴなもの」と言い換えてもいい。
メジャーで人気がある「みんな」のもの。それでは渇きを癒せない、そんな人間はこの世にたくさんいるはずです。私だって原点はそこにあるし、きっと多くのロック・ファンの原体験はその渇きにあるでしょう。(それとほんのちょっぴりの「マイナーな音楽聴いてる俺/わたしカッケー」という青臭さもね)
https://blog.tinect.jp/?p=80089
しかし、翌日の10時になってもメールが届かず、報告書も提出されない。
リーダーは「困ったやつだな」と思いながら、直接Uさんに聞きにいく。
「Yさんにメール送った?」
「はい、送りました。」
「私をCCに入れた?届いてないんだけど」
「あ、すいません、入れてないかもしれません。」
「ちゃんと送ってよ、あと、B部長から依頼された報告書は?」
「……何の話でしたっけ?」
「メール読んでないの?」
「えーと、あ、思い出しました。すでに部長に提出しています。」
「ちょっと待って、Oさんのレビューを受けて、私に出せ、と書いたじゃないか。」
「え、Oさんのレビューは受けましたけど……」
「もういいや、ひとまずYさんに送ったメールを見せて。」
「は、はいこれです……」
「積み残しの課題に、期限が書いてないじゃない。メールちゃんと読んだ?」
「えーと、件名に書いてますが……」
「課題ごとに書いてくれ、とメールにあるでしょう」
「すいません、ちゃんと読んでませんでした……」
社員の多くがこのような状況でテレワークを採用したとしたら、結果は悲惨である。
未だにテレワークを採用していない会社の中には、「読み書きが苦手」という社員が数多くいる可能性もある。
ピーター・ドラッカーは、世の中には「聞く人」と「読む人」がいると述べた。
読む人に対しては口で話しても時間の無駄である。彼らは、読んだあとでなければ聞くことができない。逆に、聞く人に分厚い報告書を渡しても紙の無駄である。耳で聞かなければ何のことか理解できない。
https://logmi.jp/business/articles/327899
「情報共有ができるようになった」と一部の方には高評価をいただきましたが、大多数の方には「情報が多すぎる」「画面が見づらい」といった不満が爆発していました。みなさんも言われたことないですか? 
もう一度言います、私はこのアプリの開発には携わっていないんです。ですからこんなことばかり言われて、kintoneのことが嫌いになりました。
さらに私は「やっぱりExcelがいい」と現場から言われ続けました。ほぼ500対1です。私は「俺が作ったんじゃねえよ」と思いながらも、それでも「使ってください」と言うしかなかったんです。どんどんkintoneが嫌いになっていきました。
鈴浦:まずは脱Excelです。みなさん、こんなこと聞いたことないですか? 「Excelファイルが開かない」とか「共有ファイルが読取専用になる」。これってkintoneでなんとかならないかと考えました
(Excelも完璧ではないな)
それと現場から言われ続けた「やっぱりExcelがいい」というのは「やっぱりExcelの見た目がいい」ということだったんだとわかりました。
連絡書はこのような流れになっています。メールに添付されたものをアシスタント社員が受け付けて、印刷して、捺印されたものをファイリングして、またメールでフィードバックする。これ全部、面倒ですよね。
鈴浦:およそ2ヶ月かけて出来上がったアプリがこちらです。
⇒カスタマイズツールがあってもそんなにかかるのか
でもよく見てください。この評価って裏を返すと、もともと困っていたことなんです。紙がイヤ、メールがイヤ。そういった困りごとをkintoneで解決すれば、受け入れてもらえるんだとわかりました。
二度としたくない作業を1つご紹介します。ユーザーって勝手なもので、「項目が多い、多い」と文句を言っておきながら、いざ減らすとなると「必要な場合もある」と言い出すんです。ですから私は、実態調査のためにハンドカウンターを使って、1万レコードすべて一つひとつ目視で確認しました。そして有効活用されていない項目は徹底的に削除しました。
私は「いやいや、ユーザーが混乱するので1個にまとめましょうよ」と。実は4つを1個にまとめるほうが開発者としては(作るのが)大変なんです。でも、私ももともとユーザーだったので、絶対に1個にしたほうがいいという自信があり、こちらからあえて難しい提案をしています。
「プルダウンが欲しいんだけど」と言われても、私ももともと営業でした。「その項目は絶対にチェックボックスのほうがいいです」と、ユーザーに寄り添った最適な提案をしています。その結果どうなったか。
そして最後に、内製アプリの評価は必ずしてください。なぜ評価が大切なのかと言うと、ユーザーの期待に応えることができていれば、必ず新たな依頼がきます。依頼が続くことで、開発者のスキルや提案力もアップしていきます。それがまたユーザーの満足度アップにつながり、開発意欲もアップしていきます。
https://note.com/nhk_pr/n/nb29df4006dfb
この仕事をするまで光源なんて気にもしたことがなかったです。
日常生活では、街中の切れかけている電球や蛍光灯は気になってしまいますし、外を歩いていても雲の流れの早い日は「こんな日にロケはしたくないな」とか思ってしまいます。
日々の暮らしに役立ちませんが光源に敏感になってしまいました。
屋外の場合、現代劇も時代劇も光源は太陽です。ですから照明的にもアプローチの仕方は基本的に変わりません。
では、現代人の身近にあるシーリングライト(天井にある電気)とロウソクの違いは何でしょうか。それは“光源の高さ”です。
現代では天井からの明かりで部屋全体が明るく照らされますし、さらに言えばどこにでも光源があります。
顔に上から下方向への影が出ると、上から明かりがあると脳が認識します。この時代に電気がない(=上からの明かりはない)ということを現代人は知っているので、上からの明かりがあるとリアリティが損なわれ違和感が生まれてしまいます。
時代劇の照明は低い明かりで作っているのです。
では、どのような照明手法で人をカッコよく撮ることが出来るのでしょうか。基本的にはカメラアングルと異なる方向で照明を作ると、カッコよくなります。
分かりやすい例は逆光です。ヒーローが登場するシーン、何か大きな成功を収めたシーン、感情的に何かを訴えるシーン、つまり気持ちがたかぶるシーンでは逆光を入れることで印象的になります。
https://twitter.com/s9do8v8o4xon8cn/status/1606722600981639168?s=21
いいや僕はずっとひとりきりさ
これって二人どちらの視点からでも読み取れるやん
・ぼっち
いいや(諦め)僕はずっとひとりきりさ
・喜多ちゃん
いいや(否定)僕はずっとひとりきりさ
⇒この「いいや」って、どっちとして皆んな聞いてるんだろう?? 私は前者しか感じてなかった。
でも、鉤括弧が付いているのは後者のニュアンスなのか。
https://togetter.com/li/2052730
⇒イギリス、韓国、カナダ、メキシコ……