成長物語のはじめのほうが好きだ
主人公が勝ち上がったり、成り上がったりしていくストーリーが好きだというのもあるし、「ダメな俺でも人生を逆転した」というときの “ダメな俺” の部分に共感できるからでもある。
もいい。
で、こういう物語を読み進めていくと、より強力な敵と、より華麗な技を使いながら対決できるようになる。盛り上がる。
でも、そんなときまた序盤に戻って、貧乏で無名だった頃の主人公を読むのがなんだかんだ好きだったりする。
最初の勝利をつかむ瞬間。
コーチからもらった一言を愚直に信じて、最初の武器を得るシーン。
そんな、下積み時代のエピソード。
そんなのが、また見たくなる。
そういえば、昔映画『ロッキー』の空気感も好きだった(“1”しか認めないw ) それは、いまだに私が “ダメな俺” にとどまっているから、ということかもしれないし、それだけではないかもしれないけど。
で、ここでちょっと思うのは、「後ろの巻や話で、成長したり勝ったりすることが予想されていること」というのを、
私達は何から予期し、
仮に、それが描かれないまま終わったとしても、そこまでの作品にワクワクを感じられるだろうか?
ということだ。
たぶんだけど、私は純文学的でパンクな貧乏物語は別にそれほど好きじゃないし、昭和人情小噺もそれほど好きにならないと思うんだよ。
だけど、「成功者の自伝的作品」ならともかく、フィクションとして創造された主人公は、その後に「勝利者」へと成長することは、別に保証されていない(作者の構想の中にはあるかもしれないけど)。
先に、「ここからのあらすじ」が示されることはない。読者が勝手に感じるだけだ。
であるならば……。
その “予期” を二次創作的に妄想して、勝手に付加することができるならば、
純文学的でパンクな貧乏物語や
昭和人情小噺も
それどころか、実際の人生の断片も
そのようなワクワクな下積みモノとして味わうことが可能になるはずなのだが。
それはそれで難しそうなのは、なぜなんだろうな。