2023/01/01-2023/01/10
#採掘場
美味しいからって、食欲や食べられる量は、増えない。正のフィードバックはない。食べる速さも、そんなに影響を受けない。快感は欲望を増幅しない、短期的には。でも、テレビのグルメ番組や、食ドラマ・食アニメでは、あたかもそうであるように画づくりされる。そして夢中でたくさん食べたのを振り返って、「ああ、うまかったんだな」と感じさせる。
甘党だが、別腹はない。
ぼっちちゃんは上昇志向強いよな
ぼっち・ざ・ろっくの発のアルバム結束バンドに、「星座になれたら」という曲がある。互いに憧れ合う2人がいて、ぼくも手を離さないから、きみも手を離さないでね、という詞世界がある。
その歌詞の中で、一箇所解釈に迷う場所があって、それが「解かないで 僕がどんなに眩しくても」という箇所。
相手にお願いしているわけだから、「相手にとって、僕が光りすぎてて気後れを感じるときでも、身を引いたりせずに、一緒にいてくれ」と頼んでいるのか、
「君が光っているせいで、僕が眩しそうで苦しそうな顔をしていても、気を使って手を離すなんてことは、しないでくれ」と言っているのか。
文意だけをシンプルにとるなら、前者のほうが分かりやすい。
曲の最後で同形のフレーズがリフレインする際の歌詞、「解かないよ 君がどんなに眩しくたも」との対称性もいい。
しかし……、そのフレーズが出てくるまでの歌詞の文脈は、「いいな 君は みんなから愛されて」というフレーズもあり、主人公の「僕」が、自分自身で輝きを持っている自覚はなさそうに感じる。
個人的には、そのある種卑屈な心象風景を、なめらかに脳内に描き出したいので、後者を採用していたい気持ちがある。
しかし、言語の解釈としては、やはりかなり無理があるよな……。
手書きで何かタスクを書きつける時の、
「肉へと堕としめてやった」感。
変容可能性や脳内リフレインする可能性をもいで、よりしろに封じ込めるような。
正義の活動ってあるのかもしれないけど、それを束ねようとしたら駄目なんだろうな。
たとえ、分断されて各個撃破されるのが目に見えていると感じられるのだとしても。
たとえば、電車の中でスポーツ新聞のエッチなコーナーを堂々と広げて読んでいる人がいたら、目を背けるし、「やめろよ、読むなら家で読めよ」と私も思う。
しかし、多くの男の人が、付き合ってる人がいようと結婚していようと、エッチなコンテンツをなんらか隠し持っていて、それが仕事家族に発見される悲喜こもごもはあるんだと思う。
家族の前でも「ないことにして、見せない」部分がある。
電車のなかでだったら、別の人種だったり、外傷だったりで、見慣れない風貌の人を、気になったとしてもじろじろ見ないようにして、生きなければならないし、「そういう気がないものとして」振る舞っている。
ただ、「場のおもてなし」として隠すのはまあともかく、かなりの人が持っているのに「ないものとして振る舞われる」ある種の内面というのはどうなんだ。
おそらく、押さえつけて訓練しようとしても、無視して餌をやらないようにしても、根本的にはなくならないであろう、人間の一部なのに。
戦争を含むコンテンツでワクワクしたりする。嗜虐性を含むセックスコンテンツのほうが、空想段階では盛り上がったりする。
でも、それを実際にするとなったら、むしろ嫌悪感が強く出る可能性は高い。
むしろ、格闘技を漫画で読むのではなく、実際にやるたけでも、嫌になってしまう人は一定比率でいるんだと思う。
ここらへん、脳の声の不思議なところだと思う。戦争コンテンツを夢中になって読むくらい、「戦争が好きだ」と感じてしまう自我も本当、実際には人を撃つこともできない自我も本当。でも、後者をまだ自認していないとしたら、前者だけを自認していたら、その人は、
「戦争したい」「戦争したい」
と思って日々を生きていることになるんだろうか。その意味では「夢中」「切迫感」「迫真性」「やりがい」「情熱」みたいなものを、どれだけ感じていても、それを人生の指針にしないように気をつけないといけないかもしれない。
あるいは、後者に直面しないままで、前者を御し続けるのかというのが、現代的な課題になるのかもしれない。
嗜虐性を含んだコンテンツのほうが、一人抜きをするには入り込みやすかったりして、それを指して「実用性が高い」なんて隠語があったりする。
← 2022/12/21-2022/12/31 / 2023/01/11-2023/01/20→
https://twitter.com/desean97/status/1449325026444935168?s=21
教員なら同意してくれるだろうが、授業後に、受講生が「今の話ってこれこれだよね~」と雑談しながら帰っていくのって、めちゃめちゃ嬉しいものなのである。仮に、こちらからすると的はずれな雑談でもいい。そのために授業やってるようなもので。
https://twitter.com/masashiigarashi/status/1449542813796888579?s=21
ローの民法の授業の後、トイレで頭いい友達に「あれってどういうことなん?わからん」みたいなことを言いながら連れションしてたら個室の扉がドーンと開いて「それはですねえ!」ってさっきまで授業してくれてた先生が出てきたことがありました。
https://www.y-history.net/appendix/wh0601-125.html
本来はキエフ=ルーシ王国といった方が実態から見て公平であると思われる、現にウクライナの民族主義的色彩の強い史書には王国と称するものがある・・・<黒川祐次『物語ウクライナの歴史』2002 中公新書 p.23-24>
つまり、本来王を意味した「クニャージ」が安売りされて値が下がったわけですね。実際、キエフ公国はやがてたくさんの公国に分かれて行き(その一つがモスクワ公国)、それらと区別して本家を特に「キエフ大公国」と言うようになる。
なお、キエフ=ルーシは本来は「ルーシ」とのみ呼ばれていたので、「ルーシ公国」と呼びたいところだが、その後ルーシからは派生した「ロシア」が別の国家を指す言葉として用いられるようになり、そのロシアとの混同を避けるため、後に「キエフを都とするルーシ」という意味で「キエフ=ルーシ」と呼ぶことが慣例になった。<黒川・同上 p.24>
⇒別にどこかの皇帝が公爵位を授けたわけではないわけか。
https://www.lisani.jp/0000219176/?show_more=1
そんな風にデモの段階でしっかり作り込まれているものもあれば、「カラカラ」はドラムのループとエレキギターと歌だけで、「フラッシュバッカー」や「なにが悪い」はアコギと歌の弾き語りでした。
岡村 要するに編曲というのは、色々なデモの状態から、皆さんが聴いている状態にする仕事なんです。
三井 メロディと歌詞は基本いじれないので、まずはそれだけの状態にして、コードを組み替えて、ドラムや間奏やイントロを付けていく感じです。
https://www.lisani.jp/0000219175/?show_more=1
かと思えば「ひみつ基地」での“だめゼッタイ”の歌い方がかわいすぎるという。ニュアンスを急に入れてきたぞ!と。
長谷川 2番の頭のところですよね。あれはZAQさんの仮歌がそうなっていたんです。
岡村 もっとすごかったよね(笑)。
長谷川 はい。ZAQさんの表情の切り替えがすごすぎて!
三井 もう喜多ちゃんが歌っているのを自分に降ろしているくらいの感じだった(笑)。
三井 「小さな海」と「フラッシュバッカー」は、めちゃくちゃ思い入れがあります。「小さな海」は最短でアレンジができたんです。この頃から僕は『ぼっち・ざ・ろっく!』ロスが始まっていて(笑)。
――そうなんですね(笑)。
三井 2年以上アレンジ作業をしていて、結束バンドが頭の中にいる生活をしていたんです。だから、アニメはこれから始まるけど、僕がやることはもうすぐなくなってしまうんだなあと思って。で、「小さな海」は、弾き語りのデモの段階ではアッパーな曲調だったんですよ。でも、僕の中では、これを最後の曲みたいなものにしたいと思ったんですね。
「フラッシュバッカー」は僕にとって、最後にアレンジの作業をした曲だったから、本当に終わりたくなかったんだよなあ。実は出来上がってから1日くらい、弦さんに音源を送らずに寝かせていたんですよ。
一同 (爆笑)。
三井 まだ終わりたくないから、聴かせたくないと思って、1日だけ自分だけのものにしていました(笑)。
https://joshi-spa.jp/1215269/14
あらい:親に対して「謝ってほしい」という気持ちはありました。でも「親が謝ってくれたら自分は変われるのか?」と考えると、変わらないと思いました。「父が死んだらラクになれる」と思っていた時期もありましたが、結局ツラいままでした。外的要因では何も変わらない、
私は初め、「変な母親だと指摘されたらどうしよう。最悪、子どもと引き離されるんじゃないか」と思ってすごく不安だったんです。でもすぐに「自分がもし暴力的だったとしたら、それが明るみに出た方が子どものためになる」と気づきました。  それからは「何を言われてもいいやから、どうしたらいいか一緒に考えてほしい!」と思い、ささいなことでも保育士さんや小児科の先生にオープンに相談するようになりました。
https://anond.hatelabo.jp/20230102104157
本当に申し訳ないけど、当時は支援者の方々に感謝の気持ちなど1mmもなかった。「本当に助けなきゃいけない人は助けたくなるような人ではない」と言われてるけど、そう言う感じだったと思う(辛いことだけど、助けたくなるような弱々しい子は助けられる前に亡くなっているとか再起不能になってるとかもあると思う)
・助けてくれてありがとうとかではなく「金持ちの家に生まれて愛されて何不自由なく生きてこれた人もいるのになんで自分だけ」としか思ってなかった
・「見下してんじゃねえよ」と思い常にイライラしていた
もちろん今思えば見下されると感じるような態度を取られていたわけではない。こちら側の受け止め方の問題
今思えば十分すぎる環境だったけど常に不満しかなかった。あれ以上ご飯が豪華だろうとめちゃくちゃいい部屋だろうといつまでも文句を言ってたと思う。その感情の底には過去親に大切にされなかった悲しみや怒りがあったんだろうなと思う。
・なんか、本当は甘えたいとか泣きたいとかありがとうと言いたいと思うタイミングもあったんだけど
そうすると自分が今までの自分を否定することになるような気がしてできなかったんだと今思う。
説明しづらいけど、恵まれて育った子の与えられた愛情+余裕が100だとすると私は3くらいしか持ってなかったから
大人に服従(と当時は思っていた)するとそれが0.1とかになりそうでできなかった
色々話に行きたいけど、超問題児だったので職員さんに嫌われているのではないだろうか、いやそんなことはあの人たちは思わないだろうとかもごもごしている
超問題児だったからこそ会いに行けよと思う人もいるだろうけどまだその領域に達せていない…もっと立派な大人になったら行きたい
私のように過去に支援を受けた人が「私はここに本当にお世話になりました!ありがとうございました!」と言うことは普通にあまりないと思う
・過去を見たくない
いくらその後大切にしてくれる大人に出会えたとしても、「虐待を受けていた」「生まれに恵まれなかった」ということを自らアピールすることはできない
思い出したくない記憶なのもあるし、実家が太い・太くないみたいな言葉が普通に使われる世の中では特に言えない
支援してもらったことも思い出したくない(振り返ればあたたかい記憶ではあるけどそこにはつらい背景が付いてくる)
支援者の方々に自分が言った酷いこととかも勝手すぎるけど思い出したくない
保護される子供は恩を仇で返す、というのは間違ってないと思うというかかなり多いケースだと思うんだけど
そもそも私含めて多くの子供が「それは恩を仇で返す行為だ」と分かってないと思うんだよね
なんでかというと、びっくりして心を痛める人もいるかもだけど
ありがとうと言うようなことが保護されるまでなかったというか、大人に何かしてもらったり助けられたりしたことがそもそもないんだよね
もちろん10歳超えて生きてきたということは超最低限の水と食べ物を与えられてるということなんだけど
それ以上のことはない、というか暴力に耐えたり惨めな思いをしたり死んだ方が幸せみたいなことばっかりで
だから最初のうちは何かを与えられてもそれが優しさだと認識することがそもそもできないから感謝することもできなかった
自立して精神的な余裕ができてから色んな瞬間で「ああ、あれって優しくしてもらってたんだな」と気付く→そんな優しい人たちから差し伸べられた手を叩いてきた自分に気付く→ダブルでつらい みたいな…
「恩を仇で返してやるぜ!こいつら困らせてやるぜ!ヒャッハー!」みたいな人はいないと思う
https://okuranagaimo.blogspot.com/2023/01/blog-post_25.html?m=1
ノア・スミス
@Noahpinion
15年前、インターネットは現実世界からの逃避先だった。 今や、現実世界がインターネットの逃避先になっている。
今や私たちはインターネットをどこにでも持って行き、その小さな色の付いたアイコンはいつも手招きをして、今話している相手や取り組んでいるものを放棄して、最新の投稿をチェックするようにと、私に言っているのです。
しかし、なぜインターネットが現実世界の逃避先だったのかを思い出すのは難しい。
SF小説やテレビ番組、ダンジョンズ&ドラゴンズなど、自分と同じものが好きな人を見つけることでした。UsenetやIRC、ウェブフォーラム、MUSHやMUDなど、初期の頃は、オンラインで仲間を見つけるのが普通でした。
現実の世界では、政治が嫌いな同僚、まともな仕事をしろとうるさい両親、派手な車に乗った人気者、などなど、気に食わない人たちと交流しなければなりませんでした。インターネットは、アニメファンであろうと、リバタリアンの銃マニアであろうと、孤独な40代のクリスチャンであろうと、まだクローゼットの中にいるゲイであろうと、他のバカと一緒にバカになれる場所でした。コミュニティーは逃げ場だったのです。
人々は繋がりが強くなっているのだから、もっと繋げばいいという、初期のインターネットの自然な延長線上にあるものでした。
ナチや共産主義者、その他有害なトロールや狂人たちは常に存在していました。しかし、コミュニティがそういう人たちを気に入らなければ、モデレータは彼らを追放するだけだったので、彼らはただ迷惑な存在でしかありませんでした。普通の人でさえ、自分の性格が合わないフォーラムからは追放されました。私も一度や二度追放されたことがありました。それが起こると、あなたは移動し、他の話し相手を見つけました。
集中的なソーシャルメディアの代わりに、いくつかが台頭してきています。まず、TikTokとYouTubeです。これらはコメント機能を備えていますが、全体的にはテレビやラジオ、従来の一方通行のプッシュメディアにはるかに近く、コンテンツはユーザ共有ではなくアルゴリズムによって駆動されています。2つ目は、SnapchatとInstagramです。これらは個人的な交流を重視し、公の場での議論にはあまり向いていません。また、今回の調査には含まれていませんが、逸話や全体的な利用傾向から、WhatsApp、Signal、Discordなどのチャットアプリの人気が高まっていると感じています。