2023/01/21-2023/01/31
「好きなブログを○つ紹介します」みたいな記事が書かれたのを見かけると、変に疲れてしまう。
“そこに選ばれる自分” というのを反射的に夢想してしまうからだ。
「えへへぇ、選ばれちゃったぁ〜。どうしよう、照れちゃうなあ、もう〜」
という中二病的な(いやむしろ小2病?)妄想が湧き上がる。 嬉しさが先取りでワクッと盛り上がるし、その嬉しさや、選んでもらえたお礼を同じタイムラインで表明しなきゃ、っていうことも頭に浮かんでしまうし。
そして、選ばれていなくて落胆する。
うん、痛い人だ。
逆に、いつも選んでもらえるような、形式的なリストだったら、その閉鎖性が嫌だろうし、なんとも難儀な話だ。
その気分の浮き沈みが意外と体に悪そう(あくまでイメージ)な、疲れる感覚がある。
だから、「暗いニュースは目に入らないようにする」的な処世術と同じく、あまり出くわしたくない人生の一場面かもしれない。 落ちることだけじゃなく、その前の浮き上がる感覚そのものが、その時点で、少し疲れる。
ガチャや選挙なんかと似たような感覚。年賀状にすら、私はそんな疲労感がある。その意味では、なるべくワクワクなんかせずに平坦に生きていくべきなのだろう。すごく、起業家に向かない精神性だ。 ロシア⇔ウクライナ戦争
先に仕掛けたのがロシアだから、マクロに見てロシアが悪。
ウクライナが対抗し続けたい範囲において、国際社会は支援と応援をし続けるべき。
中国や台湾の状況を踏まえれば、日本はウクライナに肩入れをするのが戦略的に見ても効果的。
この3点はほぼ固定的前提、ってことでいいだろう。WW2以前のレーニンの国土割譲が、そもそも民族性を無視した悪手だった、とか関係ないし。大戦以降に国境を武力で動かそうとするなや。
とはいえ。
どこかで、ウクライナ国民にも厭戦機運は来るんじゃないかという気はする。首都を防衛しきったニュースは、平和に酔っていた日本人には「勝てるんだ?!」という感じで衝撃的だったし、東部の戦線を一気に前進させたのもすごかった。
でも、全奪還は難しそうだし、特にクリミアは本当にいけるのかという感じで、徐々に泥沼になりつつある気はする。
そうなると、無限に戦意が維持できるとは、思えないわけで、どこかで講和に進むことになるのだろう。奪られた領土は譲った上での、今まで言っていたことからすると屈辱的な条件で。
それがどのタイミングで、それまでにどれだけロシアを苦しめて、どこまでは取り戻した状態で終われるのか? というのを見る必要はあるだろうし、考えてもいるのだろう、ウクライナ側でも。大統領くらいは。
なんだ、育休中のスキルアップって。というTLの話題がある。
まあ、賃金上昇のためだったらまあ仕方ない、少子化対策だったら、なめんな、という話だけどいかにも筋は悪い。
ただ、ここにはある種の諦念がある。
政治であれ、会社であれ、
は、受け入れることができない。
「働くを応援」「遊びたいを応援」することはあっても、「休むを応援」や「ケアの福祉を拡充」する政策は、ちっとも始められない。小さくすら始められない。
資本主義の価値観からすると、それは良くも悪くも自然なんだ。ケアではなく、あれは投資だから、ちょっとはずみ車を回したら、大きな力になって戻ってきたり、周りにも波及したり、あるいはレバレッジや触媒のように、投下した資本以上の経済効果の出なさそうなことには、税金を動かさない、動かせない。
それは、役人さんが強者の論理で発想しているということと同時に、「納税者としての国民」の目線に怯えている側面もまたあるんだろう。 支援に安住というか閉じ込められてしまう人が出てこないように、本来は潜在的な能力のある人がぶら下がったままになってしまうことのないように、という意識がつい働くのかもしれない。
だから、たとえば、「物価高下で、新規に輸出事業をする企業を支援」とか、そういう自助努力促進系の政策ばかりが提案されてきてしまう。
そこは私はもう、スルーしつつ、暗澹とした気分で諦める、受け入れる、という認識になってしまっている。「まあ、あまり大きな金額で始めないでくれよな、ポシャるだけだろうし」というくらいの気分にしかならない。ニュースを個々に見ても。
とはいえ、まあ冒頭のニュースを個々に見て、肯定する気もないし、考えた人を擁護もできないけど。
ただ、どちらかというと、「怒ると疲れるし、こういうバカなものがどうしても一定割合で常に湧いている状態を止めることは構造的に止められないだろうから、生きる気分が楽になるには、こういう考え方があるぜ?」という方向性のほうを、むしろ提言したくなってしまう。そういうツイートをTLで見かけると。
そもそも、そういうツイート、怒っていることが多いしね。トーンポリシングと言われようとなんだろうと、私は私の気分を守っていく責任もまた持っているわけだからね。 日本人は「本音」といい、西洋人は「悪」という、ある一群の精神性。
文化の受容のされかた
PleromaとMisskey
ぼっち・ざ・ろっくは、けいおんとではなく、古見さんだったりわたもてだったりと比較していてほしい。僕やばとか。
なんにせよTwitterの280/140文字制限と検索機能は日本以外の国にとっては不便でしかなく、他の代替サービスがあれば今すぐにでもみんなで移行したい気持ちがあったのでしょう。
今回のイーロン・マスクの買収が大きなきっかけとなり、みんなでMastodonへ移行するに至ったわけです。
Fedibirdは、現在1,983ユーザーが登録し、週平均でだいたい650人ぐらいがアクティブに活動している中規模のサーバとなりました。
Mastodonを試してみたい人、ここからの移住先を探している人は、ぜひFedibirdをお試し下さい。特定カラーを持たない汎用タイプのサーバです。
「フォントを変えてみた」というくらい微々たる変化であっても、それが意識的に変えたことであれば
急いでスマホにメモするようなときは、できるだけ文章の形にしておくことを意識しています。単語など断片的にしかメモしていないと思い出しづらいですが、一文程度でも
ただ、同時に意識しているのは、それでも思い出せないものは、思い切ってロストしてしまってOKと割り切ることです。走り書き全てをきちんと整理した形にまとめようとすると
まず昨日の作業記録を読み返すところから仕事を始め、それによって昨日の自分の感覚や気付きを引き継ぎながら、その日も記録を取りながら仕事をすると。
僕の場合は、そもそも自分の仕事のやり方を完成形と捉えずに、実験の積み重ねのように考えているところがあるんです。だから、積極的に新しいツールが出れば試してみますし、それを記録することで変化を楽しむことができる。だから、仕事自体の捉え方を少し変えてみると、ノートも続くかもしれませんし、相乗効果で仕事の改善も進むのではないでしょうか。
繰り返し言ってるけど、「人口100人の村で70人が結託して残り30人を奴隷にするよう多数決で決める」は民意と言えるし全体主義だけど民主主義ではありません。民主主義にはこの場合に「30人の人権に触れるので、この多数決は無効です」と撤回出来るフールプルーフの仕組みが存在します。
「だから大多数は馬鹿だ!下民ども!」ってのを我慢できずに言っちゃう人多いよね
非常にわかりやすい例えありがとうございます。
ただ、現実問題は何がフールで何がそうでないかがそう単純じゃない。
「それはフールで民主主義じゃない」と言ってる人の思い込みかもしれない事例がたくさんあること、ですかね。
うーん、民主主義の定義によるし、むしろそれは基本的人権や立憲主義の範疇じゃなかろうか。
民主主義は基本的に多数決の尊重なので、それだけではいろいろ問題や弊害があり、民主主義内在的にというより、立憲主義や基本的人権で民主主義に限界を設けることが重要なのだと思う。
友人と話していて気付いたんだけど、日本企業(主語がデカい)がなぜ働きにくいのかというと、
「マネージメントとガバナンスが弱いと、空気を読んだ越権が要求されているから」
で、これが「マジメなオタク」と極めて相性が悪い
「空気を読んだ越権」ってのがすごく難しくて、下手すると刺されて死ぬ
転職後に覚えたことで、これマジでビックリしたんだけど、「社内システムで決裁用の承認フローをいきなり申請すると怒られる」ので、「決裁用の承認フローを出す前にまず暗黙の対面ご説明フローを回す」という文化があるんですよ。で、ご説明フローはどこにも規定されてない文化でなりたってるという。
承認フローに「〇〇部□□さんに御説明済」とか書くんですよね。
決裁者の判断を早めるためだと思うので、無意味ではないと思うけど、準備が整うまで、(お伺いが済むまで、)申請系は一切出せないというのが、すごいモヤった覚えがあります。
「上司が実質的に分かってハンコ押す」を支援するシステム。
部下の申請書記述レベルを「後から誰が見ても背景から理解できる」水準まで完璧にそろえる事が難しいため。
申請書の記述内容は分からんが、説明を受けたとされる上司が承認していることが記録上残っており責任が明確なのでヨシ!
上司「必要なのはわかったけど、そもそも何でこうなってるんだっけ」
ぼく「4年前○○さんが導入時に業者と揉めて…」
上司「あー、わかった…申請出しといて。」
みたいなやり取りは書類には書きづらい。
ぬるかる さくらインターネットのサーバを選んだのは、(pixivで問題になった)画像の問題が大きな理由だったりします。Twitterでは「日本の法律には触れないけど、海外の法律ではダメ」なイラストをアップしていた人がアカウントを凍結されてしまうようなことがありました。Microsoft AzureやAWS(Amazon Web Services)といった海外資本が入ってるようなところに投げてしまうと、そのへんがマストドンでも問題になりそうだなと。
それこそマストドンが話題になったときに「この問題がどうにかできるんじゃないか」と真っ先に思いました。だからクラウドに移行するときにも“国内サーバ”というのは維持したかった。
⇒「日本の法律で逮捕されないように海外サーバー」という考え方とは逆だな。
mstdn.jpをやってみて気付きましたが、本当にまずいのはサーバ代よりも、無修正画像とか援交募集みたいな、放置しておくと犯罪ほう助の疑いがかけられて運営が続行できなくなりそうなコンテンツの問題です。
長期的に維持するためには、それらを削除する人員などが必要になります。これに関して自分は全く知識がなかった。さくらさんはサーバのホスティングは強いけど、その周辺は強いわけじゃないので、どうにかできないかなと考えていました。
ぬるかる父 本人からは、20日に就職しますと急に連絡がきて驚きました。
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ぬるかる ドワンゴはコンテンツも面倒みてくれるというのが決め手でした。さすがに1人じゃ責任を負いきれない。登録者が3万人以上いると、電気通信事業法に引っ掛かるみたいな話もあります。
ぬるかる父 そういうところだけは勉強してたんだね。
ぬるかる 昔、Webサービスを立ち上げるみたいなことをやっていたときに、そういうことを調べていました。
ぬるかる父 でも、人数制限とかはしないと結局おまえみたいになっちゃう。1人でできることは決まってくるよな。
ぬるかる 個人運営のインスタンスは登録者5000人ぐらいで厳しくなってきて、2万人を超えると無理ってなる。
ぬるかる父 ネットをやってる人は(マストドンの存在を)知っていますが、これがテレビやラジオで広まると、わけわかんない人まで入ってきて荒れちゃったりと大変ですよね。
⇒5000とか2万とか、Evernoteのノート数みたいな数字だな。
経営やビジネスに、「戦術」とか「戦略」とか、もともと軍事用語だった言葉をすごく使いますよね。とくにMBAを取った人とか、コンサルの人とかが使うんですが、私はこれらを「おっさんマネジメント用語」って呼んで(笑)、できるだけ使わないようにしています。というのは、武器をなくすために、平和のために、私たちは国際人権の文脈を使っているからです。そういう意味でこの本は、中身とタイトルが矛盾しているように感じたんですね。
⇒「おっさんマネジメント用語」w
『クリティカル・フレンドとしての国際人権』とかね。本にも書きましたが、この言葉を流行らせたかったので。
谷口 わかります。この本には、人権について警告を発する国連の特別報告者は、各国にとってのクリティカル・フレンドであり、真摯に対応すべきだということが書かれています。つまり、言いにくいことを言う友達のことですよね。
⇒流行らなかったやろうなあ。
道徳と人権の大きな違いは、道徳は場所や文化、時代によって変わる相対的なものですよね。対して人権は、すべての人間が生まれながらにもっているもので、さらに思いやりと違って、政府が実現する義務を負っているものです。でも、入管施設で起きていること一つをとっても、人権の概念が日本に全然浸透していないことがわかって愕然としますよね。
谷口 日本人は、「かわいそうな人」には、その時だけは何とかしてあげようと思うんですよ。
⇒《日本では人権が「思いやり」と同一視されている》って、よく言われているけど、よくわからん。そうなの?
⇒《人権って、偽善じゃないですか?」》っていうのは、そうじゃないかな。リヴァイアサンを相手にしたら、消し飛ぶでしょう。
⇒そして、国と時代を超えて普遍ってのは、言い過ぎだとも思う。社会契約というか、総員の合意が必要でしょ?
でも、震災から数カ月たって、欲しいものを聞かれた被災者の女の子が、「まつエク」と答えたら炎上したらしいんです。被災者のくせに贅沢だって。被災者にも表現の自由があるし、美を求める権利があるのに、弱い立場におかれている人が、自分の権利を主張することに対しては、日本では批判が出るんですよね。(中略)
日本人の「思いやり」って、上から目線の「施し」とか「お恵み」になりがちなんですよね。みんな「お情け」は大好きで、だから「深イイ話」は大好き。なんだけど、人権の話はいつまでたっても出てこないんです。
⇒同情弱者みたいなものが生まれてしまう、ってのはよくわかる。
⇒人権を理解していないというよりは、「制裁を加えていい自由(あるいは権限)」を信じちゃってるから、という説明の仕方をしたほうが、実感に近い気がする。
(つまり、“人権意識が低い” ことが問題なのではなく、“法治意識が低い” ことのほうが、問題のより大きな部分を占める、というか)
⇒いずれにせよ、日本は道徳一強にはなってしまっているので、そこに対抗するための範囲で合従策は取れるかもしれないけど。
人権には闘争的な側面があります。たとえば人権が侵害されている場合は、権力と闘って獲得していくという側面があるんですが、これを日本人は嫌がるんです。だから日本では人権が嫌がられるんだと思います。
日本の道徳教育は、人との調和とか、人に迷惑をかけないことを強調するじゃないですか。そういう教育を受けているから、権利を主張することがネガティブに捉えられがちになる。人権を主張するやつは迷惑をかけている、トラブルメーカーみたいな感じになってしまうんでしょうね。
⇒「権力と」というのを、「多数派の意思」「歴史的あるいは文化的な慣性や偏見」というニュアンスを表に出してくれるのなら、かなり賛成できる。上からくる国家権力だけを権力としてイメージしながら口にしているのなら、「ぺっ」。
たとえばバス代が上がることに対して、裕福な人もデモをするんですって。バスしか使えない人たちが困るじゃないかと。そういう価値観が根付いているんですね。
谷口 娘は、いまカナダに留学しているんですが、高校に社会正義の授業があると言っていました。対して日本はすぐに「自己責任」と言いますからね。日本の自己責任って、「施し」や「お恵み」と表裏一体だと思います。
「国際人権」という言葉さえ、ほとんど知らない。ましてや人権に関する条約や政府の責任、国連の特別報告者とか、個人通報制度のことなどが全然知られていないのは問題だし、残念だと思ったんです。
私はいま、自分のことをトランスレーター(翻訳家)だと思っているんですね。いま、最先端の精緻な理論を構築する仕事はできているかといえば、できていないけれど、その代わり、そういう仕事をされている学者の理論や情報を一般の人にかみ砕いて伝えることはできる。
「国際人権法」
⇒ええ〜。人類、そんなことまで思いつくの? それは文化のコミュニタリアニズムに対する、余計なお世話だな。
藤田 アカデミズムには「学会に就職する」という考えもあるようですが、業績のために、ごく一部の人しか読まない学会誌に載せることばかり重視するなら、何のための研究なのか、と思いますよね。そういう思いから、私はこの本で「アカデミック・アクティビスト」という言葉を紹介しました。社会に影響を与えることを主眼とした研究者のことで、私の恩師のポール・ハント先生がまさに、アカデミック・アクティビストです。