2022/07/01-2022/07/10
投票における、近接性モデルと方向性モデル
ならばなおさら、「中道であろうとすることそのものが目標」というありかたを見つけ出して支援しないといけなくなる。
そうは言っても傍目には囚われている
子供を育てていて、中学生やその近辺になると、「日本はこのままではいけないと思う」ということを言い出したり、ファッションや髪型に凝り出したりする。
そこで、「どうした、急に色気付きだしてw」
みたいなことを言ってしまったら、確実に嫌われるし、その“言われる感じ”がまざまざとイメージできるから言わないけど、人生を半周回しちゃって、恋愛内圧からようやく離れられたた親からすると、あれは生物タイマーのスケジュールに突き動かされているように感じられるし、やっぱり「色気付いてきた」って感じられるんだよな。
客体として。
その実態がむしろ同性内で浮かないための、身だしなみレベルに本人には感じ取れているとしても。
なんだかんだ言って、模倣犯だし、なんだかんだ言って、色気づいている
恋愛教や同調圧力だけではない。
あきらかに、恋愛衝動の脳内圧があったと思う。
自分の実存感が強すぎて、年代のテンプレにハマっているとか、本能に操られているなんてことは、
要因①が必須だったり主駆動力なのかは分からないけど、自分の心理としてはありそうなところ。「ほらまたいたよ、こーいう奴!」で攻撃スタートする。……としたら、それは、あらかじめキョドキョドと恐れているのか。
「怒り中毒になっている」と見られている人というのは、案外、主観的には楽しんでいなくて、不快や不安に過敏になっていて、情報収集にキョドキョドしているという人がかなり混ざっているのではないかと思う。
逆にいうと、「私は怒り中毒ではない。怯えているだけ」と主観的には思っていたとしても、周りからは「エクスタシー欲しさに噛みつきまくっている人」みたいに見られている、かもよ。
「怯え」よりはもう少しマウントが高くて、「ちょっとでも目を離していると、この社会はすぐろくでもないことを始めるんだからな、まったく。けしからんけしからん」タイプの人もいるかもしれないけど。
くだまきおじさん。
ただ、いずれにしても、「何かあったら、即座に反応しないと、大変なことになる)というメンタリティーの一要因は共通していて、だから昂りやすく
昂ってしまうと、何かしないと落ち着かなくなる
つまり、「怒る対象を探している(≒おどおど)」
「独親育ちかわいそう」「ダメ親に育てられる子かわいそう」も、何かあれば逆流しそうな気はする。フェミニズムやステレオタイプ批判に逆流が起きたように。
飽和感は既にかなりある。自分達側で抑えるくらいでないと、進めてきた人はむしろ危ないんじゃないかな。
高い理想を掲げようぜ、ってことになってる
たぶん、日本人は(なのか人間に普遍的なのか)わりと「仕方ないね」と言って他人や現実と安易に妥協する性格を持っている。というよりは、するしかないことが「見えてしまう」。
ただ、同時に、それがすごく不本意でもあるし、そんな自分のことを「そんなことではいけないんじゃないか」とも思っている。
そんな不本意さへのアンチテーゼや叱咤激励としての、「理想は高く、夢は大きく、意志は固く、初志は曲げず」
私たちが簡単に妥協してしまうから、憲法のような。
自分が動き回ることで、人類全体がどんなにごりの中で細部を残していくのか
シーンがモノクロになるように、衣食住や人間関係が削げ落ちている。
たぶん、私は頭の中が常に色々な感情の渦で大嵐で、本能的に危機感を抱えているのだと思う。
だから、衣食住のようなささやかな幸せを感じたり、準備や後始末を後回しにしてしまったりする。例えていうなら、交通事故に合いそうになった瞬間に、世界がスローモーションになる代わりに白黒になるという表現のようなもので、危機な対処するために、脳がいくつかの種類の情報を「緊急なものではない」と感じて、重みづけを外しているのだと思う。
⇒「サル化」や不気味の谷「人間扱いしない」として紹介されている心理、“上を覆う支配者” への恐怖でなく、貪欲で非摂生なものへのおぞましさ、というのがもしかすると特にあっちの世界にはあるのかも。 ためしたら、政策マッチtop3が、維新、こころ、幸福実現だったw
「とにかく安倍さんはやめさせたい」と思っている人は、『安倍さんを総理にしておくと戦争になる』という不安を信じている人なのかもと思った。だから、やめさせることそのものに意味がある、と。そして、その不安は未来(未知)のことなので、本質的には否定のしてあげようがない。
⇒自分の投票スタイルが、結局 “政策マッチ” でも選んでないし、党の重鎮の思想や大方針でも選んでいない。そういうおもてめんで選んでも、そういう要素がちゃんと顕現するとは限らないからだけど。
憲法草案とかもそう。
だから、自分の選んだ理由の根拠を説明することができないことになる。
不便といえば不便。互いの知の高め合い、みたいなことがすごくできにくいわけだわなー。
「新しい思想を旧来のパッケージで」
というのも、まず関心を持ってもらうためであれば意義はあったりするんだろうけど。
運動神経得意じゃない人が、スポーツ漫画を読む的な。
ツイッター
「独身おじさん友達いない」問題
「友達がいないと不幸という固定観念を押しつけるな!」という関連ツイートが吹き上がってたけど、孤立ってのは、あれはあれで辛いもんだからな。
今は家族がいるので、電話したり週末遊ぶような友達は全然いなくとも、そこの部分は緩和されてるけど。(ある意味では、そこで対人欲求が使い尽くされて、負債にまでなっている、とも言える)
だからついうっかり、「別に遊び友達が近所にいなくても、なんとかなるよ?」とか言いそうになるけど、結構ダメなんよな。私ですら。これだけインドアな自分でも、一人暮らし時代の週末は、虚無で虚無できつかった。
友達とうまくはやれないし、楽しくもない。
話すこともない。
仕事中なんかは、制約なく、「思う存分妄想したり、思考に耽溺できたらいいのに」なんて思うけど、妄想だけしていていいと、そこに快がなくなってくる。
義務を果たしていない、依頼も受けていない、難癖もつけられていない時って、浮遊してしまって居場所を見失う。
恥をかかないといけない、もにょもにょと。
それが等身大かつ、素で、予想外ということ
「その思考は何の役に立つのか」
数学とか、哲学とか、基礎研究の人に、「何のためになるのか」なんて言う問いを向けると怒るのだろうけど、何かに結びついている実感のない時間は苦しい。
能力を証明すると、上ずった肯定感が得られる。
話したい」と言うより、話してみるとその後気持ち良くなる話題で、その学習なんだと思う。
俺も昔はワルかった、ではその代用品程度にしかならない
そのiPadがwi-fiモデルで常時ネットが使えなかったことが、環境の変化にあたります。そして、その環境下では端末にPDF保存ができるGoodNotes4が、私の情報保管庫としての役割にマッチした訳です。
嫌いになったわけではない。新たな友人ができて、そちらと過ごす時間が増えた。時を経て、久々に会ったかつての旧友に「なんか変わったな」と感じた。それが私とEvernoteの関係性。Evernoteを使わなくなった理由です。
たしかにそれは「気になっていること」ではあります。直感的な判断では間違いありません。でも、「市の健康診断」とそのリストに書き込んで、それを「処理」したことにしてしまうのは、
おそらくその項目を取り出した後、「自分は健康診断を受けるべきなのか、受けるとしたら個別なのか集団なのか。タイミングはいつなのか」を考えることになるでしょう。
その状況をイメージした途端に、「いやいや、それがインボックスの中で行われる最初の処理ではないか」と思い至ったのです。
情報を速攻で処理していかなければならない状態ではシステム1が(だけが)駆動するでしょう。しかし、inboxシステムはあえて迂遠なルートを設計することで、出不精なシステム2にお出まし願えるような形になっています。
⇒「inboxという、判断のためのステップが、生活の中ではうまく機能しないというのであれば、その手前に、より意図的な別の、考えるためのステップを設ければよい」 →「inboxのinboxのinboxの……」
たしかに人が何か理想を持つことが、多様性を排除することに繋がったら問題かもしれません。でも「理想を持つ」と「多様性を認める」は両立できることでしょう。
いわば“理想主義的でない理想”を持てばいいわけです。
――“理想主義的でない理想”、ですか。完璧を求めないけれども、なんとなく理想みたいなものがあって、それには大まかには向かっていく、というような。
僕の場合は、そこからズレても構わないモデルを仮に置くって言いますね。何をやるにしても、モデルを仮に置かない行為なんてないでしょう。やっていくうちに少しズレていくことはあって、そのことによって自分のオリジナリティのようなものが発見されていくわけです。
普段、なかなか動かせない筋肉を動かすと気持ちが良い。身体という機械の動作確認をやっている感覚もある。
それが、学会などで生活リズムが乱れて以来、三週間ほどほったらかしになっていたのだった。なんとなく肩が重い・足が重い・調子悪いな……と思っていたものが、リングフィットアドベンチャーを再開したらだんだん解消された。気分もなんだか良い。
筋トレは一度始めたらやめられないのではないか
筋トレは、身体の調子を整えてくれ、過度でなければメンタルにもたぶんプラスになる。
勤勉でポジティブな人は、たぶんそう捉えているだろう。
アイディアの整理や作業、情報共有はNotionを使用しつつ、結果的にメインメモはEvernoteに戻りました。一元化どころか分散してしまった……。
⇒まあ別に、それはそれでいいんじゃないの
非常に残念ながら、「うまい文章」を書くためには、センス(感覚)が多少なりとも関係してきます。ある種の美的感覚です。一方で、「わかりやすい文章」を書くために必要なのは技術であり、だからこそ誰にでも学習可能なはずであると著者は考えています。
素朴なアドバイスとして語られる「話すように書く」や「見たままに書く」は、その通りに実践すればたしかに文章をすらすらと書くことはできるかもしれませんが、でき上がる文章がわかりやすさを備えている保証はどこにもありません。
なぜ、こうした感覚の話が出てくるのかと言えば、「実務的な文章」と「芸術的な文章」は完全に区分できるものではないからです。むしろ文章の「有り様」は、グラデーション状に連続しています。よって、実務的な文章を書くときにも、感覚的なものが影響を与えますし、芸術的な文章を書くときにも技術的なものが影響を与えます。
「紋切型」とは手垢のついたフレーズを使い回す行為を指しますが、その何がいけないのかと言えば、著者が「考えて」いない点にあります。環境問題に触れる個所では「温暖化を止めよう」と述べ、ハラスメント問題では「規制で禁止せよ」と述べる。もちろん、そうした主張の内容に問題があるわけではありません。ただ、「それって自分で考えて出てきた意見なのか?」と疑いたくなってしまうのです。あたかもどこかのデータベースからコピペされたような印象を受けます。
⇒「いかがでしたか」とか。
「ひとりひとりできることを考えよう」「自分の頭で考えることが大切」「行政がリーダーシップをとらないと」みたいなこととかかな。
昔の情報番組だと、「自己の免疫力を高めて対抗しよう」なんてのもあった。物語上の要請 昨日発表された世論調査によると、「71%のフランス人が公共交通機関内でのマスク義務化を望んでいる」という数字が出て、ちょっとびっくりしています。なぜなら、公共交通機関の中に70%もマスクをしている人がいるとは思えないからです。これだけの人がマスクが必要だと思っているのに実際にはマスクをしていないのは、謎です。何も義務化されずとも、必要だと思っているならば、マスクをすればいいものを
⇒フランス人ですら、状況次第では「(一斉に)強制されたい」≒「支配されたい」ってことを思うんだな。
未だマスクに対する抵抗はフランス人には根深く潜んでいて、マスクをするためには、「義務化されているから仕方ない」という言い訳が必要なのかもしれません。
ここはフランス、日本じゃあるまいし、「推奨する」などという言葉でマスク着用がフランス国民に徹底するはずはありません。
屋内でのマスク義務化が撤廃されてからは、日本とは逆の同調圧力が働き、スーパーマーケット内でもマスクをし続けているフランス人に向かって、「おまえ、いつまでマスクなんかしているんだ!」と絡まれている人を見かけたこともあります。絡まれていた女性は、「ここのところ、花粉症がひどくて・・」と交わしていましたが、マスクをし続けることに言い訳しなければならない・・そんな風潮すらで始めていたのです。マスク着用義務化撤廃とは、マスク着用が禁止されているわけではないのに、日本とは逆のマスクに対する同調圧力が働いているのです。
⇒同調圧力に対する不満。
そういえば、フジロックのCMツイートに付いていたコメント(引用リツイート)なんかで、「マスクはずせよ」ってのが根強くくっついていて、なんじゃこれはと思ったな。「文脈違うじゃん、どこにでも出るんだな」という感想もだけど、「私は外します(はずしてる)」とか、「はずさせてください」じゃないんだよな。、「はずせ」っていう。
この、「意思を押し付けられてる側が、押し付けてくる誰かに、命令し返す」的なムーブ。
何をどう考えても、ぜんぜん何も作業しないことに比べたら、5分や10分だけでも作業を進めておく方が、全体の進捗に役立ちます。
それでも、自分の感覚として、「5分10分しかないなら、この作業にはあまり手をつけたくないな」と感じることがあります。実に不合理です。
⇒本を、「2行だけでも読み進めよう」というのすら、難しい。
愚痴というものは九割がそうじゃないんだよ。あのね、愚痴というのは、天災のように起きてしまったことへの嘆き、自分にはどうしようもないことについての述懐なの。
「つらくなった」と感じて、それを解決する策があっても、逡巡する。逡巡したまま十年二十年過ごすこともある。
逡巡は大きな、そしておそらく重要な人生の要素なんだよ。
あなたの一人称は強すぎる。
そうするとあなたがあなたの考えを述べているだけで「攻撃された」と感じる人がいる。とくにね、ぐずぐずしている人について、「ぐずぐずしたくてしているならそれもひとつの選択だ」みたいなこと言うのは、ほんとうにやめたほうがいい。彼女たちは、ぐずぐずしたくてしているのではない。したいとかしたくないとかのフェーズにいない。
もうすぐ中学生料金になる私ですが、ディズニーランドに行かなくてもいいですか?ホテルも大人料金らしいですけど。と丁寧に娘に脅される。
「若者はすぐ答えを知りたがる」のであれば、大半のゲームなんて、すぐ飽きられて捨てられてしまうはずだ。
だって、発売日当日にラスボスがネタバレされてるんだもの。
でも実際、そうはなってない。
なぜか?
それは、現在のゲームは「解き明かすこと」ではなく、「やりこむこと」を前提に作られているからだ。
最近の人気作は、クリア後も長時間遊べるように設計されている。
レアドロップ系はもちろん、クリア後のダンジョンや隠しボスは当たり前。
定期的にダウンロードコンテンツを配信したり季節系イベントをしたり、称号を用意したりコンプ系コンテンツをつくったり……。
強いボスを倒しても、ほかの武器で戦ったり、より速く倒せるようにタイムアタックしたり、装備をあえて弱くする縛りプレーをしたり。
メインストーリー自体はすぐにクリアされてしまうので、それが終わった「あと」に、どれだけプレイヤーを楽しませられるかが重視されているのだ。
そうしないと、プレイヤーは「6000円も払ったのに2日でクリアした。クリア後やることがなくてつまらない。低評価」とレビューするからね。
「若者はコスパ重視ですぐに答えを知りたがる」で、終わらせないでほしい。
「答えを知ったあとの応用で差をつける」文化だと知ってほしい。
そうじゃなきゃ、若者がただの「ラクしたがり」って結論になっちゃうから。
「とりあえず資料つくって」「まずは自分で企画を考えて」のように、「答えを見つける過程で努力しろ」というのは、若者には響かない。
なんで情報をシェアしないんだ、攻略法を秘密にするなんてケチくさい、と思われる。
でも、「サンプル3つあるからそれを見て資料つくって」「過去の企画の記録を参考に新しい企画出して」というように、「答えを与えたうえでその応用のための試行錯誤」であれば、たぶん多くの人は喜んでやると思う。
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