大人になってやる体育
大人になってやる体育。
大人になって、学校の体育を振り返る。
体育は、一番嫌いな教科だった。ルサンチマン。
「体育が嫌いだったのではなく、体育の先生(や教え方)が嫌いだったのだ」と気づく、
という人をときどき見かけるけど、まあ、体育そのものも好きではないわな。
いやほんと、「なんで使わない筋肉の柔軟性まで落とすんだよ、バグだろ、とっととバックグラウンドでパッチ当ててくれよ、トレーニング・トレーニングとめんどくせえ」って気分にはなる。自分の体に対して。
体を動かすことそのものが、そこまで好きではない。
もちろん、点数の付く教科として体育があること、集団球技などが科目としてあるせいで、苦手な人がチームメンバーから白い目で見られやすいこと、暑さ寒さの影響を食らいやすいこと、運動会や球技大会などでヒーローになれない人間としての実感を味わわされたこと、などが嫌いさにブーストをかけたことは否めない。
ただまあ、これらは、義務教育の下の方では、「色々やらせてみて皆んなの適性を探してみる」意図があるのだろうし、上の方では「受験戦争のガス抜きと学歴社会に対するアンチ感情への手当て」的な面があったであろうから、一応そこは飲み込める。(当時ですら)
で、そうだな。
筋トレをすると、実行中は頭が空っぽになる
体温の産生効率が上がって、冬場の冷えが緩和される
みたいな気持ちよさはある。確かにある。
在宅勤務してみると、通勤時間で気分が調整されていたんだな、と気付いたりね。
ジムでウェイトを持ち上げて、重りをひとつ増やせた! みたいな達成感や
体の使い方の意識を変えたら、ジャンプの飛距離が少し伸びた! みたいな充実感は、それはまああるだろう。
でもまあ、そっちは別にスポーツである必要は必ずしもない。
その意味ではむしろ、『ドラゴン桜』を頂点w に、高校生クイズや百人一首などの、脳のスポ根と言えるものへの希求のほうがやはり強かったし、『なれるSE』的な、身体能力から離れた上での、「みんなで大きな目標を超える」みたいなものへの憧れのほうが強かっただろうとも思う。
このあたりはたぶん、「哲学者、筋トレにハマる」みたいな文脈では、たぶん前景化されないだろうし、「体育の先生が嫌いだったのだ」という人は、たぶん同じくこれらも嫌いなんだと思う。「日本の会社は結局体育会系の人のもので、根性論がはびこっている!」と言って。
from 2022/07/01-2022/07/10