2022/04/01-2022/04/05
#採掘場
タイムラインなどを見ていて、
自分とまったく反対の意見は、やはり、「お気に入り」するなど、心的姿勢として「取り入れよう」とは、なかなかしない。
少し歩み寄ってくれているものは、「そういうこともあるのかな……」と思いつつ読み流しておく
それプラス、自分の好きな領域は、
それもあるけどこれもあるよね
で、半歩ずつ広げていく。
庶民レベル知性の範囲としてはそれくらいがちょうどいい目標。
『外交』(有斐閣)を慌てて読むような生き方
おすすめしたいマンガ
かなり絞ったって30タイトルくらいあるし、
絞って“第一団”・10タイトルだけにしたとしても、かるく200冊とかになるんだよね。どこに置くねん。
上位存在に搾取されそうな行為に見えてしまってで気持ちが悪いんだろう?
嫌なんだろう、分かるよ
空虚と知りつつ、のるしかないのだ
夢の毒
https://twitter.com/finalvent/status/1509309284689248257?s=21
自分も老人になって思うのだが、できるだけ社会に迷惑をかけず、小さい世界で幸せでいたい。ただ、老人の傾向として、大きな世界を幸せにしたいと思いがちなんだろう。露骨に言えば、老人は政治(国政)の関心を薄くしたほうがいいだろう。さらにいえば、その意味での傾向は、40代半ばから始まる。
https://twitter.com/finalvent/status/1509310130936229889?s=21
若い時の幸せって未来に向けて夢を叶えていくことだが、老人でもその惰性があって自分の死後(未来とかあの世とか)までなんか夢を描きがち。むしろ、年取ったら、幸せも小さい範囲にしたほうがいいと思う。
https://twitter.com/finalvent/status/1509310843774980097?s=21
そうした意味での「老化」というのは、30代半ばから始まり(世界観の固定化)、40代半ばで顕然(不満の主張)となる。自然的傾向だんだろうが、この際、自身のこうした意味での「老化」には気が付かず、老人を外化しがちになる(自分は老人ではないと思っている)。
⇒夢が小さくなる一方で、負わされる責任は大きくなっていくのが、なんとも。
⇒世界がまだよく見えないころは、願望だけで絵を描けるから、夢を大きく描いても純粋でいられた。
しかし、社会がよく見えるようになってもなお、大きな願望を描けば、それは社会に対する呪詛になってしまうということなのかな。
こんだけの残虐行為が行われてしまうと、「悪いのはプーチン1人」や「兵士たちは訓練だと言われて連れてこられていて、士気も低い」みたいな話も受け取れなくなっていくよね。
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https://cyblog.jp/46246
不安は不快ですから、不快になったとき私たちはごく自然と
誰が悪いんだ?
と考えがちなのです。
この類いの不安に耐えきれないので、雲行きがあやしくなって、行き詰まりの感覚に耐えがたくなると、積極的に関係を壊してしまうある種の「悪習慣」があるのです。それが「躁的防衛」と名づけられているわけです。
いっくら女に振られても平気だと思っている男とかいるでしょう? ワッハッハみたいな。「あいつはどうしようもないやつだからいい」という、そういう世界ですね。
平然としていたいという気持ちがあっても不思議はありません。
なんらかの理由でそういう気持ちが非常に強まると、失う辛さを自覚するまいとして相手の悪事を見つけ出すか、なければねつ造してでも「相手を切り捨てる」わけです。
⇒すっぱいブドウ?
なにもいつもいつも時間ぴったりにきてほしいというわけではない。
でも私がいつも先に来ているというのは不公平ではないだろうか?
もしかして私を見下しているのかもしれない。
意識的ではないにせよ、そういうふうに私が思うことにすら気づかないようなら、もう関係は打ちきったほうがいい。
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2203/24/news073.html
例えば、2007年当時のmixiでは、ユーザーの70%以上の人が日記を書いていたといわれています(参考リンク)。掲示板では5%も書いていなかったのに、SNSでは70%が書いたというのが革命的だったわけです。
Web2.0の提唱は、SNSが流行りだした後だから、後付け感がすごいですね。
けんすう そうなんです。Web2.0の提唱よりも、サービスが流行るのが先だった。だから「なんか当時来ていた、モダンなWebサービスを総称して、それを整理したのがWeb2.0」だと言えるわけですよね。
⇒整理すると、他にも似た傾向のものがこれからヒットさせられるかもしれない、と言う期待感が出る。
ドワンゴ創業者の川上量生さんもかつておっしゃっていたように、「インターネットによってコンテンツの実質的な多様性が減る」という面もあったと思います(参考リンク)。投稿が増えると、人気があるもの(ランキング上位)にユーザーが集中し、人気コンテンツはより人気が高まります。制作者も、人気が出そうなコンテンツを投稿しようと考える。
2008年ごろから、PCの普及率が上がるとともに、中川純一郎さんの言葉を借りると“バカと暇人”が参加するようになり、“ネットでお互いに貢献しよう”みたいな意識が希薄化してきたイメージがあって(参考リンク)。
けんすう 「かしこい人達が使ってたから居心地よかった」というよりも、おそらく、「同質性が高い人達が使ってたから揉め事の発生数が高く、また、その解決へのスムーズさが高かった」という感じなのかもしれませんね。
ゆかたん そうですね! 同質性。例えば、オタクコンテンツが必ず愛されたり(炎上したりしない)とか、プログラミングや科学、数学知識などが好まれる世界でしたね。
⇒「発生数が高く」は、「低く」のタイポかな?
ゆかたん 2020年代前後、Twitterが普及して以降、ネット上で、ユーザー同士の分断が露わになったというイメージがあります。両極端な意見が目立つようになり、意見の衝突が増えたような……。
けんすう どちらかというと
(1)ユーザーの参加率があがった
(2)情報が多岐にわたるようになった
(3)それによって、情報量が圧倒的に増えた、そして見きれなくなった
(4)リコメンドやパーソナライズがだんだん発達していき、ほしい情報へアクセスしやすくなった
(5)特定のセグメントや趣味趣向で情報やユーザーが固まるようになった
(6)Web2.0の特徴の一つである「信頼性」……言い換えると、「多様な視点があるから、バランスが崩れなくて、正しい解答を導ける」という理想は、意外と起こらなかった
⇒幸せな浅い水たまりでちゃぼちゃぼやっているくらいのほうが、ネットの(多くの人の)使い方としては満足感が高いのかもしれない。
そう考えると、「わざわざ外の世界を、時間あたりでは少しずつでも、つまんでいってみよう」という人は少ないし、そういう人の予備軍は大事に導いていこう。
さらに、カメラやマイクがついていて、テキスト入力以外で表現できる。文章に自信がない人たちも、動画や音声で豊かな表現ができる。それがユーザーのネット参加率の向上につながったんですよね。
例えば、価格コムのレビューは、文章を書くのに抵抗ない人達じゃないと投稿できない。小学校2年生が価格コムのレビューで「小生、カメラは今年7台購入しているが、撮れる画像はこの機種が一番だと考える。しかしバッテリーの持ちには不満が残る」とかは書けないですよね。
でも、TikTokに動画を投稿したりはできる。小学校低学年でもTikTok流行ってるって言いますし。ブログで長文は書けなくても、Instagramで好きなファッション小物の写真をアップするだけなら、多くの人ができますよね。
ゆかたん スマホは今や赤ちゃんでも見るし、操作もすぐ覚えますしね。スマホが、Webの閲覧数もいいね数も投稿者数も、劇的に向上させた。スマホはWeb2.0をぐっと進めたんですね。
こどもの参加率でいえばスマートスピーカーもすごいですよね。うちの息子は2歳からスマートスピーカーと会話していて。スマートスピーカーから「投稿」することはないですが。
けんすう スピーカーに話しかけることによって、検索内容などのデータがサーバに蓄積していくから、データを送っているという点では投稿に近いかもしれません。データが取れれば、データに基づいてよりUI、UXが改善され、さらに投稿も増えていきますよね。
⇒価格コムのレビューすら文章の能力、か。そうか。言われてみれば。
そう考えれば、怒りのぶつけ先を探す人が配送者なんかへの☆1評価をAmazonレビューに書くのは、まだしも“能力は”あったことになるわけか。
そして、そのレベルの「考えをまとめて、文章を整理して、文章を書く技術とそのモチベーションの保ちかた」となると、もはや実用書で教えるレベルではないかもしれない。
けんすう そうです。Web3の思想をWeb2.0企業にたとえて言うと、「Googleの検索の質がいいのは、私達のデータを使っているからだ、だから検索を使っているユーザーの50%がGoogleの資産の権利を持つ」みたいな世界観ですね。
ゆかたん Web2.0のころのインターネットって、既存の大企業の固定化した世界を根元から揺るがして、より人々を平等にしていく、みたいな理想があったと思うんだけど、結局、Web2.0企業に富が集中したわけですよね。そこから脱するのがWeb3かもしれない? っていうことですね。
Web3は、お金の動きが 2.0と”逆”
ゆかたん でも、Web2.0が「既存のもののまとめなおし」だったのに対して、Web3はわりと「今からつくるもの」「できたらいいもの」ばっかりな気がして、Web2.0ほど未来にあてはまるかどうかは分からない気がしますね。
けんすう それはその通りかも! Web2.0という概念が提唱されだしたのは、SNSとかWeb2.0型と呼ばれるサービスが出た後でしたからね。Web3はどちらかというと「技術的にこういうことできるよね」という話が先行している。
ゆかたん 確かに! Web2.0と3では、お金の順番が逆ですね。Web2.0は、基本無料のフリーミアムだったし、「儲からないのでは」ってずっと言われていましたよね。
けんすう まさにWeb2.0が提唱された直後の06年、Web2.0企業だったと言えるカカクコムやクックパッド、アットコスメの人たちが、「口コミメディアは儲からない」と話していたぐらいですからね。
ゆかたん Web3は、お金(暗号通貨)が引っ付いてくるのが大前提なんですよね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3ea46c042ce71e2cd44e5e017c296e012246148?page=5
よく言われることだが、この戦争の前まで、ゼレンスキー大統領はウクライナ国民からそれほど人気はなかった。今年2月までは支持率は41%だったが、ロシアが侵攻してきて徹底抗戦をすることで91%と爆上がりした。これは、対するプーチン大統領も同じで、これまでクリミア半島などで戦争を仕掛けるたびに支持率をアップさせている。
これは裏を返せば、国際社会の圧力などで、軍を撤退させたり、和平交渉を進めたりすると、ゼレンスキー大統領やプーチン大統領の支持率はガクンと下がって最悪、愛国的な政治勢力から批判されて権力の座から引き摺り下ろされる恐れもあるからだ。
つまり、一度始まってしまった「正義の戦い」が、自国の国民が犠牲になってもなかなかやめられないのは、リーダーたちの「保身」もあるのだ。
p4
断っておくが、だからアメリカや西側諸国に協力するな、などと言いたいわけではない。今の日本が置かれている状況を考えれば、ウクライナの全面支援をするのも当然だ。ロシアから敵国扱いされてもこの「正義の戦い」に参加しなくてはいけない。
ただ、歴史を学べば、「正義」を掲げた戦争の多くは一度始まってしまうとなかなか止められないでエスカレーションして結局、犠牲になるのは指導者ではなく国民という厳しい現実がある、ということを指摘したいだけだ。
https://note.com/fromdusktildawn/n/n0007fb024247
また、我々が「中年になると感受性が衰える」と錯覚してしまうのは、損失回避バイアスという認知バイアスも原因の一つだろう。
この認知バイアスによって、人間は、失う痛みを、得る喜びよりも強く感じる。
だから、「若い頃の感受性が失われた痛み」を過大評価し、「中年になってから新たに感受性を得た喜び」を過小評価してしまうのである。
https://president.jp/articles/-/56072?page=1
注射で体内に異物を入れることに、経口薬よりも一層強い抵抗感を抱いているケースが多かった。
「専門家の説明はわからないことが多くて頭に入らない。聞きたくなかった」
そもそも、科学的な話に苦手意識を持つ人が人口に占める割合は決して少なくない。内閣府の「科学技術と社会に関する世論調査」(平成16年2月調査)によれば、「科学技術に関する知識はわかりやすく説明されれば大抵の人は理解できる」という問いに対し、「あまりそう思わない」と答えた人は19.3%、「そう思わない」と答えた人は16.0%を占めた。
「機会があれば、科学者や技術者の話を聞いてみたいと思うか」という問いへの回答では、「あまり聞いてみたいとは思わない」が22.8%、「聞いてみたいとは思わない」が24.4%だった。つまり、日本人の実に3分の1以上は「科学的な話は理解しにくい」と考えており、半数近くは「科学者や技術者の話はできれば聞きたくない」と思っているわけだ。
⇒猫に小判なんだね
「尾身さん(尾身茂・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)のことが気に入らない人はみんな、『偉そうに指図しやがって』と思っている」(元陰謀論者の40代男性)。「そうなったらいいなと思っていることを、専門家に『間違っている』と言われるのは嫌がらせをされているように感じる。こんな雰囲気が仲間うちにあった」(元陰謀論者の20代女性)。
⇒私なんかはヒューリスティックを知ること、学ぶことはおもしろくてたまらないけど、お花畑に安住させてくれない人を逆恨みする人がいるということか。
彼らはワクチンを批判する情報に感化されて反ワクチン派になったのではない。まず知的エリートへの劣等感や医療への不信感があり、そうした感情を正当化したり肯定したりしてくれるものとしてワクチン害悪論や陰謀論に引き寄せられた面が大きいのではないか。
⇒まあ、自分にとって都合のいい論を探してそれで武装しておけばいいと行動パターンは確かにありそう。
オウム真理教の教祖や幹部は信者たちを洗脳と恐怖で操縦していたが、「信者をロボットのような言いなりの存在とは考えていなかった」という。
教義や洗脳で信者に植え付けたものをやすやすと裏切れないと自覚していた幹部たちは、たとえおかしな論理だったとしても、それなりの整合性を取ろうとしていた。麻原彰晃が悪質な犯罪行為をヒートアップさせていった原因は、こうしたつじつま合わせの動機にある。
https://president.jp/articles/-/55218?page=2
日本人は米国人や中国人と比較して他人の足を引っ張る傾向が強いとの結果が得られたそうです。
この研究は被験者にゲームをしてもらい、公共財に投資をすると自分はその利益を得られる一方、公共財であることから相手にも利益があるという状況を想定し、被験者がどのような行動を取るのか確かめるというものです。
相手がタダで利益を得ているといっても自分も儲かるので投資は行うという人と、相手がタダ乗りするのは許せないという感覚から、自分の利益が減っても、相手の利益をさらに減らそうとする人に分かれるのです。
自分の利益が減っても相手を陥れようとする行為を学術的にはスパイト(悪意、意地悪)行動と呼びますが、
日本人は他国よりもスパイト行動が顕著なわけですが、この実験を繰り返していくと、他人の足を引っ張る行動が制裁として機能するようになり、徐々に協力的になっていくという結果が得られたのです。
⇒まあ、そうでしょう。フリーライダー叩きは、正義心の重要な一パーツですから
https://news.yahoo.co.jp/byline/satoheigo/20220402-00289488
日本の軍事・安全保障研究は、人材面を含め、防衛研究所や防衛大学校の創設期より、慶應大学を含む一部の大学に大きく依存してきた。
衛省関係者などが発信すること自体を問題視している。両名誉教授は、発言を封じることを意図したものではない、と反論するだろうし、それは事実だと思う。しかし、防衛研究所の研究者が経験してきた社会からの非難や、向けられてきた偏見を振り返ると、両名誉教授の発言に危うさを感じざるを得ない。
安全保障問題に対する国際社会の関心の高まりを背景に、日本の政治選択を検討すべき日本の言論空間において、かつてのように「信教」に支配され、社会の分断を自己目的化している状態に戻ることを目指す人々に、両名誉教授の発言が利用されることを懸念するものである。
分断を目的とする、というのは分かりにくいかもしれない。誤解を恐れずにいえば、軍事・安全保障研究の成果を認めず、その研究から導き出される政策議論を拒否する、ということである。
日本では抽象的な意味での「外交」で対処すべきと諭される。
もちろん「外交」は重要である。しかし、外交交渉が成功する条件とは何で、対話や合意がなぜ成立し、それがなぜ維持されるのか、という問いに、日本の論壇は真剣に向き合ってこなかった。外交交渉においては、日本が相手に「お土産」を渡し、それで相手に好意的な取計を期待する、というスタイルが好まれ、日本経済が国際的に優位な時代はそれを楽しんできた。
また日本では、中立的な立場から紛争当事国の間で仲介的な役割を果たす、というスタイルも好まれるが、それは当事国両者に影響力を行使できる能力があって初めて可能になる。そして残念ながら、経済援助という形での経済協力は、それほど大きな影響力を発揮してこなかったし、今後も期待が持てないだろう(ただ、対立する両勢力に経済的なインセンティブを示し、日本主導で成功した仲介で思い出すのは、カンボジア和平である)。ただこれらスタイルは、「平和」的で、「協調」重視、ということで、支持され続けてきたのである。
提起された問題や情報に関して議論を行う知的基盤が、防衛研究所や防衛大学校の他にないことが、日本の安全保障論議にとって決定的にマイナスとなるということである。
日本の論壇内で、積極的に軍事・安全保障問題への研究を進め、防衛研究所の研究員たちの発信に対抗できる知的基盤と政策コミュニティを構築しないと、日本の議論が全体として埋没することになる。
議論の健全さを保つためには、軍事問題を扱わないのではなく、積極的に扱う必要がある
https://toyokeizai.net/articles/-/173790?page=3
なぜ、幸せはU字型になるのかといえば、われわれは歳を取れば、過度な期待をしなくなり、より賢くなり、現実を受け入れることができるようになる、と考えられているからだ。一方で、アジアでは「お年寄りは敬われるべき」といった社会的通念が強く、日本でも歳を取るにつれ、(年功序列などで)ステイタスを手に入れる構造になっており、「期待値」が下がりにくく、現実との乖離が生まれてしまっているのかもしれない。
幸福に影響を与える要因はいろいろとあるが、最も大きな決め手となるのが、その人の社会的な関係性だ。孤独は健康面にも支障を来し、幸福感に大きなダメージを与える。特に関係性の中で、日本が西洋の国と大きく異なるのは、たとえばアメリカやイギリスのような個人主義の国では、歳を取って子供と一緒に住むことを期待していない、ということだ。
⇒しかし、敬われることを望まず、孤独にも逃げないというのは、めちゃくちゃ疲れる生き方だ。歳とってからそれをやるのか。
https://toyokeizai.net/articles/-/256847?page=3
女性がお互いの目を見ながら、向き合うface to faceのコミュニケーションであるのに対し、男性はテレビでスポーツを見たり、ゲームを一緒にするといったように、互いに肩を並べて、shoulder to shoulderのコミュニケーションをとると言われる。
やせ我慢
https://ameblo.jp/official-counseling/entry-12631368221.html
狩りに出るのは体格に勝る男性達の役目。
遠い昔にはそんな時代があったかと思います。
そこで男性達は嬉々として狩りに出掛けていたのでしょうか。
いえ、おそらく当時の狩りは毎回命がけだったんじゃないかと思います。
危険な場所に行ったり、危険な生物がいたり。
そんなところに行くってどんな気持ちだったんでしょうね。
おそらく、行かなくて良いなら行かなかったでしょう。
なぜなら、「怖かった」はずだからです。
でも自分を奮い立たせて危険に挑まなければ、家族を養っていけません。
だから男性は怖いという感情を押し殺すことで、命がけの狩りにも行けたのです。もしここで「怖いから行きたくない」とでも言えば、周囲から白い目で見られてしまった可能性は否定できません。
ですから、そういう勇敢な男でないと周囲から認めてもらえないだろうと、
どの時代の男性もそんな風に思い続けてきたのかもしれません。
男らしさというものには、そんなルーツがあったのかもしれませんね。
⇒別にエビデンスがあるわけでもないだろうけど、比喩としては魅力的だ
⇒逆に、「可哀想だと思う人に対して、感情に素直に、ケアする・寄り添う・連帯する」みたいな能力は側方抑制されやすかったかも(これもエビデンスはない)
⇒エロスとロゴスって、誰が対置させた言葉だったか
⇒割と自分も中学生くらいまでは、本気で男になんかなりたくなかったなあ。
https://toyokeizai.net/articles/-/578282?page=3
また、ユーザーの情報欲求の高まりの背景に、SNSでの対話機会の増加もある。とくにネット世代は、YouTubeやTikTokなどでお気に入りのインフルエンサーから情報を得ようとする一方、自らの見解や関連情報の投稿、発信に積極的な人が増え、SNSにおける活発な議論が見受けられるようになっている。情報に対してハングリーな人が増え、ドキュメンタリーがその格好の受け皿になっているようだ。
事実を伝えるのはテキストでもストレートニュース映像でもよいが、SNSで語り合う意見を出すための情報を得るにはドキュメンタリーで深掘りする。ドキュメンタリー好きの欧米の若者のように、良質なドキュメンタリーで情報を深めて自分の意見を持つカルチャーにつながるとさらに裾野は広がることだろう。
https://blog.tinect.jp/?p=75925
「感情的」と「理論的」は反対の位置にあるものだと思われがちで、だからこそ「感情的な言葉や態度」は状況によっては大きな効果や影響があるのです。
「感情的」=「本心」だと多くの人は感じやすい。
https://twitter.com/codeblueflower/status/1306191036377522176
オーストラリアで他の国の国旗をオーストラリア国旗と一緒に掲揚する時は、オーストラリア国旗を最初に揚げ、最後に降納するという手順を守らないと罰金を取られるという話を聞いて震えている。
オーストラリア国旗プロトコル
pmc.gov.au/sites/default/…