2022/03/01-2022/03/10
#採掘場
「外にこぼれそうで嫌だ」感
今、ウクライナには、「正義」と呼べるほどの筋が集まっていると思うけど、そうなると当事者は一身上の都合で保身を考えていられない状況にもまたなるわけで、そう考えると「正義」なんてものもまた、「呪い」の一種かもしれない。
やらされ感よりさらにきつい、自分からやらされ感
(他者がいることで、前向きに仕事ができる感じ)
演技≒相手を思いやること
擬似チャットシート
心に演技が入る
←2022/02/11-2022/02/20/2022/03/11-2022/03/20→
https://blog.tinect.jp/?p=75370
「なぜそうなったのか」という過程がどうであろうと、結果として物語が盛り上がればそれでいい。
https://blog.tinect.jp/?p=66145
だれかに「これが正しいよ」と言ってもらえたら、喧嘩せずに済むから。考えずに済むから。
https://lp.p.pia.jp/article/essay/987/220557/index.html
子どもは成長して学校を卒業し学生服を脱ぎ捨てると、すぐにスーツ(当時の名称は背広)を身につけるようになるのが当たり前だった。
「若者の聴く音楽」というジャンルが存在していなかったのである。子どもを脱して大人になると、人々は流行歌やジャズを聴いたのだった。
こういう時代に、ジーンズはファッションにおけるカウンターカルチャーの重要なアイテムだったのである。ジーンズを履きこなすことは、成熟した大人になることを拒否することであり、永遠の若さを希求することであり、自由と反権力の象徴だったのだ。
カウンターこそが素晴らしい文化であると称揚した。メインカルチャーをになう大衆は組織の歯車であり、愚かな順応主義の犠牲者であり、浅はかな物質主義に支配されて空虚な人生を送る人たちだ、と突きつけたのだ。
「おれはおまえらと違って、体制に騙されたりしない。愚かな歯車ではない」
⇒既定路線しかない世界で、いったんメタに浮かび上がりたい衝動ってのはよくわかる。アンチにしか見えないけど。
⇒私は、「アンチのアンチ」になりたくなることのほうが多かったな。
https://note.com/rashita/n/n8db5ce1efb45
情報を扱うための基礎的な力を持つ個人が、さまざまな機器と時間をある程度のお金を有していること。(中略)
そうした事態が重なるとき、「個人が情報を扱うための、基礎的な技術」に注意が向くのは、そう不自然なことではない。
人々の熱量を集めるための「場」(≒メディア)が必要である。
想いが社会的に存在していること。次いで、その想いに応える「メディア」が存在していること。この二つである。
知的生産の技術は、(中略)「新書」というメディアがあった。
仕事術は、(中略)「ビジネス書」というメディアがあった。
ライフハックは、(中略)「インターネット/ブログ」というメディアがあった。
結局のところ、ある種のブームというのはニーズだけでは生まれないのだろう。そのときホットなメディアとセットになってこそ、そしてその両者の相性が良いからこそ生まれるものだと感じる。
https://blog.tinect.jp/?p=75242
「スターバックスが一番センスのある」地域に住んでいる若者はどうすればいいのか
そうした地方都市にも「高すぎず気取ってなくて居心地のいいそこそこセンスのある美味しいお店」が皆無というわけではない。
たとえば居酒屋・甘味処・蕎麦屋といった特定分野に限っていえばそのようなお店があるといえばある。
ただし、それらのお店は地域に1軒だけで、同じ分野の優れたお店と比較する余地は無い。
フレンチ・イタリアン・中華は壊滅的だ。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220306/1646551800
振り返ればテキストサイトの盛衰があり、個人ニュースサイトの盛衰があり、ブログとブロゴスフィアの盛衰があった。たくさんの面白いブログが現れて消え、書き手もまた、そうだった。しかしてブロガーとブログが死に絶えたわけではないのだから、寂しくなったと嘆いた後は、私は手を動かそう。いやしかし、寂しいものですね。
https://nhkbook-hiraku.com/n/n1dd989ab320b
私たちが潜在的に抱く恐怖は、ある種の人々を逆なでしますよね? その人たちはおびえる母親を見るとまず最初に、自分が悪者になったような気がして、不安になります。次に自分の特権性がつまびらかになり、罪悪感が湧いてきます。そして、それを全力で打ち消したくなります。目の前の母親が大げさなのだと、おろかなのだと。自分は恐怖を抱かれる存在などではない、と証明したくなります。だから、母親を揶揄したり、攻撃したりします。
⇒揶揄する……、というか、自分を認めてほしくなって、笑いのネタにしてしまう、とかなんだろうな。
⇒後ろめたさ、ってのは、感動、ってことでもあるから、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」「俺も頑張ろう!」とでも思っておけば、他人の迷惑にならなくてすむかもしれない。
https://bunshun.jp/articles/-/52420?device=smartphone&page=3
山添 プーチンももうすぐ70歳です。歴史に何を残すのか、歴史に自分がどう記憶されるかを考えたとすれば、彼にとっての一番の失政は、2014年から今までのウクライナの離反なんですね。偉大なロシア帝国を20年も引き継いできた自分が、ウクライナを永久に失ったとは書かれたくない、と思ったのかもしれない。
https://note.kishidanami.com/n/n5e12153f9648
愚痴だよ!
「岸田さんは文章が上手いから、読んでておもしろかったよ」
「おもしろい!?」
「なにが起こって、どんな捉え方をして、どんな感情になって、なにを悩んでるか、悩んでないかが、よく伝わるから。そういうのは愚痴じゃない」
一年前、運転免許の試験に落ちに落ちて絶望し、つらつらと己の不甲斐なさを嘆いていたら、佐渡島さんは
「おっ!話が進んでるね!」
と言ってきた。確かに、人生を物語に例えるならば、喜劇であれ、悲劇であれ、一応は話が進んでいるのだ。失恋しても、金を失っても。ページをめくれ。物語を止めるな。生きろ。
「文章が下手だと、書きたいことがちゃんと書けてないから、読み手が本意を察してあげないといけないんだよ。書かれてないことを察するのってカロリー使うし、読み間違えたら余計に病ませちゃうから、かなりしんどい。そういう文章を愚痴とか、呪いっていうんだと思う」
「>>1 乙。なんもできんが、ゆっくりしてけ」
「俺の母も>>1の父ちゃんと同じ病気。いきなりでつらいよな」
「( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲め」
「中学生でねらーwwww >>1の父ちゃんガンガレ」
「寝れなかったら目閉じてるだけでも体力戻るってよ」
高校生のころから、ずっと聞いている曲がある。BUMP OF CHICKENの「fire sign」だ。
あ〜、これ、高校の教室の机に無心で彫ったわ。
https://blog.tinect.jp/?p=75400
在宅勤務中もタバコを吸わせない動きが象徴しているように、個人の身体の専従性や所属性が不透明になっていった時に私たちに要求されるのは、「不透明だからなんでもアリ」ではなく、「不透明だからこそ、いずれの専従先や所属先の要求にも応えられる」、そんな社会適応となるよう、私には思われる。
世間で広く想像される人間と家畜の関係そのものにはあたらないかもしれない。
だとしても、管理の手技は家畜を効率的かつ健康に飼育し、その家畜からのアウトプットを最大化し、その家畜についてまわるリスクを最小化する時の手法と基本的には変わらない。
それなりには種としての将来がないほどに、火に適応してしまっている。
……本当の意味で、火はわたしたちを家畜化している。その小さな、しかし雄弁な証拠として、一切の食物を加熱調理しないことにこだわる生食主義者は例外なく体重を落としている。
人間の自己家畜化のプロセスについては、著者によって強調するポイントがさまざまで、たとえばこの『反穀物の人類史』では、農民が強力な中央集権国家によって管理されるような歴史のステロタイプに異論を唱えている(し、そこが同書の面白いところでもある)。
⇒「それなしには」かな?
「自己家畜化」って字面がきつすぎる