2022/02/11-2022/02/20
中身は未読だけど、これだけの目次を作り上げてもらえると、それだけで価値があるというか、中身は自分で考えてみるのもいい、ってくらいの目次だよな。
⇒タイトル大全、って出てきたからスルーしかけたけど、作者名で踏みとどまるw
村外れの山の上の長老
数も多いし、そんな生活ができるわけもなく
たぬき合戦後のたぬきのようにまぎれて生きる
別の目があるだけで生きやすくなったりするかもしれない
暗黒の中にいて焦点を合わせる
全体が頭に入っていて、今やったことと次にやることの効果と動作イメージが明確に思い描けること。≒自信
恐怖や疲労ですぐうまく働かなくなる
希望:ほしくていける。そしてまだ始まってない。
自由意思がないのなら、いつでもひねくれてみることにして、
「そもそも」「どういうことでしょうか」を全部ブラケットしたらどんな風につながるのか、とか。
タスクリストとは何か⇒リビジョン
整理とはなにか⇒「超」整理法
・箇条書きとは
・それを使って人を管理するとは
・ログとしてそれが残るとは
語りたい気持ちベースで小見出し一つを立てないのか?
8割原則で作ると、コモディティになってしまう
語りたい気持ちが出てくると、いつもの文体に
1:14
scrapboxはトップダウンではかけない、アウトライナーはまだできなくも
思うように書いているから、ビジョンのようにはいかない
やわらかさを後から付け足すことはできない
音声入力だとどうだろう?
こだわりかどうかすらわからない、欲望としか
思念ではなく他者、ということは、区切られていて、自立しているということ。それは自我にとって、何だ?
ビジネス書の正論が、他者を必要とするニーズに応えているのと同じように、文学としての他者の存在感の温もりというのはあると思う。
脳の中の冷たさに対する、肉体が存在する世界の温もり。
いばっていること、つよがっていること、他者を責めていること、許せていないこと、あきらめていること、しがみついていること、こだわっていること依存していること、見て見ぬふりをしていること
「痛いところ」を突かれることこそが、小説のきらめき
“気になり” に優先順位がつく人たちの
他人を働かせる
しかしそれは、自分が他人に働かされているということでもある。
表面上似ているものを手掛かりに分けると、分類学的な綺麗さは出て、合意形成もしやすいので、つい、そうしがちですが、それではだめで、難しい、合意もしにくい「本質が似ている」もので、分けてほしいのです。
そうして、分けてみると、本質はよりハッキリする。
ハッキリしたそのエッセンスに立脚して、発展案が出てくる。
⇒発展案を導くためにこそ、抽象化があり、
⇒群にまとめるとは、本質をはっきり見せるために他と分ける。
「でも、その本質を突き止めるのは難しいでしょ?」
と、言う声も聞こえてきそうです。はい。実際はそうです。
なので、本質があぶり出されてくるまでは、”一旦、わかりやすい切り口で分けてみる”んです。
で、違和感が出てきて、分けなおしてみる。
まるで米ソ冷戦時代の相互確証破壊みたいですね。相互確証破壊というのは、「相手から先に核攻撃を受けても、相手を報復して叩きつぶすことができる核戦力を持っていれば、相手は攻めてこないと双方が考える」という概念です。
この相互確証破壊って、最近の日本のツイッター界でも見かけます。相手に炎上されそうになったら、逆に相手を炎上させてしまう。そういう能力を双方が持つと、怖くて相手を炎上させられなくなる。その結果、ツイッターは平和になる。つまりは「冷戦時代の平和」が最近のツイッターの一部にもやってきているのかもしれません。
そういうシンドイ時期をクリエイターは薄氷を踏むかのように綱渡りしていくのだが、多くの人は薄氷を踏み抜いて創作が無理になる。
また、クリエイティブは仕事の成果も気分変調に直結しやすい性質がある。
例えばかなり気合をいれて作った成果物が全くといっていいほどヒットしなかったり、あるいは自分が意図していない形でもって批判されたりと、とにかく落ち込むようなネタには事欠かない。
その逆である予期せぬアガる反応をもらえる事だってもちろんある。
が、これもまた難しい問題をはらんでいる。それはアガったらアガっただけ、ちゃんと落ちるのだ。
たまに「普通の会社務めが無理だと思ったのでクリエイティブを志した」という人をみかけるが、その手の人種はメンタルがあまり強くはなさそうで終わりなき気分変調の荒波に耐え続けられるとはとても思えない。
夢がない話で恐縮だが、個人的には気分変調と仕事パフォーマンスの相関関係が弱い会社務めの方が多分向いているのではないかと思う。
「戦争は(※権力者にとり)自らの反民族的な権力を保ち、国民から奪った財産を守るための手段である。我々ロシアの将校は大統領に対し、戦争を挑発し、結果的に結束した西側の軍に対抗して孤立するような犯罪的な政策を止めるよう求める。(国民主権を定めた)憲法3条にのっとり、辞任を求める。
⇒※註はいっき。かなあ?と
⇒ロシアって、国民主権だったのか。
過去の記事でも概説したが、他者を模倣し、競合せざるを得ない存在として人間を捉えたジラールからすると、狭義の「政治」は、競合のストレスを解消するために、繰り返し誰かを犠牲にするシステムの代表である。
私たちが様々なアプリやデバイスを通じて不可避的に影響を受けるシリコンバレーの思想を見極めるためにも、カウンターカルチャー思想の影響と展開を検討する作業は継承されるべき課題である★1。
問題は、被害者意識を持った人の逆張りが視聴者を惹きつけるという、コロナ禍でさらに強化されてしまった言説空間の傾向であり、それを利益に結びつけるSpotifyのようなテック企業の姿勢にこそあるように見える。
1995年にイギリスの社会学者、リチャード・バーブルックとアンディ・キャメロンが指摘したように、シリコンバレーの「カルフォルニアン・イデオロギー」が右派の新自由主義と左派のカウンターカルチャー、東のヤッピーの起業家精神と西のヒッピーの急進主義のハイブリッドなのだとしたら、最初から矛盾を孕んだこの運動体
⇒「介入や束縛をする政府は倒すし、俺は人の世話になんかならなくてもやっていけるほど強い」って思想の原風景って、異様に風通しがよくて憧れはするんだけどね。
言うまでもなく、被害者意識とは真の被害者にとっては絶対的に不可欠なものである。
更に、選民意識とカップリングした被害者意識もまた、たとえいささか病的だったとしても、歴史上多くの芸術家、政治家、哲学者、起業家など、社会に変革をもたらそうとした人たちの動機になっていたはずで、それ自体が悪いものだとは言い難いだろう。
そもそもこうした他者への嫉妬とないまぜの被害者意識(ニーチェなら「ルサンチマン」と呼ぶ感情)は、人間社会で生きる限り完全に免れることは不可能である。
問題は、ドーブがいみじくも指摘したように、(中略)言説空間が被害者意識と逆張りに支配され、現実の権力構造、すなわち誰が本当に被害を被り、苦しんでいるのかが、ますます見えにくくなってしまうことである。
前時代的でナイーヴな手段かもしれないが、排除と逆張りとは異なる論理、そのような空疎な関係性に解消されない実のある思想やコンテンツ以外に、この言説空間を解毒していくものはないだろう。
★2バーブルックらは、政府の援助によってしか個人の自由が実現できない点にも「カルフォルニアン・イデオロギー」の矛盾を見ているが、ティールはその矛盾を見越した上で、共和党、さらには政府に対するテック企業による文字通りの支配を進めることで、独占的な自由を実現しようとしているようにも見える。