2022/02/21-2022/02/28
#採掘場
共感と他者性の両立が文学かも
小さなことでいいから、朝はまずは夢中で走り出したい
男が戦国時代を好きなのは、それが「血湧き肉躍る活劇」への憧れに応えてくれるから、というのもあるけど、
あれがある種の実力主義で、時代の結果に必然性らしきものを見出すことができるからというのもあると思うんだよな。
「暗殺だらけの奈良と平安初期」とか、「誰が勝ってもおかしくないし、誰が勝つことも別に望まれてないし」って感じがして、
命は消えてるし、重大な権力移動は起きてるはずなのに、ブラウン運動にしか思ないもんな。
何をしても怒られそうな想像がつくとき、それぞれの怒られの痛みは加算されて立ちはだかっているように感じる。実際に選ぶ道は一つで、受けるダメージはそのうちのひとつだけなのだとしても。
ウクライナが侵攻されたタイミングで、「反戦」というハッシュタグが盛り上がって、同時に「『反戦』と言ってるだけで平和は訪れない」と発言した人が出たり、それが叩かれたりした。
私は私で、「反戦」という言葉は、「ウクライナはさっさと降参すれば戦闘は終わるし、東部2国をほしいならあげればいいのに」みたいな感情を併せ持ってしまいそうなのが嫌で、うまくその流れには乗れなかった。
「武器を使いたがる奴は、どっちもどっち、野蛮人、戦争=戦闘=人が死ぬ=悪」とか、そういうことじゃなくて、今回のはロシアが(プーチンが)一方的に悪で、「ロシアは戦闘をやめなさい。ロシアが自分からはやめないとするなら、やめさせるために、ウクライナと西側諸国はやり返さなければならないし、やり返すべきだ」くらいのことは思っていた。その辺を全部煮詰めて漢字二文字で「反戦」
となら言いたかったのだけど。
そして、そこからさらに状況が進み、ウクライナの市民は武器を取って都市ゲリラをして、一日でも長くロシア兵を泥沼に引き摺り込んで、双方消耗戦で血を流して、その間にロシア国内で反戦デモと警察が衝突しまくって、プーチンが諦める、というシナリオくらいしか展望を持たなくなってしまった。
それを他人が、安全な場所から「願う」ことが人倫としてどうなのか、とは思いつつ、私は私が、それを「願う自分」であることを選択している。
そしてもし、自分がウクライナの市民だったらどうしただろう。もちろん、事前に家族ともども国外脱出をできたらそれにこしたことはないんだろうけど、この戦闘局面になってしまい、その上で「銃をとって戦え、敵を撃て」と言われたら、するだろうか。
あるいは、自分の子供に対して、「1人でも多くの敵兵を撃て」と教えるだろうか。
……、まあ、するのだろうな。
経緯と無関係には、人間は生きられない。
そうなったら、その場面では、それしかない気がする。
何の抵抗もなしに國體が陥落したら、傀儡大統領とかが立てられて、暗黒独裁が行われる可能性は結構高いしね。
もちろん、銃を持って抵抗し、殺されてしまう側の人も、みんなが強かったり正しかったりしたわけではなく、巻き込まれたり圧力を受けてそれをすることになってしまう人達も、当然出てきてしまうだろうけど、それも含めて、もうこうなるより仕方がないのだと思う。思うよ。
まあ、こういうごちゃごちゃとした心情吐露は、「ガンジーですら殴るレベル」の小規模版で、「いっきさんはこの辺りに境界線があって揺れる」というような思考実験として見てもらえたらありがたい。
人が死ぬから怒るんじゃなくて、それが無法に起こって、拡大し続けそうだから怒る。そういうことなのかもしれない。
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https://note.com/rashita/n/na09344069352
そうした端末を新しく手にした人たちは「情報整理」に興味があるわけではない。また、そういう分野に興味がある人たちのネットワークを有しているわけでもない。だから、何かしらの問題にぶつかったときに解決する知識も持たないし、相談する相手もいない。「個人的」に解決しなければならない(だから、ぼったくりのサービスが今でも跋扈している)。
個人が直接「世界」と接続さえすれば、あらゆる問題が氷解するかのようである。
もちろんそんなことは幻想であるし、インターネットこそ新しい連帯の形を生み出すはずのツールだったはずだが、しかしその成果はいまだはっきりとは現れていない。むしろ、うまく独立できない「個人」を喰いものにする"ビジネス"の格好の猟場にすらなっている感がある。
一つの理想的な物語としては、個人の効率化が組織全体へと波及していくという流れだが、現実的にそれが起こる確率は非常に低い。その確率とは、先見性のあるリーダーが職場において機能している確率と同じだからだ。
よって、そうしたごく幸運な一部の人を除いて、ライフハックは「新しい局面」に対応することはできなかった。というか、そうした職場では「新しい局面」などやってきておらず、ややもすればそうした局面の到来を積極的に回避している場合すらあるからだ。