2022/01/21-2022/01/31
#採掘場
ネット用語の一般層への伝播経路
未来に出会っていくのではなく、過去にしばられていく
「ありそう」だったものが「なさそう」になっていく。
突出していた意識が、取り残されていく感じ
強盗と小動物
相手に不安があるか、可愛さがあるか。
居場所までいかなくても、心の「置き場」を得ていく物語
くさったパンを食べるような仕事でタスクで毎日が埋め尽くされている。
宝マップは、調和している人の手法。
では我々は?
落ち着け、でもない
相場
意識を振り分ける
最初から胸に大小があったら、それは性的なものとして見られなかったのだろうか。
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https://comemo.nikkei.com/n/na7a020de70d5
「中央集権打破」というのは気持ちの良いスローガンですが、私たちはともすれば悪に陥りがちな自分たちをコントロールために政府を持ち、警察を運営し、中央集権という「必要悪」を許容しているのだということも忘れてはなりません。
https://joshi-spa.jp/1136227
「まず作品に対する自分の“好き”を因数分解して、ノートに手書きで“泣けたシーン”とか“この登場人物は尊い”といったポイントを箇条書きするんです。そこからいったん冷静になって、どの要素をどの順番で書いていけばいいか、取捨選択して番号を振っていく。“これだけの思いをこの文字数に収めるのは無理!!”って毎回泣いています(苦笑)。でも、この連載は私にとって布教が目的なので、作品の魅力を理解してもらえなければ意味がないんです」
https://nikkan-spa.jp/1807304/2
傷つきを癒す一番の方法は、誰かにそれをシェアして、受け止めてもらうことです。「そんなふうに言われたら傷つくね」「頑張ってやったのに、何も認められないと虚しく、自分の存在価値がないように感じてしまうよね」というように(GADHAではこれを情動調律と呼びます)。
なぜこれによって傷つきが癒されるのでしょうか? 傷つきとは、解釈の不一致と強要のことだからです。人が傷つくときは、必ず「自分の解釈」と「他者の解釈」のズレと遭遇し、かつ自分の解釈が尊重されず、一方的に決定されるときです。
よくDV被害者の方は「加害者が何に怒るのか予想できなくて怖い」「それがコロコロ変わる」ともおっしゃいます。その背景はいまや明確です。  加害者がキレるポイントは「なんでも良い」のです。自分の解釈を相手に無理矢理強要し、相手の感じ方や考え方を捻じ曲げること、「自分の思い通りに感じ考え行動させること」「それによって自他の解釈を一致させで安心すること」が目的だからです。
⇒カラスを白と言わせる
⇒⇒というのは、イタズラというか、操作性快楽かと思っていたけど、自分が運命や世界の残酷さから、理不尽を受けたことのストレスを外注していた側面が強いのかもしれない。、
https://note.com/rashita/n/ne1b7d2e80cd9
アナログのノート帳を一冊書き終わったら、「必ず」そのノートのインデックスを作ることができたら素晴らしいですが、著者自身がそれを100%達成できていないにもかかわらず、「そうしましょう」と述べるのがファンタジーです。
そのような前提をまるっと取り去ったらどうなるでしょうか。結果は二通り考えられます。
一つは、前提を抜いただけでノウハウを伝えた場合、情報がねじ曲がって伝わることです。私の環境において機能していることが、あたかもすべての物書きに通用するかのように伝わってしまうのです。これは良くないでしょう。
もう一つの結果は、私の環境に依存する部分を取り除くことで、ノウハウが非常に部分的にしか伝えられなくなってしまうことです。誰にでも言えることを言おうとすると、ほとんど何も言えなくなってしまうのです。
今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α本 - orangestarの雑記
リストに上がっているもののほとんどが、高校生とか大学生とか、社会人でまだ結婚する前とかに見たものだった。人生に生活が入り込む前というのが、脳があびゃああああってなるのに大事なんだと思う。
わしはこのころから新海誠をしっとる。自主制作アニメの発表会で他の作品と同時に上映されたのを見たときから、こいつは、絶対大きくなるでぇと思っとった。新海誠はワシが育てた。
⇒(笑)
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220125/1643115095
振り返ってみると、アニメの嗜好はかなり俗っぽく、有名な傑作だけが深く刻み込まれている感じではある。ニッチな作品を素早く感知するセンスを自分は持ち合わせていないし、これからも持ち合わせることはないだろう。
「脳汁がドバドバ出るほどハマったもの」を本気で列挙しようと思うほど、他人に読ませる文章に仕上げるのは困難になり、自分のための文章に仕上がっていく。商用原稿としては都合の悪いことだけれど、個人ブログの文章としては、これほど似つかわしいものはないように思う。振り返りとしてはとても良い機会だった。
はじめは5000字ぐらいにスマートにまとめてみせて、「ハハハ、アジコさんはブログ記事をまとめるのが下手だね。こんな風にスッキリまとめると読み手も自分自身も読みやすいんだよ」と澄ましてみせるつもりだったけど、すぐにそんなことを言っていられなくなり、完全に沼ってしまった。結局この記事は19000字ぐらいのボリュームになってしまっている。
自分はゲーオタであって、アニオタではない、もちろん漫画オタでもない。これは幼少期から全くブレていない。
⇒私はマンガーなのだよな。アニメでもラノベでも、本当はあんまりない。
もちろん、RPG、ノベルゲームを含めてある傑作とその時期にそちらが深くなったタイミングはあったし、小説についてもそれはある。でも自分のホームグラウンドはマンガを読むことなんだろうな。
アジコさんと比較した場合、自分は物語よりも論説、科学書などから強いインスピレーションを受ける性質があるみたいだ。
⇒私は物語だなあ。
https://yplezghfgu.blog.ss-blog.jp/2009-12-20
『ライフ/ディナー原理』(命/ご馳走原理)イソップ物語にこんな寓話があるらしい。「ウサギがキツネより速く走るのはなぜか?キツネはウサギに負けてもディナーを1回失うだけだが、ウサギは命を失うからだ」キツネの脚力とウサギの脚力は進化を通じて軍拡競争を行うが、ウサギの方が高い淘汰圧にさらされることになり、ウサギの方が脚が速くなりやすくなる。この様に、軍拡競争を行う二者にかかる淘汰圧は同じとは限らない。
『レアエネミー効果』(珍敵効果)例えば深海の小魚が発光するプランクトンを食べるところを考えよう。深海で光るものは大抵の場合プランクトンであるから、小魚は「光るものにとりあえず喰い付け」という戦略で生きていくことができる。しかし、もしかしたら今目の前で光っているのはチョウチンアンコウの口の上の発光器かもしれない。うっかり騙されると小魚は喰われてしまう。
そこで「光るものを注意深く調べ、怪しければ逃げろ。怪しくなければ喰い付け」という戦略を採用する、という手もある。だがこの方法では餌を摂る度に手間がかかり、効率は悪い。もしチョウチンアンコウに出会うのが一生に一度あるかないかくらいの稀なことであるなら、思い切って「チョウチンアンコウに一生出会わない」方に賭け、光るものには喰い付いておいた方が結果的には生き残りやすい場合もあるだろう。この様に、敵に対抗するための方策を進化させることが可能な場合でも、その敵に出会う確率が充分に低ければ何もしない方が良い場合がある。
カッコウは托卵に成功しない限り、子孫を遺せない。一方、宿主は托卵されても全てを失う訳ではない。次の年には普通に子育てできる。また、カッコウの生息密度が充分に低ければ宿主が托卵される確率は低まり、さほどの脅威ではなくなる。そのため、托卵する側とされる側の軍拡競争では托卵する側が勝利することが予想される。
恋愛というのも必ずしも対照的な関係ではない。むしろ「完全に対等な関係」というのはレアケースだろう。大抵の場合、「惚れた側・惚れられた側」や「イニシアチブを握る側・握られる側」となる。私は常に「惚れる側」であり、それ故に振り回される側であった。故に長らく「これではいかん、いつかはイニシアチブを握る側に回りこまなければ」と思っていた。ところが一度機会があって「向こう側」に行って愕然。「うわ、気苦労ばかり多くて全然楽しくねー!?」
https://ci.nii.ac.jp/naid/40015444114
知り合ってから3ヶ月末満に夜から深夜の時間帯に告白をしていること,二人で遊びや食事に行くなど二人きりになる交際行動を経ていること,告白時に交際の申し込みをはっきり伝えていることが,恋愛における告白の成功者のパターンであることが示された
ティミー、ジョニー、スパイク
ヴォーソスの対極にいるのは「ヴォーソスでない人」であり、メルヴィンの対極にいるのは「メルヴィンでない人」なのだ。この誤解が長年に渡るものであった理由に「フレイバーとメカニズムは対立するものである」という思い込みが開発部にあったことが挙げられる(実際にそれらはしばしば互いを犠牲にしていた)。近年、開発技術が向上することにより「豊潤なフレイバーを持ちながらメカニズムを強く意識させる」カードを生み出すことができるようになったため、「ヴォーソスとメルヴィンを同時に満足させる」方法が確立された、つまりそれらが対極にあるものではなかったことが証明されたのである。
4象限
⇒「開発技術」とは、どんなことなんだろうか?