2022/01/11-2022/01/20
#採掘場
自己疎外と欲求
「俺は○○をほしい気持ちなどない!」
と思うと、○○を見下すというか、非人格的に扱ってしまうということ?
モデル化は、情報や構造のすべてを盛り込んでいないからこそ、価値がある。
外に出るためであれ、扱えるようにするためであれ。
原寸大の地図
世界がぜんぶ敵に回っても
世界の塊vs自分一人
先に調整してくれ
やる気はある(逆らわない)
明らかにおかしな図
でも、心情としてはそう
生に違和感があると、それをどこかに位置付けたいという欲求が発生してしまう。
生きるためだけに生き、アイデアは捨てよう。
どんな一日だったら、終わった時に満足かって……。今すぐ終わってくれるのが一番いいかな。やりたくてやることはたぶん一つもないので。
古典が嫌いだ
私はたぶん、「古典」を読まなければいけないことが嫌いだ。読まなくてはいけなくなっていることが嫌いだ。
そして、ロック、クラシック、文学というものの社会におけるたたずまいがが嫌いだったし、哲学とか、アカデミー脚本章受賞作なんてものにも、どこかコンプレックスを刺激される。
(ある意味で、SFに対してそうなっていないのは不思議とすら言える)
これは、第一義には、「お高く止まっている」感じがイヤだという反権威しぐさとも言えるだろうし、快楽に忠実な楽しさを持っていないという、反知性的なムーブとも言えるだろう。
でも、それだけではないと思う。
人類の脳の大きさは変わらず、同じく寿命も変わらず、それなのに歴史は
『読んでいない本について堂々と語る方法』
親と子の出かける出かけないバトル
本能をねじ伏せないと、十分に満足なお出かけはできない(早起きなど)
体験系の時間の使い方は、それが満足のいくものになるという保証が事前にない。しかも、はずれになる可能性も相応にある。だからといって、安くてコスパのいい時間つぶしで日常を埋め尽くすことが、長期的にいいわけもない。
暴言発奮
こごとばかり言っているけどさ。
嫌なことを言わないと、このままでいい、という誤ったメッセージを伝えることになっちゃうじゃん
欲望がないので、目標もないですね。目標を持つことって、義務ですか。
難しいんかい ROAM
無限の組み合わせの追加ができるから、材料が少ない間にすぐに階層を上がるのは危ない
週に一個、生涯でも2000とかであれば、使いきれなくなる頃に人生が終わってくれるので、たぶん大丈夫だったんですよね。
カードに書けばいいとか、メモに放り込めばいいというのは、常に思い返して浅いところに法、
思いつくものの量が少ない頃にしか機能しなかったはず。
分類にまたがるアイデアが一つ生まれたら、それが代表する新しいカテゴリーの概念が、他を伴って作れるのではないかと考えること。なるほど。
ただまあ究極、そういう感情は、どれだけ自動的でも、どれだけ普遍的でも、人情として自然でも、「不浄のもの」として各自で抑圧よろしく、としか言えないし、それができない人は不当市民って扱いにしていくしかないのだ、たぶん。
アウトライナー(狭義にツリー分岐)を、タブでシート切り替えしたい。ワードとエクセルの操作感を合わせたファイル操作したい。
1870年フランス
馬車の運転手が着た「コーチマンズ・オーバーコート」を紹介します
新年の目標は、“毎日、自分の立ち上げるイメージに対して、「大丈夫、大丈夫」と言う”
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https://toyokeizai.net/articles/-/500524?page=3
“しかし、贅沢品を切り詰め、必需品に回すというやり方で生活水準を切り下げるのではなく、反対の方法を取ることが多い。ちょっと考えれば、そのほうがすっと自然なやり方だ。10年にわたる前例のない大不況期に、安価な贅沢品の消費が増大したという事実がある。”(ジョージ・オーウェル『ウィガン波止場への道』より)
安価な贅沢品とはどういうことなのか。続きを読むと、まともな食事1回分の金額を出せば安いお菓子(つまりは嗜好品か?)が買え、わずかな肉しか買えない金額でもフィッシュアンドチップスがどっさり買える(必要な栄養価より量?)とある。貧しくなるほど、真に必要なものよりも、それを紛らわせるものに人はお金を払うというのだろうか。
20世紀初頭イギリスの貧困家庭とは無論違うが、気づくと日本にも「安い贅沢」はあふれている。
サイゼリヤに出かければ1人1000円もあればワイン付きのディナーが楽しめるし、家族で海外旅行は厳しくとも千葉県舞浜にある夢の国なら非日常な体験ができる。均一価格ショップを駆使すればまあまあ見栄えのいいインテリアも整う。「ちょっといいもの」「ワンランク上の」「プチ贅沢」というキーワードもまさにそうだ。日本でも、われわれに貧しさを感じさせないため、「安い贅沢」品やサービスが生み出されていたのかもしれない。
「買わなくては自分だけ損をする」「今買えばトクだ」と思わせる。欲しいモノがなくても、「今だけ金額の30%を還元します」「抽選で購入金額の全額を還元!」と聞くと、人は「買わなければ!」と落ち着かなくなる。それが欲しいから・必要だからという理由ではなく、その損得の権利を享受するために、さほど必要がなくても無理やり買おうとするだろう。
「オトク」がどれだけ人を促す効果があるかは、GoToトラベルで実証済みだろう。あれは、旅行に行きたいというより、「ほかの人がトクをしていると聞いたから、自分も行かないと損だ」という心理を突いたのだ。
⇒そうだったの?
https://web-willmagazine.com/politics/msWGz
いわばマスメディアにおける社会問題の議題設定能力の機能
https://logmi.jp/business/articles/325687
これは僕の論なんですけれども、「内燃機関」と「外燃機関」ってわかりますか? 「内燃機関」は、自分の中のプラグに火花を散らしてピストンを動かして動くというものです。「外燃機関」は、蒸気機関車が代表的なんですけど、違うところで火を燃やして、熱をピストンに送り込んで、その熱の力でピストンを回すものです。
自分が本当はどう感じているかということを忘れちゃう。これは特にミドルマネージャーや上司の立場をやっている方だとわかるんじゃないかなと思うんです。
野水:わかります。すごく高い目標が降りてきて、「行けないんじゃないかな」と思いながらみんなのお尻を叩かなきゃいけないので。
萩原:そうそう。
野水:「おお! エキサイティングだね。ハッピー!」とか言いながら、ペンペンとやっている感じですね。
萩原:自分も「いや、これ厳しくね?」と思っていても、「いやいや、〇〇だから、これが妥当だよね」と言っていると、自分の「行けなくね?」という本心と、どれぐらい行けないと思っていたかという感覚の振れ幅とか、そういうのがどんどん狭まってしまうんですよね。
FacebookとInstagramって、基本的にはぜんぜん違うものなんですよ。何が違うかというと、Facebookは人とつながるためのツールです。他人とのつながりでグループを作って、近況報告をし合ったりするのが、Facebookの主な使用方法だったりします。
Instagramは何かというと、「部屋」なんですね。インスタグラマーの有名な人に聞いた話なんですけど、Instagramのタイムラインというのは部屋なんだと。自分にとって心地いいものだけでInstagramを埋めたいのに、例えば部屋のインテリアの壁の額縁に、餃子を食っているおっさんを貼るとかありえないでしょ、という話になる。
その時に重要なのは、「目指すべき状態をどう考えるか」ではないかなと思います。
我々が目指すべき状態としてメディアとかが煽るものは、だいたい何か一定の基準があるんですよ。「お金持ちを目指せ」とか「出世を目指せ」とか、何か世間的な尺度があってそこを駆け上がっていきなさいという、統一価値感で縛られるわけです。
その外部評価軸に頼るのではなくて、自分だけの評価軸を考えた時に、先ほどの萩原さんの話じゃないですけど、「自分はどうありたいのか」を考えることが大事じゃないかなと思います。  
https://note.com/nokiba/n/n1b23d2928808
それしかできないんですね。
「そのエネルギーを仕事や勉強に向けましょう」というのではなく、そんなのはムリなので「その語るがままに語って出してしまいましょう」でいいと思うのです。特にいまのような時代には、それで何かが起こるということが多いのです。
それでなにも起こらなくても、そうしてみると次になにかがでてくるといったこともあります。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220116/1642314600
と同時に、家族がストレスの源として認知される割合が高まってもいます。
家族は、コミュニケーションが滑らかになりきらない最後の牙城であり、社会契約のロジックがまだ完全には浸透しきっていない最後の領域でもあります。他方で社会のコミュニケーション全般がどんどん滑らかになっていっているわけですから、そのぶん、家族にこそ摩擦を感じ、それをストレスと感じる人の割合は増えていくでしょう。家族がストレスに対するバッファとしての役立つとみなすより、ストレスの源として受け止めざるを得ない、そういった状況や感性が台頭しているさまを想像したくもなります。
だとしたら、令和より先の世の中は、家庭の解体へと向かうのでしょうか?
同書ではまた、苦痛をともなう料理を日本人がだんだん避けるようになっているさまや、嫉妬や怒りを感じる物事を苦痛として退けるさまも記されています。
私自身は……本業の精神科医としては滑らかな社会を加速する側に身を置いていて、ブロガーとしての私は滑らかな社会の原則(おそらく“減速”、いっき註)を望む側なのかもしれません。
そうした「自分は/あいつは 滑らかな社会にとっての何なのか」という視点や立ち位置は、これからますます問われやすく、また、問いかけやすいものになっていくだろうと私は想像しています。
https://toritemi.com/notion-yameta
「え、自分で機能を絞ればいいんじゃないの?」と思う方もいるでしょう。確かに、用途を絞ることも、あえて機能を絞ることも、Notionであれば可能です。
でもさ、やっぱり、持っている機能は使ってみたいし、Notionをバリバリ使いこなせたらかっこいいじゃあないですか。
僕はどちらかというと職人気質というか、完璧主義者というか、ギークにあこがれがあるというか、まあ「高機能なものなら、そのすべての性能をすべて引き出したい」と考えてしまうタイプです。
ゆえに、Notionにある機能はすべて知っておきたいし、使いこなしたいし、もっと便利な方法を模索していきたい、という気持ちが強すぎるのです。「できるけど不要な機能」ならば、最初から「できない」ようにしてほしい。わがままだけど。
https://note.com/kaqico/n/nede9486cbd5e
フィルターを自力で変える力を身につけることこそが最大の鍵です。
と、ここまで読んできていただいた方の中には、怒りを覚えた方もいらっしゃるかもしれません。
「お前は、今私が抱えている苦しみを取り除くことを放棄して、私の感覚を鈍麻させろというのか。不幸を抱えたままで、幸せになれというのか」
と。
隠しても仕方がないのではっきりと言いますが、その通りです。
あなたが身近な人を失って苦しんでいようが、不治の病のもたらす痛みでのたうちまわっていようが、私は「あなたは幸福になることができる」と、不遜にも、しかしあえて堂々と、言い切りたいと思います。