2022/01/01-2022/01/10
#採掘場
権威を無力化したいのでは? 度胸でなく。
「許してもらえる」と思ってるのでははなく、「ビビらせれば、許すしかないだろう」と思ってるんだろうなあ。
https://twitter.com/j50418653/status/1480376733451063296?s=21
テンションの管理が目標(の高さや量の)管理より重要だという、ボトムアップ
声も低いし、顔もいかつい。だからそれだけで、余計に子供は反発する、そういう側面があるのではないか。
より「押し付け」に感じるし、より「権威的」に感じる。
かといって、いつもにこにこするようにして、指針について意見をしたいときも、なるべくさらっと言うようにする、と、解決するという問題でもない。
預けるって気持ちいいでしょう?
それは、体重を杖に預ける、とかそういうのと同じ感覚が根源的にあると思う。
後ろ向きな心象用の抱負、
そこで優しい意志のための抱負
「できるできる、大丈夫」
それを絶対悪とはできないけど、『代表的悪』、「戦争=絶対悪」に変わる『代表的悪』みたいな存在として、教えるくらいじゃないといけないかもしれない。
2022/01/04 15:16
宗教闘争はあるものとして、“彼ら”を社会にどう位置付けるかというメタでの政治的妥協点を考える訓練
2022/01/04 15:14
人の居場所を把握していたい
2022/01/04 7:34
出してくれた人のほうでも、せっかく発した信号が、受信されることすらなく、
こちらから出した数通の信号にしても、それがそこまで必死なのだとしても、義務としての色合い強く、出されているとは思わないだろう。
2022/01/04 5:07
宇宙中の人が私の保護者だったらいい。
年賀状が今年、本当に重荷だった。
届いた分を開けて、「誰がくれたのか、出してないのにくれた人はいなかったか」を確かめることすら苦渋だった。それで結局、開けもしなかった。
ほっとするということは、その手前で、それくらいに、緊張感がものすごく高まっていたということで
自然な感情の相応
そこに誰かがいて、好感を持っているのなら信号を発しておきたくなるとか、こっちがそういう気分なんだから、相手からもその信号を感じられたら嬉しいとかういう要素がすっかりなくなるくらい、義務感が先に立ってしまった。
日銭を稼いで
せいぜい苦しむがいい
希望が人を殺す
生活のあらゆることを、習慣としてやることも、空気に乗ってやることもできない。
曹操の副葬品は漢や孔子寄りよりも質素
2021/12/31 10:16
徳(仁)によるゆるやかな統治の限界、腐敗
2021/12/31 10:09
ころり転げた気の根っこ
←2021/12/21-2021/12/31/2022/01/11-2022/01/20→
https://note.com/rashita/n/n43db3f49ae21
たとえば、自分の中に好嫌の気持ちのパラメータがあったとしましょう。6:4くらいで対象Aが好ましいと感じている。そんな感覚です。
そのとき、その対象と逆のものを良いとする意見を見かけたとします。自分があまり好きではない事柄を肯定している態度、ということです。
ついつい何か言いたくなってしまうのが心情でしょう。
そのとき、いったいどんなトーンで発言するのか。
たとえば、「Aの方がちょっとだけ良いですよ」と言うか。つまり差分の2(6−4)だけを提示するか。
たぶんそうはならないでしょう。きっと、対抗意識をバネにして「Aはすごく良いんだぞ」と言いたくなると思います。
⇒「4のものに関する意見は目にしないようにする」というのはもっと違うだろうな。
⇒ちょっと似たトーンの心構えとして、私が連想して思い出した考え方が、「それまで知らなかった社会問題や政治問題を、知らされて急に意見を固めたり表明したりしない」ということ。
⇒「2しか差がないことは、2の強さの感情でしか、これからも(当面は)思わないようにする」⇔「関心を持たずに生きてこれるような問題には、それだけぶんのリアクションしか今回もしない」
https://nikkan-spa.jp/1801614/2
遊びで始めたキャンプ、そして友達に見せるために動画を作ったことで、結果的にキャンプブームの火付け役となってしまったヒロシ氏。現在は新規でキャンプを始める人が急増しているが、このキャンプブームが起きたことで、ヒロシ氏はどういった変化があったのだろうか。 「キャンプブームによって、行けるキャンプ場は減りました。ひっそりとやりたいタイプなので……。キャンプ場で『ヒロシさんですよね? ちょっと写真お願いします』とか言われると、正直落ち着かないんですよ。
キャンプグッズもYouTubeで紹介したのが高騰して、前は3000円で買えたランタンが、ヤフオクで15000円で売られていたりとか……。好きなことが仕事になっているのはありがたいですが、正直なところ、けっこう不自由しているというのが本音です」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d25bed9372ef4dde4af269a90732e07fcee6dcc2?page=3
一つは「同調圧力」。日本の場合、例えば「自分が希望することより、組織の一員としての自分を優先させる」といった考え方が印象的だという。いわば「本音と建前」の使い分け。フランチェスコさんは今、日本人の「本音と建前」について研究し、書籍も執筆中だ。
「会社や学校など世の中の建前に合わせようとするあまり、自分が思ってもいないのに、無理してうわべだけ取り繕おうとする。そうした“感情労働”が心をむしばむのです。本音と建前の狭間で引き裂かれるのがつらいから社会参加しない。それしか選択肢がない。ひきこもりには多くの要因がありますが、そうした側面が引き金になっていると思います」
「こういう振る舞いを見ていると、社会の所属感、つまり“社会の一員であり続ける”“よそ様に迷惑をかけない”といったことに強いエネルギーを日本人は使っているんだなと感じました。“社会的使命”という言葉が心理学にはありますが、他者や社会から認められない自分のあり方は『恥』『外れている』と思ってしまう。他者から認められたいという“他者承認”欲求が満たされないと、自分が幸せであることを実感できないのだと思います」
https://number.bunshun.jp/articles/-/851448?page=3
欧州で見てきたのは、(日本的な物差しで見れば)目も当てられないようなレベルのおっさんたちが、真剣に勝利を(そしてその先のビールを)目指して、週末に、仕事終わりに、ガチャガチャとサッカーをする姿です。
トレーニングウェアなのかすら分からないTシャツを汗だくにして、脂で武装した横腹を短パンの上に乗せ、得体の知れないメーカーの靴を履いて、ゴール七個分外れた軌道のシュートに対して、1秒遅れで大味なスライディングタックルを飛ばしている。しかし、彼らは真剣であり、恥とは無縁、自嘲が入り込む隙間はありません。
そして何より重要なのは、その姿を育成年代の子どもたちが見ることです。サッカークラブは、地域は、そうしたおっさんたちにグラウンドを提供し、それを目の当たりにすることで、子どもたちはサッカーが上位総取りの序列的なスポーツではないことを理解します。サッカー、自分、自分より上手い/下手な人たち、それを上からジャッジする誰か、という序列構造から、サッカーと自分の蜜月関係を取り戻す方法を知ります。
1秒遅れのスライディングは、子どもたちに「この先もサッカーを紡いでいく選択肢」を与えているし、その脇腹は「サッカーは生涯、愛するに足るスポーツだ」と教えているのです。
事実、僕が指導するクラブでも「ここじゃあ試合に出場できないなぁ」と察して、早々にそちらの『おっさん』チームに混ざってサッカーを続ける青年が、毎年一定数います。そして、彼らは辞めた、続けた、生き残った、落ちこぼれた、を経てもなお、それをひとりの人間としての優劣と混同せず、同じようにスパイクと練習着を持ってグラウンドに向かい、それぞれのサッカーを続けていきます。
⇒ただまあ、レベルを落としてまで輝ける場所がほしいのかとか、
⇒そこまでして、なんのレベルにもならないようなボール蹴りのために時間を使って疲れたくないなあ、というのは出てくるよな。
⇒それは単に、私が徹底的に、内省的だからだろうけど。
https://number.bunshun.jp/articles/-/851530?page=2
日本の選手たちは自信がない傾向が強いからです。自信を持たせるためには、練習でプレッシャーがかかる状況を作り、彼女たちが厳しいレベルでの練習をクリアしてもらうしかない。
コートでプレーする時の役割を徹底させました。東藤はディフェンス、オコエにはオフェンスのリズムを変えるといった役割です。若い選手は決められた役割で結果を出した方が、自信を持てるのではないでしょうか。彼女たちは、自分の立ち位置が分かって、チームに貢献できるチャンスが増えたと思います。
海外のコーチが日本人を指導する場合、選手自身の能力に対する「自信」と、チームが世界の舞台で戦えるという「信念」の欠如にぶつかる。これは日本人の受け身体質、消極性ともかかわっている問題だ。
私が「オリンピックで金メダルを目指す」と言った時、選手たちでさえ「えっ?」と感じただろうし、私のことをクレージーだと思っていたはずです。でも、アジアカップやワールドカップで徐々にステップアップしていったことで、選手たちは徐々に自信を深めていったのです。
オリンピックでうれしかったのは、何人かの選手が「私が自分自身を信じるよりも、トムがより私を信じてくれた」と言ってくれたことです。これは本当にうれしかった。
https://number.bunshun.jp/articles/-/851533?page=3
私のことを「女子の指導しかしてこなかったじゃないか?」という人もいますが、私にとってバスケットボールのチームのコーチングは、選手とコミュニケーションを図り、最適な戦術を練習によって落とし込む。男女の差はないんです。
https://number.bunshun.jp/articles/-/851528?page=2
代表にはたくさんのナンバープレー、セットするプレーがあり、それを習得するために、相手をつけず、5人だけがコート上で動きの確認をする。そして午後になると、今度は5対5でその動きを確認する。頭での理解から、体での理解へと進めていきました。
エディー つまり、一日の練習の中にもストーリーがあるわけですね。
https://number.bunshun.jp/articles/-/851528?page=3
トム コーチは選手たちにプレッシャーをかけ、冷静に振り返ることを繰り返すことで、選手たちを成長させることができると思うのです。目的なき長時間練習は、選手たちの考える力を奪ってしまいます。
https://inujin.hatenablog.com/entry/2022/01/07/012427
「ちゃんとしたおっさん」になるぞ、というのは、若者が直面しがちな「何者か」にならなければ、という悩みとほとんど同じなのである。
それでも、若い頃は世間が考える「何者か」をひとつの目標として努力をし続てみることで、運よく「何者か」になれる人もいるかもしれないし、なれることができなくても、そこで大切な経験を積むことができる。
よく目を凝らしていると、意外と多くの大人たちが「立派な大人」あるいは真逆の「大人になりきれなかった残念な大人」に擬態しながら、うまく心を遊ばせてやっていることにも気づく。
彼らの主戦場は人それぞれ違う。
居酒屋やスナックに常連として通い続けるという伝統的な戦い方を守り抜いている人もいるし、釣りやキャンプなど自然の中で心の中の子どもを大解放させる方法論を大事にしている人もいるし、ぼくのようにブログにしがみついて他者からもたらされるほんのわずかな承認の汁をなめつづけている者もいる。
いずれにしたって、みんな知恵をしぼって世間からの監視の目をかいくぐり、必死に自分を遊ばせてやっているのである。
そう、いかに他者に悟られずに子どもな自分を解放させるか、これはもはや、おっさん道、あるいは中年道とでも呼ぶべき修行の世界であり、その奥は無限に続いている。