2021/08/01-2021/08/10
娘が自分がやっているオンラインゲームの実況動画を見る。
で、動画主が(たぶんたくさん課金して)ガチャを引きまくる動画を好んで見る。で、動画主が「きたー〜! やったー」と言っているのを見て、「あー、いいなー」と言って楽しむという芸当をしている。
ヒカキンが青鬼のガチャを引いているのを子供達が見ていたときにも思ったけど、「ガチャを見つめる」ってのはそれだけでそれだけの、楽しさが人間にはあるのだろう。 別に生放送ではなく、録画されているものだから、ある意味結論は決まっている
実況している人以外は、何も賭けていないし、何も得られない。
映画みたいに、ストーリーの引きやBGMで盛り上げているわけでもない。
パチンコみたいに換金できるわけでもない。
ある意味、実況主をキャラクターのように見て、我々が感情移入している構造くらいはあるかもしれないけど、例えばヒカキンさんはもはや富豪であって、そのガチャの成否で生活が脅かされて死んだりもしない。
それなのにドキドキできる。
要するに、私にとって思考するとは毒ですらあるわけです。切り離していかなければ自家中毒になってしまう。
分岐しながら拡散していく上に、数珠繋ぎに次を呼んでいくため、あっという間に脳の中をふさいでいきます。その瞬間に快があるので、さらに始末が悪いのです、
そして、思考の種は種で、「もっと俺について考えろ」と記憶の中で主張しますし、考えた結果の芋づるは芋づるで、「俺には価値があるぞ。覚えておけよ」と主張し続けるのです。
あっという間に脳のキャパシティーを使い切ってしまいます。
本屋に足を運んで棚をチェックして回るという感度の高めかた
全然知らんという段階でそういう形で提示されている参考文献って大体レベルが高すぎるんで、もうちょっと入門的なものを示してくれたほうが
文庫とか新書とか
⇒これはすごく思う。
⇒もともと「典拠」としての文化であって、「分野のおすすめ書籍」ではないからかな。
⇒入門的なものを上げると、作者が頭悪そうに見えるという見栄もあるか?
⇒直接的に商売敵でもある。
⇒読み手からすると、分かりやすくてやわらかいものを紹介してもらえるとありがたいけど、「幅が広くて手際がいい」ものばかりたくさん読んでも、それはそれで隔靴掻痒感がある。
「狭くて詳しいんだけど、とっつきやすく読みやすく、やわらかく丸めてある」という漫談や講談のような本があってほしい。
ニーズがないのかな?
⇒狭いことなら、専門的に語ってもいい、というわけではなかろう。
岩波の青い文庫ですら難しい
⇒さらに、それが読めるようになる頃には、そこに書かれた情報に目新しさがもうないという罠。
「昔の人は迷信っぽいね、わかっていないね」と言って切り捨てないで拾い上げていくと、その中に、どうにも説明できない不思議な事象を語り継いで、集団にとっての意味や由来をつくりあげているものがある。
一方で、もし「チームの一員として貢献していた場面はありましたか」と問われたならば、その人がチームの中で良い影響または悪い影響をもたらした瞬間をまずポッポッポッと思い出していけばよく、
元々自分が協調性というものに強く意識を向けているならば話が変わってくる。自分の中に常に「協調性を判定する」という文脈があるならば、それに沿って考えれば簡単に書き表すことができるのであって、「協調性はどうですか」という問いに対して「文脈が全方位的である」とは感じないであろう。
つまり、(中略)文脈ができているとき、その問いは「他の文脈を断つもの」として働き、考えるべきことへの集中を促すものになるのである。
制限がないことは自由かもしれないが、それは自分の脳を自在に働かせることに貢献するとは限らない。脳の中の芋づるを引き出してこなければならないなら、それを引き出す鈎が用意されていたほうがよいこともある。
如何なる有限性が功を奏するかということについては、「人間にとって」というような大きな主語で語ることが果たして可能だろうかという思いがあり、それぞれ自分と対話することがどうしても必要になってしまうのではないかと思う。
「余計な文脈を断ってくれるものか」「自分の工夫を促す楽しさがあるか」の二点を考えていきたいと思った次第である。
二つまでは揃う時期が想像しやすい。三つとなるとハードルが高くなる / “「もしかして人生って遊ぶ時間とお金と体力の3つが全て揃うタイミング一度もないまま終わります?」←「学生のとき」「実家が太ければ」「友達がいない」 - Togetter”
⇒実家暮らしでお金があっても、プライバシーがない場合、公言しにくい趣味は結局追求しにくい。
もちろん、辞書的なコンテンツであれば強い主張は不要なわけですが(異論は認めます)、人がわざわざ本を手に取って読むときに、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という文章を欲しているのでしょうか。
「いや、欲しているかもしれない」──この推論も正しいものですから、上のような行為を否定することはできませんが、私はここで強い主張をしておきましょう。
⇒えぇい、ややこしい!w だが、そこがサイコー!
基本レベルで「正しい」ことなので、鎧を重ね着することに対するアラートが自然には生まれないからです。
⇒そうね。インフレな。
⇒付いてしまえば、すごくすとんと、「まあそんな感じになるよね」というタイトルに感じられるけど、あらためて全ボツタイトル案を見ていくと、「確かに、そういうタイトルだって、あの内容に対して付けることは全然ありえるよね……」という風に見える。
まあ、半分くらいは「いや、それ、ひねりすぎ……」とも思うんだけども。
私はブログの記事タイトルくらいだと、いちいち迷わずにらさっさと決めてしまうんだけど、それくらいにちゃんと迷ってみたほうが良いのかもしれないね。
⇒共同体的傾向が、大量消費によっていったん後景にしりぞき、常時接続によってまた前景に出てくる、と。なるほど。
⇒勝間さんの、するわけないだろ、しなくもない性w
⇒ライフログ、読まないでしょw
⇒知的生産本おもしろ時代というのがもし来るとしたら