2021/01/06-2021/01/11
降って沸いたブーム(笑)
ミノタウロスの皿、作品的にノイズになるだろうけど「言うてもあそこまでガッツリ意思疎通出来てたら家畜擁護団体の一つや二つ出来とるやろ」とは思う。
ウシ人達は「友情と信頼関係!!」と言ってますけど遺伝子操作で無意識的に服従するように洗脳ぐらいはされてそうですよね。
ミノタウロスの皿のズン類は「別の惑星で自分たちに相当する種族」を理解して対等に扱うからすごい、多分人類には無理。ましてや自分らの家畜と同じ生物で。
⇒彼らから見て、他星人の知性と家畜の知性にどういう閾値を見ていたのか知りたいものだ。
⇒地球人類だって、相反する感情の間で、知性というか、言語表現能力のあるなしの間で壁を作って、やっと「かわいそう」という感情に蓋をできているというのに
⇒その意味で、ウスと牛は、やっぱり全然違う。いずれ脱するべきなのだとしても。
「ミノアが言ったのですか?」と眼光鋭い有力牛
自らの既得権の危機に対する即座の反応が恐ろしい
ミノアが心変わりしてたら主人公はこの時点で…
最後は見事なブーメラン
仔細忘れてた私は人工心肺の件で背筋が凍りました
皆でこのトラウマ共有しようず?
ミノタウロスの皿の主人公、酷い言われ様だが少なくとも救助の意思を見せない事にはレーザーガンを撃つ事をしなかっり、他の乗組員全滅と言う状態でも最低限、或いは最大限の法的根拠を元に動いている辺り、理性的ではある
コロナをめぐる、政治と大衆心理の問題は、第一波・第二波のときと第三波のときで、けっこう逆向きの考察になる。
でも何にしても、これからの課題は残り続けるし、考え続けないといけないのだろうな。
なぜそんな不利な思い込みを事実だと決定したいのでしょうか。
私は何度か考えてみたのですが、どうしても結論は似たようなものになります。
すなわち、非難された事実を最大限悪いことだと仮定し、その仮定に立って対応することにより、それ以上事態を悪化させることを未然に防ぎ、あわせてよりよい未来の現実を手にする可能性に接近したい
僕は、2000年代はじめの頃は『秒速5センチメートル』のような少し内省的な作品を作っていたんですけど、あの時は時代がああいう気分だった気がするんです。
なんとなく日本は没落していくんだけど、でもこのまま終わらない日常が続く……みたいな感覚があって。
コンビニに入った時の気分とか、電車に乗り換える時の気分とか、日常の細かなところを拾い出して、そこに意味を見いださないと日常は終わらない。
そこで、何か感動したいっていう気分が世の中にはあったような気がするんです。
でも2010年代以降だと、大きな災害も増えたし、昔からありましたが事件もいろいろとあって、サヴァイヴすることの方が大事になってきたような気がします。
「日常は終わるんだ」「すぐ終わるかもしれない」っていう気分の方が支配的になっているから、かつて2000年代頭に描いていた内省的な作品よりは、もう少し外に向かってエネルギーを爆発するような気分が求められているし、僕もそういうものが見たいっていう気持ちが強くなってきて、『天気の子』のような作品に繋がっているんだと思うんですよね。
一本の道をまっすぐ迷うことなく進んで、できるだけ早くゴールに着く
@fujinoyuko先生や@takuya1975先生の言われることに禿同。
大学教員は学生に「批判的精神」とか「クリシン」とか言うが、あまり安直に言わない方がいいのでは。
まさに批判的精神がない初年次生の中には、教員がそう言うのを真に受け、学問の成果を軽視する単なるトンデモさんになる場合が結構ある。
今期は「自分の頭で考えることが大事だ」という学生のコメントが目立ったけど、まずは「自分の手で専門家の意見を調べる」ことが大事で(私も専門外のことは自分の頭で考えたってわからない)、その道の専門家が誰かを調べたり、見極めたり、意見を理解するためのスキルを大学で身につけてほしいなと
講義でも時々言っていることですが、「自分の頭で考える」ためには、文献の探し方、読み方、まとめ方、分析の仕方等々さまざまな「技法」が必要で、その技法を学ぶのが高校や大学なのだと思います。それなしに「自分の頭で考える」と、たいていはありがちなパターン思考に絡め取られるのではないかと。
熊野純彦編『日本哲学小史』を読んで「へえ」と思ったのだけど、西田幾多郎門下の「自分の頭で考える」哲学者が戦時中におかしな方向へ行ってしまったのに対し、ソクラテス・プラトンの解釈という立場を崩さなかった田中美知太郎だけが戦時中も冷静な態度を保ったというのは、いろいろ示唆的だなと思う
新しい指摘でもないですが、90年代、大学生のころ、小林よしのりにはまっていく友人たちの基本的な気持ちというのは、陰謀論のそれだったのですよね。いや、本人たちの主観では、「教科書ではなく自分の頭で考える」ということが初めてできた興奮に打ち震えている感じだった。
適切なインプット・アウトプットの訓練、体系的な学習、客観的でロジカルな判断や思考訓練わみたいなものをすっ飛ばして「自分の頭で考える」を優先すると詐欺や陰謀論に最速で辿り着いてしまう人類が一定数いる、ということを昨今のSNSが証明してしまいましたね。。
クライアントのメールの署名の下に「私の勤務時間はあなたの時間と違うかもしれません。時間外に私からメールが来てもすぐに返信しようとしないで下さい。オフラインの時は、完全にオフラインで過ごして下さい。愛する人と時間を過ごしたり、散歩したり本を読んだり、好きなことをしてください。(続)
政府の信頼性が低いと、税として払う額の方が給付より高くなると思ったり、税が適正に使われないと疑ったりして、低所得の人ほど抵抗します。その結果、政府の信頼性を損ない、縁故的な配分をしたり、小さな政府を目指したりする勢力ほど支持を受ける悪循環に陥ります。というか、もう陥っていますね。
⇒うるせえ、払え
そんな番組が打ち切りとなった謎を解き明かすカギは、視聴率ではなく視聴者層だという。「4番組に共通する主な視聴者層はFM4層(60歳以上の男女)。でも現在、スポンサーが広告を入れるのはコア層と呼ばれる13~49歳の視聴者層に向けた番組なんです」
⇒若者ははたしてテレビに戻ってくるのか?
⇒老人はテレビまで失って大丈夫だろうか
朝日新聞beより、最近よくテレビに出るクイズ王伊沢さんのお話し。
「興味ある事柄を学ぶのは楽しいが、その対象を全く知らねば始まらず、でも興味のない段階での知る努力はつまらない。ならば「知る」第一歩から楽しくしよう。「それがクイズ。
⇒そして、なんのかんの、小学生くらいの子供にとって、「頭いい人」のイメージって、“クイズ王”的なものだろうから、そういうヒーロー像から、「知」への入り口に立ってくれたらいいのかな、とは思う。