勝負と成長がある範囲で対立する
という人生訓のようなものがある。私の場合は、自己啓発書的なもので知ったように思う。 十代の頃とかは、「少年漫画のスポーツ漫画」のように、ある場面に自分のそれまでの限界ギリギリまで情熱を注がなきゃ楽しくない、淡々とやるのなんてストイックで苦しそう、というふうに見える。 怪我を押してでも大会の決勝戦に出場して、優勝という栄光をつかみ取るぞ、みたいな。
スポーツで例えられる話で言うと、イチロー選手が262安打を記録したときが31歳。これを、21歳のときのイチロー氏が見えていたらどうだろうか。
筋肉の瞬発力だけだったら、20歳のときのほうが上かもしれないけど、技術の習熟や駆け引きや先読みなどの強さも含めた「成績」はもっと先の方がいいものを残せることがある。スポーツでさえ。
そうなると、目の前の試合に過剰に入れ込んで怪我をすることのデメリットはすごく大きくなる。
怪我をしたら、その後数日トレーニングができない。
そして、「試合」ってのも、プレッシャーへの耐性や「実戦勘」みたいなものは、試合でしか身に付かないのかもしれないけど、試合って、9打席に1回しか自分の打席はないわけで、時間当たり上達密度は、実は試合をするよりトレーニングだけしているほうが高いかもしれない。
試合とトレーニングの価値の逆転。
蓄積と獲得と勝負と成長と挑戦と探究と、というふうに、微分・積分で次元を広げてとらえると、さらに視点は変わる。 目の前の一勝、あるいは直近した一敗の価値は、感情が感じるほどには大きくない可能性があるよ、という話でした。