2020/10/01-2020/10/10
代表者を暗殺しても時代は変わらない
職場の待遇が悪いのは、直属の上司のせいではないかもしれない。
象徴ですらなく、むしろ、防波堤かもしれない。
その向こうにある意見の集合と、その意見を発している一人一人の大勢を納得させることができないのなら、むしろ結節点であり調整役の言っていることには、大人しくしたがっておくほうがいいかもしれない。
まあ、「ローカルの要望を、さらに情報の経営陣に伝え(て納得させて、ローカル方針を採用させ)るのが、中間管理職の役割じゃない?」という感情はあるかもしれないが。
人間の思考力の、まだ進化の追いついていない部分をサポートする。
空想できるのに、まだ実現できていない機能を雑に作り出す。
そこには、「よく生きる」的な一次元的なベクトルや指標がぬぐえず存在する。
界面で学び、界面で葛藤する
切り出しがこれだけ容易なのに切り出していないのは、後日見返すほどの必然性があったときに切り出せばいいや、と「未来」を判断材料にしてるから
ネットで愚痴を言っていて、それが品格的に問題ないためには、人間関係が適度に閉じていないといけない。 おっさんだったり老人だったり。
当時44歳。それで老害的に見られるんだから、人間って随分若くして
40代。
一種の炎上芸というか、アテンションを集め続けないとキャッシュフローが
もちろん、もともとのフィールド
IT企業という存在が日本社会に対して持つ新しさ」みたいなものが後光の様に乗っていた
それも「ずっと本質」しゃなくて、「いつでも新しい人」的な人となると。いつでも反権威、でもなく。
ところで逆に「老」をまったく感じないというのも、
一緒に歳を取る
こち亀の両津刑事だったり、高橋留美子だったり
「どんどん重厚になってほしい」という願いも周りにはあっただろうけど。
文章の読解については学習があるでしょうが、それよりも一つ上の階層にある(あるいはより統合的な)「本の読み方」は教えてもらわないのです。それは「日記の書き方」や「タスク管理の仕方」についても言えるでしょう。もっと言えば、「自己形成の方法」も教えてもらいません。 ⇒本は読んでも読まれるな、みたいなこととか
還暦を迎えたら、私は高齢者の仲間入りを果たす。人間の生殖年齢がせいぜい40代で終わることを思えば、60歳を人生の一区切りにするアイデアに私は賛成だ。その還暦に、プラグスーツ模様の入った赤いちゃんちゃんこを着ることなど、どうしてできよう。若い頃なら勢いで着れたかもしれないが、もう無理だ。だいたい、そんなことを今の式波アスカラングレーが望んでいるとは思えない。
「キャラクターがおまえの行為を望むとか望まないとか、何を言っているんだ?」
という人もいるだろうし、それは理解しているつもりです。
でも人生を変えたキャラクターと会話できないなんて、逆におかしいと思わないか?
最初は書きたいことをうまく書けないから、迂回(うかい)して別のものを持ってきたりして、みんなにポップと言われていた。
「方法」との出会いです。
⇒主従が転倒する感じがあるけど、「手段」を対象として認識して考えていくのって、微分的で楽しいよね。抽象的ともいうか。
『「超」勉強法』から『「超」整理法』へと進み、
そっちの順なのか。
小さい企業のホームページを作成するアルバイトをしたり、喫茶店のメニューのデザイン作業などを請け負った経験から、「企業に所属することなく、単純作業でもなく、仕事をしてお金をもらえる」
人がいて、場所があったのです。そして、それを生み出していたのが情報発信でした。
ツイッターでしかつながっていないけど好きな人の、「ちょっと顔を見たくなった」ときに、その人が新しいツイートしてないと、そのぬくもりを感じることができない。
半分くらいはそちらの「日常」にあるくらい
私もだ。
家族を持ってなかったら、過半数がそちらにあったかもしれない。
知的生産という言葉を使わずに(迂回して)、「知的生産の技術」を表現する、なるほど。
「知的生産」と言ったときに、情報生産の意味が背景に消えていき、「知的」という部分が際立って感じられるのだと思います。
それプラス、反知性の気配があるから、余計にね……
転売でもアフィリエイトでもお金が稼げるのですから、「お金が稼げる」だけでは説明は十分ではないでしょう。
⇒これは「なるほど」と思ったけど、初めからそれらを、「楽しい」と感じる人には、逆にそれこそがエクスキューズになり、結集スローガンにもなるのかもしれない。
インテリが行う余暇のしての知的営為を、さも救世のしるべのように旗振りすることはとてもできません。
一方で、その知的営為には、私が若い頃に感じていた息苦しさを脱する力があることも確かです。
⇒真摯だなあ。
何も持たない人間でもスタートさせることができる営為です。「私」と社会を関連づけることが可能な活動です。
学問のすゝめか。なるほど。
そこはかなりのりやすいのは確かだね。
「この世界に居場所がない人が、社会とは別のレイヤーで幸せになったり、静かな革命を仕組むための方法」
“世間”って言い直したい人がいるかもしれないけど、ここは“社会”で。
知的交配……、結局「知的」か。
承認欲求とか所属欲求とか自己肯定感とか、「またか」ってくらい馬鹿馬鹿しいけど、システム上に持ち込もうとしたら、shokaiあたりが嫌な顔をする概念だろうけど、
それでも、そういうの何一つなく生産してられるわけでもない。
子どものころ、TVで池波正太郎原作のドラマ『鬼平犯科帳』をやっていました。主人公の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(1745-1795)を、僕は《必殺シリーズ》の中村主水や007ことジェイムズ・ボンドなどと同じく、架空の人物だとばかり思っていました。もし当時の僕がクラスメイトをかつごうと意図して、
「長谷川平蔵ってほんとにいたんだよ」
と言ったとしたら、嘘をつこうと思って、間違ってほんとうのことを言ってしまったことになるでしょう。
我々の複雑な社会と文明は、我々の祖先が進化の過程で培ってきた生得能力だけでは維持できません。
⇒「お前、メカニズムを知らずに使ってて、怖くないの?」
個人のレベルに視点を移しても、あるいは直接役に立つ知識が学ぶためでなく、もっぱら楽しみのためにする読書についても、同じことを、すなわち贅沢ではなく不可欠であることと言いたいと思います。
少なくとも「今を変えよう」「現状から脱しよう」と思う人にとってはフィクションは不可欠です。
人は記憶するとともに想像する生き物であり、「ここでないどこか」「今日のようでない明日」を考えることなしには
⇒文化や言語や認知について学ぶ上でフィクションに触れるのだ、ということでいいのでは。
本を読む人が、伝統的な共同体でしばしば胡散臭く思われ、邪険に取り扱われるのは、身体はここにあるのに本読みの目が「ここではないどこか」を見ていることが共同体のメンバーに感じ取られるからです。本読みはその意思はなくとも、潜在的な批判者であり改革者として受け取られるのは、こうした理由からです。
⇒「本」に限った話じゃないんだよなー、これ、たぶん。
ネットをやってる人も、SNSをやってる人も、まあ言ったら旧型オタクだって、「いまここ」に目がないことで胡散臭がられる。
並列処理型の人は、電話しながらパソコン入力も可能なので、「おしゃべりしていないで手を動かしなさい」という注意は意味がない。業務をこなしつつ、他にも目配りできるのだから、「おしゃべりを楽しみながら業務をこなす」ほうが気持ちを明るく保ち、効率を上げる効果がある。
「なぜかが分からないと先に進めない人」には、理屈やメカニズムを丁寧に教える指導のほうが納得しやすく、内容を習得しやすい。「役立つことが分からないと先に進めない人」には、理屈やメカニズムはあと回しにして、何に使えて役立つのかを先に説明したほうが内容を習得しやすい。
⇒テレビの実験ショーのように、「ここをこうすると、こんなことになりまーす!」みたいな。
「なぜかが分からないと先に進めない人」は、実用性を軽視しているわけではない。しかし、まず理屈やメカニズムを納得できないと、役に立つような使い方を工夫する気が起きないという性質がある。
一方、「役立つことが分からないと先に進めない人」も、理屈やメカニズムを軽視しているわけではない。しかし、まず役に立つツール(道具)であることを納得できないと、理屈やメカニズムも見当がつかないという性質がある。役立つことさえ納得いけば、意外とメカニズムを推測する能力に優れている。
「なぜかが分からないと先に進めない人」は、使い方や役立て方を他人から教えられるのが嫌い。「そんなのは自分で考えるから、理屈のほうを教えてくれ」というタイプ。
「役立つことが分からないと先に進めない人」は、理屈やメカニズムを他人から教えられるのが嫌い。「そんなのは自分で考えるから、まずは役立て方を教えてくれ」というタイプ。
人から教えてほしいことと、教えてもらいたくないことが、ちょうど正反対になっている。
自分が一方のタイプだと、別のタイプの人間を理解しづらい。「こんなに理屈を説明しているのに、なんで分からないんだ。理解力がないからに違いない」とバカにしたり、「こんなに便利なツールなのに、なんで使いこなせないんだ。不器用な奴だ」と決めつけたりする。しかし、どちらも誤解だ。
行動経済学や認知心理学の実験から報告されていることを考慮すれば、あまり自分というものを広く(ないしは大きく)捉えるのは避けたほうがよいでしょう。
一方で、人間がある種の檻の中に閉じこめられているのだとしても、わざわざその檻を狭くしていく必要はないでしょう。たとえ、檻の中にいるのだとしても、その檻の中を「自由に」動き回っていきたいものです。
ストレスフリーで効率アップ!EVERNOTEを便利に使う48の技
何らかの形で整理したくなるものなのですが、真面目に取り組もうとすると、どうしても無理が出てくるのです。
そこで、ちょっとだけ発想を転換してみましょう。まずは「Evernoteの使い方に迷わなくなる」ことを第一歩とするのです。
そのためにおすすめなのが、「まず、使わない情報を集める」という始め方。
これさえおさえれば、 Evernote の使い方がみるみる見えてきます。肝は、いわば Evernote を「腐らないゴミ箱」にしてしまうことです。 ⇒ある時期において「正」だった表現
(今だと、「ノイズになるような情報を取っておこうとするのはよくない、不安だからとっておくとか)という反証がある) ⇒しかし、私自身については、いまだに「腐らないゴミ箱」というのは有用な心構えだとも思っている。