2020/10/11-2020/10/20
#採掘場
いっちょがみはやめよう
こわい、ずるい、かわいそう、などの感情があったら、やめよう
質問する、面と向かって説明させる、ってそんなに価値のあることか?
環境適応的な知恵が出せること
成長のための克己を選べること
軽挙妄動を抑えようとし、より減らすことを願い、できていないのならその自分を恥じること
より多くの世界と他者を知り、そのなかでこれらの原則が自分の中でどう揺らぐのかを確かめること
成長のための、は「克己+好奇心」かな
神がいない
でも、この良心はある
不安、寂しい、怖い
男嫌いなところかどこかにある
おそれを未来にひきつぐと、連帯にならずに脅かしになる
日本語は、伝えるというか、あなたと私がありすぎる。
自由と平等みたいに
価値観要素になっている
←2020/10/01-2020/10/10/2020/10/21-2020/10/31→
欧米の言語はなぜ繰り返しが多く、くどいのか?
先のドイツ人著者はこう話してくれた。つい何度も同じ内容を文章で繰り返してしまうのは、そうしないと読者が忘れてしまうのではないかと思うからだ、と。
「日本の読者はそんなことはないんですか?」と聞かれたので、先の自論を展開したところ、
同じ内容を繰り返
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2020/03/post-92874_1.php
漢字は図像なので、視覚に訴える力がカナよりはるかに強い。だから、日本語を読むときには表音文字だけの欧米語よりずっとしっかり記憶される、と。
エージェントを通じて4分の1ほどカットしたいと申し出た。
その他、高文脈(ハイコンテクスト)文化・低文脈(ローコンテクスト)文化の観点からも、なぜ欧米言語では同じ内容の文章が何度も繰り返されるのかについて付言したいことがあるが、
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2020/10/post-94664_1.php
わたし自身、かつてヨーロッパに住んでいたとき、ドイツ語やイタリア語、さらに英語を話す場合は、それぞれちょっと違う自分になったものだ。
イタリア語を話すと声やジェスチャーが大きくなり、なぜか気持ちが弾んで、いくぶんオーバーな表現になる。
そんなイタリアが肌に合わずドイツに行ったにもかかわらず、話すのはドイツ語よりイタリア語のほうが楽しかった。母音中心のイタリア語のもつ独特のリズム感と軽やかさが、構文が長く子音の多いドイツ語にはないからだ。
ドイツ語を話すときはすこし声が低くなった。日本語のときよりも落ち着いて発言し、断言することが多くなる。この落ち着いて発言するという背景には、重要な要素が文末に来るというドイツ語文法の特徴があるような気がする(これをドイツ人の誠実さと責任感の表れだと自画自賛しているドイツ人もいた)。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2020/10/post-94664_2.php
「わたしたちは誰でも母語以外の言語でくよくよするのは得意ではありません」(228ページ)と指摘するのは、本書の著者であるドイツ人臨床心理士のクラウス・ベルンハルト。
外国語ではくよくよできない
母語とは違い、外国語は距離があるために客観的になりやすい。したがって、自分のことを「他人事」のように考える思考回路が作動するのだろう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/carrier/2020/05/post-93528.php
だが反対に、いつも良い気分でいられることを考えていれば、ポジティブな回路が太くなる。意識的にポジティブな思考回路を作り、それを強化することで、ポジティブな思考を手に入れられるということだ。
著者のカウンセリングが高い効果を出しているのも、ここに秘密がある。つらい経験を思い出すことでそれを乗り越える暴露療法など従来の手法では、むしろ新たな不安の回路を作り出すだけで逆効果であり、やればやるほど不安が強化されてしまうという。
「私、在宅勤務の才能あるかも!」「本当の恐ろしさはこれからだよ」サイコー!状態からだんだんと変化していく『在宅勤務子ちゃん』 - Togetter
⇒まだまだ、これから、は分かる。テンション上げにくくなるし、ネット越しの同僚は怖くなる。
でも、「誰でもいいから、なんか雑談したい」は起きなかった。
性格のおかげもあるし、家族のおかげでもあるんだろう。
「わたし何でも描けるので」若き美大生にインディーゲームのイラストを依頼する『3人でゲーム作ろうまんが』 - Togetter
すらっと読めて、面白かった。
別に反感はなかった。