2020/05/10-2020/05/15
(仕事してる上での)存在してることへの肯定感がほしい。在宅勤務だから欠乏感が高いのだろうか……
コミュニケーション欲求としては、短期的にはほとんど欠乏を感じないのだが。
国家元首の不逮捕特権
読書の楽しみ方で、「ガブ飲み(ばかり)ではなく、チビチビやる楽しさを見つけることだ」ということを書いた一節を昔読んだのだが(キングかなあ)、読書時間はそれで確保出来たとしても、読書体験としてはやっぱり違ってくるはずだよね。
分かるわけないことを、分かるわけない、というのは、発言する側に配慮がなかったことになるのか。
なんのかんの、「女性らしさ」とか「季節感」とか「旬(流行の))とかに強く寄せると、おしゃれな形になった、合格点超えた、うまくまとまった、という感じがしやすい。
視覚的な文脈力。
むしろ「 “自分らしさ”を貫くために、時代の変化に対応しまくってきた」っていうのが、俺のスタンスなんだよね。
自分を変えないかわりに、「自分の調理方法」を徹底的に変えてきたんです。 若いときなんかは、「俺というニンジンの、素材のうまさを理解しろ!」って思っちゃうんだよ。 「俺は畑から掘り返したまんまで十分うめえんだ!」って。
ニンジンはニンジンのままでいいの。ただ、自分を受け入れてもらえる確率を高めるための調理はしないといけない。
たとえば、小さい女の子が話しかけてきたとき、同じ目線になるようにかがむでしょ?
変化したり、何かを選んだりすると、必ず後悔がともなうんだよね。これは間違いない。
そのときに、自分やまわりの人がちょっとでも笑顔なら、その笑顔が“慰め”になる。
後悔は避けられないんだけど、笑顔が少しずつ後悔を消してくれる。
トーンポリシングだ!ってよく怒られることがあったんですが、やっぱり泣いたり怒ったり憎悪の言葉を投げつけたりする人の話に警戒する習慣はついたな。ツイッターのおかげで。警戒して距離を置くと冷笑とか言われるけど笑ってない。理屈じゃない力に引きずられるのを恐れてる。 「世間」にだけ生きていると、「社会」の人との会話が苦手で不得手になります。 相手が「社会」に属している人だと、なかなか言えなくて、ガマンにガマンを重ねて、結果、爆発して「いい加減にしろよ!」となることがあると思うのです。 もしくは、関係のない相手だから、遠慮なく怒鳴る、ということもあるかもしれません。 この時、「いきなり怒鳴らなくてもいいでょう」と叫ばれた人が言ったとして、「そんな大きな音を漏らしても平気な奴は、怒鳴らないと分からないんだ」と叫んだ人が答えたとしたら、この状態を「『社会』に対する信頼が足らない状態」だと僕は思っています。
信頼して裏切られることはあります。 でも、最初から社会に生きる相手を「受け入れてくれるはずがない。まともに言って、納得するはずがない」と決めつけて「うるさい!」と叫ぶのは「信頼がない」状態です。 で、僕達日本人は、「世間」の人相手に「腹芸」とか「根回し」とかの訓練をたくさん受けるのですが、「社会」に生きる人に対して、穏やかに「自分の要望を語る」ということに、慣れてないのです。 でね、こんなコロナの状況の中、「社会に対する信頼」が足らないまま、ネットの書き込みをしていくと何が起こるかというと、怒鳴り合いとか中傷とか罵倒とか、言い放しの状態が出現するのです。 新旧のゲームのどちらが想像力を刺激するのか、それを議論することにも意味はあろう。けれどもゲームが好きでしようがなかった少年少女もいつかは大人になり、"事情"を抱え、可処分時間を失っていく。体力や集中力にも余裕がなくなっていくだろう。そういう後退戦のなかで「昔のゲームのほうが想像力が刺激されて良かった」という思い出ができあがってしまうのは、いかにもありそうな成り行きではないだろうか。 昼も夜もゲームで上の空になったまま過ごすなんて中年社会人には不可能だ。せいぜい、プレイしている間しか想像・妄想してられない。大人は忙しい。 ゲーム機から離れている時もゲームのことばかり考え、
学校でも勉強部屋でも上の空のまま、眠りにつくまでゲームの想像や妄想に溺れていられた。そうすることによって辛い現実から距離を置けるというメリットもあった。
今の私には、そんなことは絶対に不可能だ。
仕事中にそんなことはできないし、すべきでもない。帰宅してからも、家族があり、付き合いがあり、手元にあるゲームたちは可処分時間を奪い合っている。
2020年になっても、まだ私はゲームプレイヤーとして現役のつもりでいるし、これからも新作ゲームを開拓していくだろう。けれども、新しいゲームをあれこれ遊ぼうと思えば思うほど、
自分婚とは新郎の存在は無く、自分自身へ結婚の誓いを立てるスタイルです。 ... 結婚披露宴には45人の友人を招き、ウェディングケーキも結婚指輪も用意。 そして、式の後には1人で新婚旅行にも出かけました。 その後のインタビューで「私は式を挙げられたことを誇らしく思っているわ」と、大変満足そうに語っています。 ⇒男でやりたい人はいるだろうか。
⇒ドレスの存在は大きそうに感じる。男も、おしゃれしたくない気持ちはなくないけど、着心地の悪さを押してまで着たい服なんてのがそもそもないし、
⇒いや、西洋の甲冑くらいまでいくと、ちょっと着てみたいか??
⇒女性の場合、呪いからの卒業を祝いたい気持ちはあるのかもしれない。 ⇒それならそれで、いっそ「離婚式」とかやってくれてたら、男性として生まれ生きている負い目にしっくりはまるのだが。 ⇒「一人で生きてきて、これからも一人なら、自分に対して打ち上げする意味や、他人に集まってもらって祝ってもらう意味はあるのだろうか?
⇒とは思ってしまうわな。
⇒ドレスを着てキスをしたら結婚、ではなく、戸籍がなければ結婚できないって、何? というのを最初に知ったのは子供の頃シティーハンターの漫画にて。 千葉 長く書くんだったら、アウトライナーじゃなくてエディタでもいいんじゃないですか? 瀬下 いきなりエディタに向き合うと「さあ、この真っ白な紙に、君の作家性をぶつけてごらん?」みたいなことを言われている気がしてきて、なにも書けなくなってしまうんですよね。伝わるかわからないですが、WorkFlowyのトピックくらい狭々しくて、ちょっと事務的なUIの場所のほうが安心するといいますか......。