2020/04/11-2020/04/17
家族や自分がコロナに実際にかかるまで、あるいはそれで重症化したり死んだりする、その1日前まで、(真剣でありつつも)笑顔でいるってことをやってやりたい。
運命への抵抗
絶望は受け止めつつ
読み物を作ったり、自分用TLを作ったりしていこう。
バザールの売り手は村的な消費者にも売ることはできるし、
村的な売り手から買っても、バザール的な買い手は失敗しない というメッセージが隠れている。
とはいえまあ、それは高コストなので、ある範囲に揺り戻されてくるだろうということは予言できるけど。
この記事は2015年のわけだけど、2020だったらどんな語り口になるのだろう。
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⇒返信記事いただいた。(ありがとうございます!)
もうひとつ思ったのは、「村的は効率がよい」というところだ。かつ、ムラが解体されるベクトルを社会が持つのなら、私達は
効率が悪いことを受け入れ、諦めなければならないということ。 それは、「説明能力を高める」ということだけでなく、
取引相手にオファーしたときに、相手が身辺調査や、裏取りをする時間がいるようになるし、
お互いに、初対面では本音出さないようになる
といったことも含むことになる。
聞き分けもいいほうで、親が言うとおりに「有名私立中学」から受験せずその高校へと上がり、大学も、少なくとも食うに困らないところにきっちり入って卒業しました。 政治の話は好きではありませんが、現政権に対しても、好きだとは感じませんが、「死んでしまえ!」というほど強い気持ちを抱いたことは、一度もありません。
「縫い目をかいくぐるような」生き方でした。死ぬまでにひどい目に遭わないようにして、なるべく恐ろしくない生き方で、でも速やかに死にたい、というような生き方でした。
ものを考えるときだけはラディカルな表現もとりますが、ラディカルさに根本的に欠いている、ということがいつのころからか、トコトンコンプレックスだったのです。 だから私は、PV至上主義者も、炎上至上主義者も、スピリチュアルも自己啓発もライフハッカーもブロガーも会社員も、だいたいみんな好きでした。嫌いになることができないのです。
それほどはっきりしたものを自分の中に持つことができないので、はっきりしたものを持つ人には憧れる一方、はっきりできない人には親近感がわいていたのです。 私たちの意識によって世界というものを対象的に遠隔化したいという、ある欲望とその幻滅の予感にある、この今の新しい現実なのだろう。
それはもう一面においては、彼も記しているが、専門家やメディアというものとの距離にもある。その距離の感覚もまた、いま現在、日本人をも覆っている。
軽蔑されないなどのことだけが仕事の動機づけになる
ということなのです。
ことが「仕事」だと、「しかたがない」という人の言い分が別に不思議に聞こえないから不思議ですが、
「私はとにかく相手に馬鹿にされないためだけに、高級ホテルのディナーで彼女におごるんです」
という話だったら、じつにアンハッピーな印象です。
怒りを覚えられる情報を取り込みがちになる
記録が途切れがちになる
ウイルスが畑を食い荒らしたわけでも、大量の家畜を死に追いやったわけでもありません。でもそれにもかかわらず、多くの人々がスーパーとドラッグストアに走り、マスク、トイレットペーパー、食料品が店頭から消えました。
買い占めとは、他に先駆けて必要物資を溜め込み、外部に頼らず内部だけで生活を完結させようとする行為です。各国が外部の侵入を拒否し、内部に閉じた社会を作ろうと試みたように、食料と日用品を買いに走った人も境界を閉じたのです。
注意は必要であるが、感染症はどれだけ注意をしてもなる時はなってしまう。だから身近な人が感染したとしても責任感や罪悪感を感じる必要はない。
しかし、日本の対策は甘すぎる、もっと引き締めを、という警告が至るところで発せさられる社会状況で、誰かを安心させる発言をすること自体がご法度です。
しかし、社会生活を止めないための安心材料となるメッセージは、「無症状の感染者が事態を悪化させ、増える患者が医療崩壊を引き起こすのだから、最悪の事態を想定してもっともっとリスクヘッジをするべきだ」というわかりやすく、恐怖を煽るメッセージにかき消され、人々はさらに境界を固めます。
この魔女狩りは17世紀にピークを迎え、その後徐々に収束をしてきます。魔女狩りの終焉について19世紀の歴史家は、科学が迷信に打ち勝った結果といった考察を与えたそうです。 しかし、ダグラスは、魔女狩り収束後もヨーロッパは迷信に溢れていたため、これを人類の進歩と位置付けるには無理があると喝破します。
ダグラスの結論は次のようなものです。
複数の拮抗する力が互いに互いを攻撃し合う中、相手を陥れる手段の一つとして行われていたのが魔女の告発である。結果、その拮抗が国家による法の支配に一元化されるとともに、魔女狩りは収束していった。
つまり、水平方向で拮抗し争っていた力が、国家による上から下への法の管理に一元化されることで魔女狩りは収束したというのがダグラスの見解です。