2019/11/22-2019/11/26
scrapboxとりあえず何か小さなページを今作ってみて、そこにできたリンクから過去のページを閲覧してみる。 Twitterで、似たようなツイートを書きすぎたり、さらなる刺激を欲しすぎているのに気づいたら、違う方向性で小さくアウトプットする。 Twitterのタイムラインは、自分のフォローしたものだけを時間順に見せて欲しい、リコメンドはいらない=古いタイプのネットユーザーがユーザー≒ゆっくりと衰退していくことは、諦めて受け入れよう!と、CEOが株主に言ってくれたらなあ。
ほしかったのは、価値観の承認と努力の応援
間尺に合わない
道理が合わない
引き合わない
割りに合わない
報酬とは、実際に利益があることだけではなく、予想が当たるレベルのことを含むのでは。 これを「あらゆる」と呼べるかは少し疑問が残ります。たとえば、タスク管理で扱われる「タスク」がまったくありません。さらに、中長期の目標や夢といったものも言及がありません。
もしかしたら単に言及されていないだけであって、実際はそうしたものもバリバリ書き込まれているのかもしれませんが、
さらに邪推を進めると、本の原稿などもこのノートには書いておられないでしょう。 ⇒バレットジャーナルのモジュールの発想が役に立ちそう。
演劇
恋愛は演劇
だから、かなり自立した女性でもリードしてほしいし、弱い男性がもっと弱い女性を探したりする。
時代性
英米SFは、一口にSFといっても、ちがうテイスト
中原中也:時代の前向きな嘘を嘘という
いっき日記
エグい話と
深い話
エッセイ的な本のピーク記憶として
・モテない自意識
・いじめ的な
・妄想だけで満足できたらいいのに
・正義
・読書すること、考えること、とびつかないこと、多面的に見えること、理由や構造を考えること、衝動を飼いならすこと、反応させられないこと
・あるいは、岡田的な、多少は役に立つ豆知識
猛烈に知りたいんですけど、部屋がいつもきれいな人って一日のうちのどのタイミングで掃除(片付け)してるの?一日何回?掃除にまつわる動作でいつ何をしてるのか教えてほしい。決まった時間に掃除をするの?とりあえず置きしたものを片付けるのはいつ? ⇒このツリーを読むと、
「回遊魚のよう」「手ぶらで立つな」とか、
「片付いてないと萎えるので常に動いてます。」とか「散らかってるのが生理的にダメなので」とか、
めっちゃマッチョで物量だった。
(文字起こし)
マンガはエンターテインメントの中では「高級商材」でありかつ「重いコンテンツ」と思われてしまっている
高-重:マンガ、映画、コンシューマーゲームなど
高-軽:スマホゲーム、Netflix
漫画ですら重いとは……。
現在のスマートフォンユーザーは、コンテンツを探す時間が極端に短くなっている傾向があります。
(例)TikTok
①0.1秒〜0.5秒くらいでコンテンツを切り替えて
②気に入った10秒の動画を見て
③ファンになったらフォローする
マンガは、コンテンツを楽しむまでの道のりが長いため、スマートフォンの他のコンテンツに比べて相対的に不利になっています
探す→選ぶ→買う→読む……。
ツイート下書き、というかブレスト
正論や判定に意味はない案件かもしれない、と お見受けはしました。
気を楽にするのか、「この部分はツッパレ!」と“交渉”の戦略を考えていくのか。
方針だけでいうのなら、「人工的に褒めてもらえれば、それで本当に満足?」とか「楽しくさせてほしい気持ちを思いやってほしいのはわかったけど、それと同じ大きさで、『物の状態が整った状態で引き継がれていない空間がストレスだ』という私の感性も思いやってほしい」(お互いにもはや替えの利かないパートナーになっているんだから)
という言い方はできると思います。
有能じゃない恐怖
ただ、ここからは独り言ですけど、男性にとって「雑(でいいから豪快に)」とか「乱暴(でいいから高速・効率的に)」という価値観は、驚いたことに“正義”なんです。正義というのは、無意識下に刷り込まれた「呪い」と言ってもいい。
「『良き母幻想』や『手料理は健康的信仰』を自分から取り払えないから、女はダメなんだよ」と、仮に言われたってそうそう簡単に自分の心臓の一部を切り離せないように、
そこはそう簡単には取り払えない“呪い”ではあるのです。
それで夫さんがそうなのかは断定はもちろんできないわけですけど、
少なくとも一朝一夕では無理で、十年単位で討ち死に覚悟で付き合う必要のある禊になるかもしれない。
「仮に生産性が低かったり、引き受けた任務が未達でがっかりした顔をしていたからといって、それで私があなたのことを嫌いになるとかそういうことがないのは、もういい加減私のことを信用してほしい。
だからその代わりに、求められる基準に能力の格が及ばなくて無様にしがみつく姿や、それでも自分の善良さを捨てきれずにじたばたあがく姿もちゃんと見せてくれ。それが私と一緒になったあなたの責任だよ」とか、それくらい級の覚悟というか愛が必要になってきて、
それは「夫はほめて育てる」みたいなのよりも もしかしたらはるかに労力対パフォーマンスが悪いかもしれないけど、それでもその道を進みますか? という領域になってくる可能性はあるんですよね。
「解離的な怒り」。たしかに、大声を上げて怒りを露わにした人間がその場を制するということは日常でよくあることです。またそのような人はそうした原理を経験的に学び身体化しているので同じことを人と場所を変えて繰り返す傾向があります。僕は、そうした人たちをまさに「祟り神」と呼んでますが。 まだ『1』の途中までです(だって5時間42分あるんです)。続きはまた今夜。朝は名越センセイの新刊『自分を支える心の技法』をベッドの中で読みました。解離的・無文脈的な怒りを日本人は「もてはやす」というところで「おおお」と立ち上がってしまいました。そうか、あれはゴジラなのか・・・ (承前)「この背景にはやはり、僕らが文化的に、解離的なあり方を好んできたし、許容してきたということがあるんだと思います。ある種の”トラウマ”を抱えている(ようにみえる)人が、抑圧された感情を爆発させる。そうした『解離的な怒り』を僕らの文化はもてはやしてきた部分があり、 名越康文先生の『自分を支える心の技法』(医学書院)を読了。日本文化は解離的な怒りに弱いという指摘にのけぞりました。無文脈的に怒り出すものを前にすると日本人はとりあえず「拝む」。そ、そうですよね。名越先生はこう書かれております。