2019/11/10-2019/11/19
善の外側に思考があり、その表層として言葉がある。
「あの人って、○○なんだってぇー」とか「あの人、○○したらしいよー?」という話をして、評判の悪そうな人に近付かないようにして被害を避けたり、逆に親切そうな人と仲良くなっておくことって
当たり前なんだろうか。有益なんだろうか。有効なんだろうか。人間生活として必要だったり推進されるべき行動なんだろうか。
私にとってはそんなものは、
他人への向き合い方に、欲があるのが世界としてクソ(保身を含め)
他人を品評しようとしている神経がゲス
それを先入観の混ざる情報に基づいてしているというのがクズ
という感じなのだがな。
マイナスの嘘とプラスの嘘
確かにプラスの嘘も気持ち悪いことはある。
生活には日々必要なのだが。
日常生活や仕事でのシンプルな出来事であれば、行動くんが心くんをファイト一発してくれれば、解決します。
しかし、いくら行動くんが頑張っても超えられない段差(大きな壁)が人生の中で現れます。
そんな時は、心くんが段差の上にワープして、行動くんを引っ張り上げることも必要なります。
だからこそ、まったく同じカード群を使っても、それを再編する人によって最終的なアウトプットの形は変わってきます。用いられるデータが同じでも、「切り口」が変わってくるのです。それは人が持つ直感の在り様がひとそれぞれだからです。言い換えれば、何に「親近感」を感じるのかは、その人の経験に依存するのです。
便宜上、と思われるでしょうが、ふたつの価値観を並行して意識したい。
1.自分の価値は絶対不変で変わらない。課題をうまくこなしてもそれ以上上げようがなく、失敗しても落ちることはない
2.相対的な価値は変化する。かけっこで1位になれば、2位よりは評価される。ただしこの評価は常に相対的で、分野ごとにきっちりと限定されている
これはきれい事でもなければ理想主義でもありません。むしろリアリズムだと思うのですが、どうでしょう