2019/11/20-2019/11/21
#採掘場
人間修養が好きだった
歯がみしながら現実に適応する
善の追求が好きってなんなのだろう
来世を信じてみる
若い頃→拒否感
科学との一貫性
変更
長期計画に適した自我への変化を安定させる
読書とは、旅行よりも遠くへ、旅行よりも手軽にいくとかのできる方法である。
哲学って、神が死んでいくなかで、じゃあこれからの倫理ってなんだ、というのを色々考えた経緯と一応の提案、というのが積み重なったものなのかもしれない。
⇒運命がないとしたら未来はどっちに目指せばよいかという問いも立ち上がっていたか?(善と真)
→自己規律と共同体の他者を裁く基準
そういう意味で、「すっかり神が死んだなかで生まれた私達」というのがするべき思索というのは、
読みやすくリライトしてほしいけど、結論部分はあまりいらなさそうというか、逆に「今さらそれ?」っぽく見えてしまいそう。
私にとって、「ヒトはなぜ神を信じたのか」という分析はそれに近い思索なのかも
帰依したがる自分の扱い方とか
化学の基礎
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/kagakukiso/archive/chapter024.html
質量保存の法則 +
定比例の法則 ⇒
原子説
それまでの人類は、土風水火っぽい四元素説も頭にありつつの世界観を生きていた
ゴーレムやホムンクルスを血で作る的な?
金を錬成する的な?
知識を学ぶときには、歴史的な経緯も学んだほうがいい、ということが言われがちだけど、この法則や人名や年号はさすがに不要としてあげる判断はないのか?
文書の隠ぺいや破棄とか、桜を見る会の饗応の違法性とか、小犯罪として明快なのだと国民も知りつつも変えられない、って歴史の一幕だよなぁ。
後世から見て、当時の民心はこれをどう思っていたのか、みたいなすごく日本らしい貧乏臭い一幕になる。
孤独のグルメ的な低テンションで、「あぶないあぶない、『ラッキースケベ』なんて、現実には訴訟リスクしかないですよ」身体距離の接近をかわしまくる独白が読みたい。
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https://rashita.net/blog/?p=29717
そうすると、当然のようにモレが出てくる。「それがどうした?」 この割り切りがここでは重要だ。人生はタスクを達成するために生きるにあらず。あとで不都合を被ろうが、あとで不利益がやってこようが、知ったことではない。今の自分が、たとえ杖を突きながらであっても、よろよろと前に進むことが大切なのであって、誰かとタイムを競っているわけではない。だから、細かいモレがあっても、気にしないようにする。ストレスフリーの極地、水のような心などどうでもいい。気になることがいくらあろうとも、とりあえず目の前の作業に取りかかることが不調時には肝要である。
「理想」と「現実」
でらなく
「意見」と「事実」
r-style
http://blog.livedoor.jp/musuore/archives/1076325860.html
⇒初めて話すと、そうなるんだろうなあー。