分断とローカル
from 最近のホットトピックス
分断とローカルjgs.icon
Cogentによるロシアでのサービス停止は、「splinternet」に向けた新たな一歩だ。splinternetとは、インターネットインフラの分断化のことで、世界にまたがる通信技術の有用性を弱めるとして一部のオンライン関連組織が懸念を示している。
https://japan.zdnet.com/article/35184553/
なんとなくデジタル空間と国家主権の関わりについてぼんやり考えないようにしてた
イデオロギーだったり利害のアレコレで分断されたちっちゃいネットワークがポツポツある状態になってくのかなーと
でもそもそもインターネットだとおもってたモノも別に元々単一のモノではないよな...?と
インターネット論といえば hub(?)
てわけで昔に書かかれた情報をどう発掘するか
そんな昔でもないやろとおもったけどもう2年も経っててはええ
Scrapbox も最近使いはじめたとおもってるけど古いページは2016なのでもう6年も使っている....小学校卒業しちゃう
ウェブを利用する日本人もどんどん増えていって、今では「ネットで話題になったもの」をテレビが紹介するのが当たり前になり、ウェブもどんどんマスメディア的な性質を帯びるようになっていった。これまで「世界の片隅で起こっていること」をたくさん扱ってくれていた場も、気付けば昔からあるマスメディアと似たような話題ばかり取り上げるようになって。
それ自体には善も悪もないと思う。ウェブは変化してきた、という事実があるのみだし、その変化は誰にも止められない。大事なのは自分の期待を自覚し、それに合わせて自分のスタンスを持つことだと思う。
ぼくはウェブに「マス」を求めない
ジオシティーズやってた頃ぐらいまで遡るとあんま単一のネットみたいな意識はなかったとおもう
なんかよくわからねー謎のつながりが点々とあるだけ
2chなんかも閉じたコミュニティだとおもうし、はてなとかもそうなのかな?海外のサービスだとredditもsubで閉じたコミュニティっぽい
tumblrはなんかよくわからねーグラフが濁流のように流れ込んでくるみたいな
コミュニティ感はなかった(少なくとも自分の用法では)
でもTwitterやInstagram, Facebook, TikTok(は全然知らんけど伝聞として)あたりにインターネットの感覚を歪まされた感じがする
このグローバルなアテンションエコノミーへのカウンターとして分断があるならもっとバラバラで粉々になっていい
世界のどこかの june29 さんたち、楽しそう。
>@Sinobuhle_N: Birthday Dump #June29 #A34yearOldHun ❤️❤️
>https://pbs.twimg.com/media/FW5C3nkWAAA1Wlv.jpg
>@michellevjb_: Its ma birthdayyyy #June29 ✨
>https://pbs.twimg.com/media/FWZIgPzWIAA_fo5.jpg
>@Jayneeedough: 22 trips around the sun, happy birthday to me 🎉 #june29 #cancerszn
>https://pbs.twimg.com/media/FWZPCR4XkAINnjR.jpg
/june29/2022-07-05 Tue : 世界中の june29 さん
でも完全にバラバラになっちゃって生きてたら全く接点なさそうだなみたいな人を観測することも叶わなくなるとそれはそれで寂しい感じもする
インターネットやSNS,とかく昨今は負の側面ばかりに目が行きがちだが、見ず知らずの人が救い合う可能性にもちゃんと向き合ったらいいのかもなー、なんてな。
助け合うとかでもよいけど、救い合う、ていうのが今回なんかピンときた
当時のことを思い出すと俺も生活がボロボロのネットジャンキーだったので、5年ぐらい経って当時の自分が救われた感じ
/yuta25/奇跡的とすらいうべき衝撃
本来インターネットに接続するマシンは,網または網間を繋ぐ「ノード」として機能する。 しかしノードを構築・維持するには相応のコストがかかる。 回線だって安くないし,そもそもカセットテープやフロッピー・ディスクで運用しているマイコンやパソコンなんか全くお呼びではなかった。 でも,この「参入障壁」こそが初期インターネットを守っていたのである。
> これが崩れたのが1990年代のインターネット商用化で,多くのユーザは ISP にぶら下がる「奴隷端末」になることと引き換えに「インターネットに参加する」ことなくインターネットに接続してデータや情報を得ることが可能になった。
> この状況を更に後押しするのがクラウドと SNS を含む XaaS である。 ゼロ年代以降に台頭した各種 XaaS は「独占的なマスター・ノードとそれにぶら下がる数多の奴隷端末」という構造を強化したわけだ。
> 市場原理に基づいて駆動するインターネットは「情報力」を背景とした新たな階級を生み出し「支配なき統制」とも言うべき構造を構築した。 たとえば Bitcoin/Blockchain は最初こそ脱中央集権的な通貨システムとして期待されたが,結局は新たな階級社会を駆動するシステムとなった。
> 私を含む多くのユーザはクラウドや XaaS を通じてインターネットに「参加」しているつもりかも知れないが,本当はそれをただ「使用」しているに過ぎないかも知れない。 テレビ・リモコンの4色ボタンを押すだけではテレビというシステムに参加しているとは言わない。
インターネットは買うものではなく,作るものだ
それをさらに自分が手触りとして知らんところまで遡るとまた全く違うインターネットがあったんだなと
結局のところは奴隷なので奴隷同士がつながっていたわけじゃなくてISPがつながってるだけなのかなと
「感情は個人のなかにあるのか、人と人の間にあるのか」と題された論文2では、日米における感情(emotion)の構造の違いを説明している
>
> 米国型のモデルAでは、個人が家族や友人、同僚といった他者とは独立した存在として、ひとりで感情を経験する。対して、日本型のモデルBでは、自己の境界が他者のそれとなかば融解しており、ある感情を他者とともに経験する様子が描かれている。内田らの研究結果は、厳密な科学調査から、文化の違いに応じて、幸福ばかりか負の感情でも受容形態が異なることを明らかにしている。
>
> 先の幸福感の違いと照らし合わせて考えてみれば、この図中の「感情」という要素を、「世界」と置き換えても意味が保たれるのではないかと、わたしには思える。個が他者や環境と対峙する認識論(モデルA)では、確かに個の行動によってその状態の結果が左右されると考えるだろう。しかし、他者と共同で世界と向き合うとき(モデルB)、主体は自分自身では制御できない複雑さのネットワークに置かれることになる。
他者と世界との連続性
でもネットワークってのは自分と地続きな感覚はある
ローカリズムにエンゲージすることは、ラインナップを規制することとは異なります
ローカルという概念
インターネットがグローバルなら、自分のネットワークはローカルだなあとおもったんだけど、なんかローカルっておもってたんと違った
ここでいうローカルはグローバリズムの反意語としてのローカリズムを指さない
ローカルという概念
新しい兆しはいつでも、ぶっ壊れている中から生まれる。当時、スケート・シーンはアメリカの各地に分断されていた。それをかろうじて繋ぎ合わせていたのはスケート雑誌の写真と記事。動かない写真からトリックやムーブを想像する。想像力だけがものをいった。ほどなくしてスケート・ムービーの時代がやって来る。いくつものスケート・ムービーが VHS に乗って流通を始める。正規、ブートレッグを問わず、その影響は世界に溢れ出していく。まだだれもがビデオ・デッキを持っていたわけではなかったから少年たちはスケート・ショップのテレビに何時間も何時間もくぎづけだった。
ローカルという概念
かつてブロック経済の時代があったり、鉄のカーテンで仕切られた時代もあったわけだし新しい状態になるわけでもない気もする
ウェブやインターネットでの全てのアクション、クリックする、アクセスする、削除する、何もかもが、キャッシュであろうと、手元のPCにデータをコピーするという行為で成り立っている。ブラウザで閲覧した時点でスマフォのディスクにコピーされているんだ。CDNにコピーされ、ディスクにコピーされ、メモリにコピーされ、ディスプレイのピクセルにコピーされる。
すべての行為はコピーだ
インターネットの本質がコピーなのであれば、別につながってる必要はなくて、ブートレグでもなんでもいいからつながってないネットワークの情報をコピーしさえすればいいのかもしれない
趣味的なものが分断するのは良いと思う。政治的なものが分断するのはあまり良くない。kzys.icon
趣味的なもの
みんながおニャン子クラブを見るより、みんなそれぞれ AKB48 と BTS と Elephant Gym とか、好きなものを見たほうがいい。
ここで繋がりたい! という欲求がある人もいるのかなあ。みんなでドラゴンボールの話したい、的な。
私はあまりないような気もするし、あるからブログとかインターネットに文章を書くのをしている気もする。
政治的なもの
いわゆる左右が分断するのはよくない
Elon Musk は左の人々が過激化したというけれど、まあ Elon Musk はスケールのでかいホリエモンみたいなものなので...
山形浩生が翻訳しているレッシグの本にそういう話が出ているらしい
https://cruel.hatenablog.com/entry/2020/09/27/232504
お互いに歩み寄って妥協点を探して良くしていきましょうね、ということができなくなるのは良くない。
暮らしてる中でも「歩み寄って妥協点を探しましょう」という価値観がまず共有できなくて困るみたいなことがあるんですが、なんていうかこの土台どうすりゃええねん => 教育かあ(?)という気持ちになりますjgs.icon
インターネットはどうなんだろうね
インフラストラクチャが分断されると不便
いまでも、ヤフー株式会社が EU 切ってみたり、あとアメリカからだと色々日本の動画系のサイトが見えなかったりするので、完全にグローバルに繋がっているわけではないけれど
あと中国とかロシアの人々が西側の情報にアクセスできないのも良くない、けどこれはもうそうなっていたような
GDPRの対応で骨を折り続けているのでいっそ....とおもう瞬間もあるが歯を食いしばって...jgs.icon
クッキー使いますかバナーとかは意味あるのか謎なんですが (たいてい雑に Accept している)、ユーザーからリクエストがきたら関連するデータ全部消してくださいよ (忘れられる権利) とかは正しいと思うので、真面目に実装しようという気持ちになります。法律なので気持ちかかわらずやらないといけないのだけど。kzys.icon
ローカルのほうは良くわからん kzys.icon
私は移民生活中なので、なんか出生地とかに縛られたくないなあという思いがある。
ローカリゼーションだとゲームとかサービスの現地語対応だけど、ローカリズムの方は結構根が深そうなことをはじめて知りましたjgs.icon
地産地消みたいな反グローバリゼーション、反中央集権て一見よさげにみえるけど案外容易に排外主義っぽいものと接続されちゃうんだなあ、みたいな....
ふまえて、ではローカルとは...みたいなところをまださまよっています
地元が良い人々 (東京とか、あるいは日本とか) だとローカルでやることも色々あるだろうけど、例えばロシアとか中国の人々にローカルとかいうのはどうなの、とは思いますkzys.icon
ロシア中国が辛いってのもグローバリゼーションの後の西側の価値観から世界をみているけど、でも人権ってのはグローバルなものですよ、という建前はあるわけで。
https://cruel.org/diatxt/diatxt1.html
ぼくはグローバリゼーション批判をうれしそうに口走るやつが嫌いだ。そういうグローバリゼーションが嫌いというのは、つまりぼくに向かって、おまえなんか生まれてこなきゃよかったと言っているに等しいからだ。日本のいまの繁栄は、グローバリゼーションなしにはあり得なかったんだよ。もしグローバリゼーションがなければ、うちの父は和歌山の祖父の畑でももらって、今とは比べてモノにならない貧乏生活を送っていただろう。ぼくのタイや香港の友人たちだって、グローバリゼーションなくしては会うこともなかっただろう。日本で反グローバリズムとか寝言を言っているばかな連中自身、グローバリゼーションを通じた日本の繁栄があってこそ初めてそういうきいたふうな口もきけるのだ。