2021年を探さないで
https://gyazo.com/ec8f6c9aec6934e8e1e6907238773439
はじめに
ちょっとずつ書く。
あとは、一冊ずつ本をリンクしたら完成。
ノイズのような文章、いつまでたっても始まらないディスコ・チューンのイントロのような文章、繰り返しまた練り返しそしてまた繰り返し繰り返し続けてきたことを繰り返し尽くすような文章、 "You'er Nogood" みたいな文章。
結構、決定的だったのは2020年のヤツがスカスカだったのと、改めて読み直した2018年のヤツがえらく心に響いたっていうのがあって、とにかくたくさん書きたかった。何かの役に立つとか、誰かの為になるとか、そういうのもうどうでも良くって、コピー・アンド・ペーストしてでもなんでもいいから、文字で画面を埋め尽くしたかった。結果、1万字を超えた。読めるもんなら読んでみろ、記事を台形に書くとか知ったことか、の精神。
番号を振ったのは「黒ヶ丘の上で」に影響を受けていて、「黒ヶ丘の上で」は目次が無くて章が50個ある。
https://gyazo.com/dfd24451d8d312d13cd827f0974d0ce9
実際には整数で順番に振ってたけど、このブロックをこっちのブロックに入れ替えて、とか、このブロックを二つに分けて、という作業が頻繁に起きて、プレビューとテキストエリア行ったり来たりするのに不便だったので小数点をつけたってわけ。グルーピング。格好悪い。でももう直すのが面倒。
リリースするまでに何回も何回も書いては読んで書いては読んでするので、しばらくは読みたくなかったりする。10日くらい経ったのでなんとなくまとめる気分になってきたけど、この作業をすると文章との距離感が変わって、まるでどこかよその人が書いた文章みたいな感じになる。もう、こんな文章、二度と書けない。
めずらしいことに、いっさい blockquote を使わなかったんだけど、こうして索引集をとりまとめると全部がなにかにリンクされてて、やっぱり「世界にはあらゆる方向にリンクが貼られているように見える」。それから、
大抵のものはみんな誰かのコピーだ。
最初の画像は ここから 持ってきた。いつもの裏山へのルートを逆向き(トレイルヘッド)。手前が甲府盆地、奥に富士山が見える https://gyazo.com/8c7e6467952f3350c6b4219f5f3ab236
intro
ニセコなだれ情報
https://gyazo.com/6e8c2d869dc7ca30afb50f6466659f1a
https://gyazo.com/bb99862fad2cc3cbd5b49c88faf2cb11
フォールライン(FALL LINE)とは最大傾斜線のことで、山の斜面を谷底に向かって真下に向かう線のこと、または水が流れ落ちる方向のことを指します。分かりやすくいうと、これから滑る斜面に向かってボールを転がしたときに転がっていくラインのことで、自然、重力の法則の理にかなったラインのことです。バックカントリーでパウダーを滑るときはこのフォールラインに沿って滑り降りてくることが安全面でとても大切になります。もちろん地形を見ながら臨機応変に滑る「アドリブ」も必要ですが、フォールラインに背いて斜面上部を無理に横切る(トラバースする)と、雪面に余計なプレッシャーをかけてしまい最悪雪崩を引き起こしてしまいます。
https://gyazo.com/2474c4f50e2934a554875b198626e11f
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https://gyazo.com/7873ea70ec5e9b6f5282741547916e5f
「双子の弱い視力で見渡せたのは、赤や黄色や緑色に彩られた畑が網の目のように広がる大地と、そこここに点在する真っ白な農家だけだった。彼らは、そうした農家で暮らし、死んでいったウェールズ人の父祖たちのことを考えながら、ケヴィンが言ったことを信じるのは——不可能でないにせよ——とても難しいと思った。世界はいつ何時大爆発で破滅しても不思議はないだなんて、と。」
これは、双子が飛行機に乗って、自分の住む世界を俯瞰したときのシーン
物語のクライマックス的な、
「世界はいつ何時大爆発で破滅しても不思議はない」
これは冷戦下、「核の時代」を意味している
第一次世界大戦
1914/07 ~ 1918/11
100年前のことを考えている というか、19世紀から20世紀に生きた人たちのことを考えている そのままスライドさせると、20世紀から21世紀を生きる自分たちのことになったりする
https://gyazo.com/3bddc5652a395efe5e60a3252f2438c8
新型コロナウイルスワクチン接種日記
2021/07/18 ~ 2021/07/28
2021/08/15 ~ 2021/08/25
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とにかく分厚いヤツが欲しかった
https://gyazo.com/78946ad02563b05535d3b7350e72b9e8
https://gyazo.com/b8b788c35d368dd47256e8c0372548f9
https://gyazo.com/862c68c42fd0e161a1c202be624cf86d
I suppose it is tempting, if the only tool you have is a hammer, to treat everything as if it were a nail.
あなたが持っている唯一の道具がハンマーであるならば、それが釘であるかのようにすべてを扱うことは魅力的だと思います。
一番は「インターネットとはなんなのか」から始まっている。それがいつの間にか「世界とはなんなのか」「人間とはなんなのか」という方向に進んで、気がついたらいまここにいる、みたいな感じ。
> 行間や積読のあいだにリンクが飛び交っているのが見える。もう書評や誰かのレビューから白紙の状態で受け取るような読み方は出来ない。リンクが発火してる。
2011/07
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taizooo/20200203/20200203181708.png
reblog commons
Amazon で1番最初に買った本だった
もう、なんのためにこんなことをはじめたのかよく思いだせない
今も続いているこの読書の旅はリンクを辿る旅で、その始まりはこの "CODE" の序文から始まったのだった
2017/05
https://gyazo.com/438513690cc51a3a7a1873c0d6f8b98d
2011/10
https://gyazo.com/2921f4ae1777ece8d19c5cf5a22b8df4
2020/04
なんで「新ネットワーク思考」なんて読んでいるのか? といったら、インターネットに「検温・手洗い・密閉密集密接を避ける」をあのパウロみたいに世界中に遍く行き渡らせるために決まってるじゃないですか
Amazon で2番めに買った本だった
バラバーシじゃなくってバラバシって呼んでた
3
https://gyazo.com/4257910ce93e010ff16159b9c67aa732
The Invention of Nature
The Web of Life
フンボルトの時代、博物学の時代、そのころはまだ科学や哲学や文学が分岐していなくて一つの大きな塊だった。なんと政治さえも科学と結びついていた。
それを示すために「フンボルトの冒険」の中ではフンボルトとお互いに影響し合った人たちがそれぞれに章を与えられている。
第2章 想像力と自然──ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテとフンボルト
第8章 政治と自然──トーマス・ジェファーソンとフンボルト
第12章 革命と自然──シモン・ボリバルとフンボルト
第17章 進化と自然──チャールズ・ダーウィンとフンボルト
第19章 詩、科学、自然──ヘンリー・デイヴィッド・ソローとフンボルト
第21章 人間と自然──ジョージ・パーキンス・マーシュとフンボルト
第22章 芸術、生態学、自然──エルンスト・ヘッケルとフンボルト
第23章 保存と自然──ジョン・ミューアとフンボルト
その全体、繋がり、広がりに本質がある
2015/08~2016/03
2016/04
https://gyazo.com/3441639181cdd7763c77eabe3c38e82b
https://gyazo.com/3c05a3bec3bc7fc99cb0d96e1c4a2941
https://gyazo.com/136120cc0e243e3b534237851b3938b2
2015/04
4
https://gyazo.com/6f28c12be2da4e8b7a4d40b9de0cdd52
日本語には未来形がない
葉っぱの坑夫
「アト」には「未来」、「サキ」には「過去」の意味しかなかった
清水克行
https://gyazo.com/32ef7cfc440d115e7d25c560352ba4b8
https://gyazo.com/cbb1078075942f14bacbe5839cb7acca
youkoseki サン
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第一次ブラウザ戦争
1996から2009年までの複数のブラウザーの市場占有率
最初の戦争は、Internet ExplorerかNetscape Navigatorの二択から始まった。
文化は「モダン」に対する「ポスト・モダン」として立ち上がる
つまりどうゆうことかというと、20世紀の音楽は19世紀の音楽から「脱・19世紀」するという力が働いているんだけど、実のところ19世紀の音楽も18世紀の音楽から「脱・18世紀」することによって形作られている。でそのときに脱しているのは実体としての前世紀の音楽ではなくて「今」のわたしたちが勝手に妄想している前世紀の音楽に相対するものとして「今」を構築している、ということ。 https://taizooo.tumblr.com/post/190377999030 6
ご愁傷さまです。チーン
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https://www.youtube.com/watch?v=75QFsgDMHDM
もともと、カルヴィーノは brazil サンの "This Is How I Feel About JavaScript" から 8
https://gyazo.com/f53b3c4b4946bb4b118d3413e10a47b5
20. On the Net, we are the medium. We are the ones who move messages. We do so every time we post or retweet, send a link in an email, or post it on a social network. https://cluetrain.com/newclues/ メディアとは人間の生み出したテクノロジーの別名であり人間の能力を拡張したものを指す
マクルーハンは、一見、あらゆるものをメディアに含めているかのように思えるが、マクルーハンによるメディアとは、人間の生み出した技術(テクノロジー)の別名であり、人間の所与の能力を何らかの形で外化したもの、拡張したものなのである。そして、そのメディア概念は、①純粋にコミュニケーションに用いられるメディア(例、テレビやラジオ=“電気テクノロジー”)と、②それ以外の能力拡張としての技術メディア(例、活版印刷術=“グーテンベルク・テクノロジー”)との二つに大別しうる(4)。
この結果マクルーハンは、テクノロジーとメディアの変化に対応した新たな主張を展開するようになった。すなわち、人類が、グーテンベルク銀河系が象徴する個人主義と孤立の世界から、「部族的基盤」をもった集合的アイデンティティへと移動する。この新しい社会構造を指してマクルーハンは「グローバル・ヴィレッジ」という新語を用いたのである。後年この語は普及につれて肯定的に用いられるようになったが、もともとマクルーハンはこの語を否定的なニュアンスで使っていた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/グローバル・ヴィレッジ インターネット3つの脅威
But most dangerous of all is the third horde: Us. A horde is an undifferentiated mass of people. But the glory of the Internet is that it lets us connect as diverse and distinct individuals. https://www.cluetrain.com/newclues/index.html 9
さて、叔父のアレックスは今天国にいる。彼が人類について発見した不快な点のひとつは、自分が幸せであることにまったく気づかないことだ。彼自身はというと、幸せなときにはそれに気づくことができるようにと全力を尽くしていた。夏の日、わたしたちは林檎の木の木陰でレモネードを飲んでいた。叔父のアレックスは会話を中断してこう訊いた。「これで駄目なら、どうしろって?」
「二つある」と彼は言った。「まず、宇宙全体をきちんとするなんてことはできないと認めること」
「そうして二番目は、それでもほんの小さな領域を、まさにそうあるべき状態にするということ。粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものを」
「20世紀を語る音楽」エピローグより
反復的音楽はよりしばしば、この後期資本主義消費社会において、私たちみなが繰り返し (また練り返し、そしてまた繰り返し…) 直面しなくてはならない数多くの反復的関係性を目の当たりにして、感謝と警告と防御 (あるいはただ美的なスリルさえも) を提供してきた。私たちはこの文化のなかで同じことを繰り返してきた。私たちは同じことを繰り返し尽くすことができるかもしれない
https://gyazo.com/c779f3feb6918fedfbd483e41bd7d7f0
outro
秒速7889m
宇宙速度
自分がコントロールできないことが多いときほど、自分のことを濁流を流れるカヌーだと思うようにしている。選択肢がごくわずかでも、コントロール出来ることがほとんどなくても、出来ることを出来る分だけやる。あとは神任せ。 /taizooo/2021/2 さて、自分はというと、ちょっと素行が悪くても渦を巻いて飛沫を上げているくらいの川の方が楽しいかなーとか考えています。人の目を盗んで入ってはいけない場所にもズカズカと入っていきますし、お巡りさんの目を盗んで台風のあとの濁流で泳いだり、秘密基地よろしくガラクタを寄せ集めて陣地設営したりします。お気に入りの場所は天気や地殻変動や行政や政治によって洗い流され、場合によっては二度と元のようには戻りません。あまり人でなしなことをすると社会的な制裁を受けることもあるし、場合によっては命を失います。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/09/14/175526 「願い」は「呪い」だ
祝祭は開幕した。
祝祭には呪いを掛ける役割がある。それはマジナイでもありノロイでもある。呪いは文字、言葉、音楽に乗って伝わる。取り憑く。取り憑かれる。
チャンギージーが言うように、人は死者との対話を実現した。文字、言葉、音楽を介して。自然の姿から文字を、自然が鳴らす音から言葉を、人々が振る舞う様から音楽を生み出した。印刷、録音、映像を介して、過去から未来、あらゆる人々との対話が行われるようになった。
四年に一度のワールドカップが祝祭ならば、二週間に一度やってくるホームゲームは日常だろうか。 勝っても負けても引き分けても、日は沈みまた昇り、一週間はいつもと同じ顔でやってくる。
そうしてまた朝日は昇る。話はこのバースの頭に戻る。
おわりに
索引集をご覧になればお気づきの通り、今回のこれは、2021年を中心にした、ここ何年かの読書についての話でした。yet another 読書についての記録集成 ( /taizooo/読書についての記録集成 )。 今回は、読んだ本(Web, Code, Text)が繋ぐリンクについて書いたんだけど、次がもしもあるならば、ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」に則って、まだ読んでいない本(積読山脈の本、いつか積まれることになる本、決して読むことがないであろう本、まだ書かれていない本)が繋ぐリンクについて書こうと思う(予定は未定)。
結局のところ、言いたいことはそんなに無くて、 "You'er Nogood" みたいな文章が書きたかった、というわけ。
2021/12