ノイズの中から価値が湧き出す
ノイズの中から価値が湧き出す
しょせん diff 部分は、本質的な機能とは何も関係ない、単なるフェティッシュだ。つまらない数字を適当に設定して、それに価値がありますよー、と喧伝してバカがひっかかればいい、というわけね。
その一方で、ぼくは今後、この diff に宿る価値の根拠というのがもう少しきちんとわかるようになるのではないか、という気がしなくもない。実用から離れた価値なんて、完全に水物で軽佻浮薄な流行りなのかもしれないけれど、でもそうでない部分もあるんじゃないか。なんか、人間の生物学的なあり方と無関係ではない要素が、そうした実用性と離れた価値の何らかの根拠にあるんじゃないか?
一方で、価値というのは無根拠に湧いてくるものだ、とも言える。ちょっと前にはただの雑音だったものが、ジャズやロックとして受け容れられるようになる。ノイズの中から価値が湧き出す——価値があるのだと根拠なしに言い張り、それを自分でも信じ込む能力——それが今後の人間の存在意義になるのだ、という議論も、ぼく自身がよく持ちだしていることでもある。
で、それがどうした? いやどうしたというわけでもない。なんか、どうでもいいことのような気もするし、何か重要になりそうな気もするが、よくわからない