誤った二元論
誤った二分法
二つの異なる手段があり、どちらかしか選べないとき、二元論の関係をイメージしてしまう錯誤。
例えば塩の反対は砂糖という捉え方。
煮込み料理をつくるとき、どちらかしか入れないのではなく、どちらも適量を入れるのだ。
好みによって量は変わる。塩味が強い方が好きだ、甘みが楽しみたい…など。
どちらかしか用いない煮込み料理はまずい。
ところが問題解決において、リソースがきつくなると視野狭窄になり、誤った二元論に陥ることがある。「塩辛いから、砂糖をもっと入れないと!」となってしまう。
塩⇔砂糖
文系⇔理系
感情⇔理性
感情⇔論理
本能⇔思考
自然⇔人工
男⇔女
実験はある学校の陶器を作成する授業で、生徒を「量」と「質」2つのグループに分け、一定期間つぼを作成する練習をしてもらうというもの。実験前に、「量」グループには作成したつぼの量で評価をくだし、「質」グループには作成したつぼの質で採点するということだけが伝えられました。実験の結果、「量」グループが最もクオリティーの高いつぼを作り出すことに成功。著者によれば、「量」のグループは多くのつぼを作成している間に犯したミスから学習し、いい結果を生み出せたとのこと。一方「質」グループは、完璧に作成する方法を考える事に時間を費やしましたが、実際の作品に反映させられませんでした。
結果を出すためには「質」よりも「量」をこなして学習することが重要
質より量なのか、量より質なのかは、ある時間内での試行回数と変換できる。実験期間が短いほど、前もって分からない初歩的なミスを学習しやすい「量」が優位になりやすい。しかし1年、10年続けるとどうだろう。
半日や一日くらいのワークショップなら、量を優先した方が成果はでるだろう。一週間、一ヶ月続けたらどうなるかな。マシュマロチャレンジとか。研修会社やコンサルのワークショップで素朴にやられてるんだよなー。10年したら疑似科学として再評価されるかも?
制限時間の厳しいワークショップは怪しい。成長曲線の急勾配を切り取ったケースがあるから、講師の考えを鵜呑みにせずに疑った方がいいかも。メディアの切り取りと似てる
重要なのは探索の量と結果からのフィードバック
・新たな方法を考えたほうが分かること
・すぐに思いつく手持ちの方法で、量を増やしたほうが分かること
※企業では「早すぎる最適化」が評価されやすい。早すぎる最適化は機能的固着を引き起こす
米国経済をけん引する情報産業は、過去20年間で雇用を2割近くも減らしました。労働集約型の製造業を中心に発展した20世紀の資本主義に対して、知識集約型の情報産業を中心とする21世紀の資本主義は、経済成長の原動力である中間層を育てる機能を持ちません。中間層は従来、政治的には民主主義の担い手として各国の社会を安定させる役割を果たしてきましたが、その層が没落して不満をため込めば現状否定にもつながります。
記事はよくある誤った二分法。
中間層の所得は労働集約と知識集約の関係よりも、労働置換技術と労働補完技術のほうが影響が大きい。
初期の産業革命では職人が機械に置き換わるためにラッタイドが登場する。当時は所得が大幅に減りましたが、20世紀では高度な機械を操業するために工場労働者の所得が大幅に高くなりました。機械によって人がより高度なことができるようになったので所得が大幅に伸びた。前者が労働置換で後者が労働補完。