観察と評価を区別する
観察と評価をいっしょにしてしまうと、相手は批判されたと受けとめる可能性がある
NVCの第1の構成要素は観察であり、それはあくまでも評価と「切り離す」必要がある。自分の状態を左右する、見るもの、聞くもの、触れるものを、評価をまじえることなく明確に観察する必要がある。
NVCでは、自分がどのような状態にあるかを明確に率直に人に伝えることが大切であり、観察は重要な要素だ。しかし、評価と観察をいっしょにしてしまうと、こちらが伝えたいメッセージを相手が聞き取ってくれる可能性が減ってしまう。相手はむしろ批判として受け取り、反発する可能性が高い。
言語は連続する事象を固定な離散表現にする。固定化の方向性によっては起きた事象と解離していく
1.評価を下した責任が誰にあるのかを明らかにせず決めつける
2.暗に評価する
3.他人の考えや感情、意図、願望について、こちらの推測した内容が唯一の可能性だという含みを持たせる
4.予測と確信を混同する
5.対象を明確に特定していない
6.能力を示す言葉を使い、評価していることをあからさまにしない
7.副詞と形容詞をつかい、評価されたとは知らせないように表現する
いつも、決して、一度も、必ず、といった言葉でも、次のように使えば観察をあらわす。
・ジャックが電話しているところを見ていると、いつも彼は 30 分以上話している。
・あなたから手紙をもらった覚えは一度もない。
こういう言葉を誇張として使う場合は、観察と評価が入りまじっている。
・あなたはいつも忙しい。
・彼女は必要とされているときに決してそこにいた試しがない。
このような誇張表現を使うと、相手は共感するのではなく身構える可能性が高い。 しばしば、めったに~ない、といった言葉もまた、観察と評価をいっしょにしてしまう。
事例 校長と教師の対立
教師たちとの話し合いの冒頭、わたしは彼らに質問した。「校長がしていることのどういう点が、あなたたちが必要としていることと対立しているのかを教えてください」。「校長は独善的なんですよ」。即座に答えが返ってきた。だが、わたしは彼らに観察の結果をたずねたのだ。「独善的だ」という発言からは、この教師が校長をどのように評価しているのかわかったが、校長がどんなことを「いった」り「した」りしたから「独善的だ」と解釈したのかという点は明らかになっていない。
それを指摘すると、別の教師が発言した。「彼がいいたいことはよくわかります。校長はしゃべりすぎるんですよ」。これもまた校長のふるまいをありのまま観察しているわけではなく、たくさん話すことへの評価を加えている。3番目の教師がこう言い切った。「校長は自分だけが立派なことをいえる人間なのだと考えています」。そこでわたしは、自分以外の人間の考えを推測することと、その人物のふるまいを観察することとは別であると説明した。最後に、4人目の教師が意を決したように発言した。「校長はいつも注目を浴びていないと承知しないのです」。これもまた、自分以外の人間が望んでいることを推測しているにすぎないとわたしが述べると、たまりかねたふたりの教師が声をそろえた。「あなたの質問は、答えるのが、とてつもなく難しい!」
次に、教師たちを困らせる校長の「行動」をリストアップする作業に入った。その際、リストには評価を混ぜてしまわないよう確認した。リストの内容は、たとえば職員会議で校長が自分の子ども時代と戦争体験を話し、ときには会議が予定よりも 20 分もオーバーしてしまう、といったものだった。教師たちはそのいらだちについて校長と話し合ったことがあるのだろうか。それをたずねてみた。彼らは試みたらしいが、校長のふるまいを評価するようなコメントの仕方だったようだ。具体的な行動、たとえば校長の独り語りを持ち出したことは一度もなく、全員で集まったこの機会が初めてだと彼らは認めた。
校長をまじえた話し合いの開始からまもなく、教師たちの発言の意味がわかった。何を議論していても校長は口を挟んできたのだ。「これで思い出すのは、わたしが……」と、子ども時代に体験した戦争の話を始めた。教師たちが不快感を言葉であらわすかとわたしは見守った。しかし彼らはNVCを実践する代わりに、無言の非難をつきつけたのである。やれやれとばかりに眉をあげたり、あからさまにあくびをしたり、腕時計に目を落としたり。
わたしにとってたえがたい時間だった。しまいにこう切り出した。「誰か、何かいったらどうですか」。気まずい沈黙が続いた。事前の会合で最初に発言した教師が勇気をふりしぼり、校長をまっこうから見据えて、こういった。「ひとりで話しすぎです」
まとめ
NVCの第1の構成要素は観察だが、これには評価をまじえないことが重要だ。観察と評価をいっしょにしてしまうと、相手は批判されたと受けとめ、こちらのいうことに抵抗を示す可能性が高い。NVCはプロセス的な言葉であり、ものごとを固定してしまう一般化を回避することができる。NVCは時間と状況を特定して観察を表現する。たとえば、「スミスは 20 試合に出場してゴールを一度も決めていない」と表現するが、「スミスはへぼなサッカー選手だ」という言い方はしない。
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