観察していないからだ
(ただただ真面目で、しかし才気に欠けたある女学生。どけだけ頑張ろうが作文がかけず、焦燥している様を見て)
パイドロスは怒りを隠せず、「しっかり 観察 しないからだ!」と怒鳴った。
事実はその一つ一つに無限の仮説を含んでいる。見れば見るほど、それだけいっそうよく見えてくる。彼女は実際何も観察していなかったのだ。なのになぜかそれすらも分かっていなかった。
翌週複雑な表情で授業に出て来た彼女は、モンタナ州ボーズマンの大通りに建つオペラ・ハウスの正面玄関に関する五百ワードのエッセイを提出した。「オペラ・ハウスの向かいにあるハンバーガースタンドに坐って書いたんです」と言って、彼女は言葉を継いだ。「一枚目の煉瓦から書き始めて、二枚目、三枚目と書いていったら調子に乗り始めて、もう止められなくなったんです。みんなにおかしいと思われて、からかわれたけど、やっとできたんです。自分でもよく分からないんです。
書くべきことが何ひとつ思いつかなかったのは、かつて聞いたことで繰り返すに足ることはまったくなかったからである。不思議なことかもしれないが、初めから前に聞いたことにとらわれなくても、自分で新たな視点が開けてくるということに、彼女は気づかなかったのだ。
一枚の煉瓦に焦点を絞ったことによってその壁が崩れたのは、はからずもそれによって自己本来の見方を迫られたからにほかならなかった。その後パイドロスはある試みを行なった。あるクラスの授業で、学生全員に丸々一時間を費やして自分の親指の甲について書かせた。最初はどの学生も妙な顔で見ていたが、「何も書くことがない」と文句を言う者は誰一人なく、みなそれぞれにペンを走らせた。
それは学生に自信を持たせるのにいい課題であった。というのは、学生が書いたものは、たとえそれが一見つまらないものであっても、まぎれもなく自分自身で書いたものであり、他人をまねたものではないからである。
模倣は絶対悪であって、それは真の修辞学を教える前に断ち切ってしまわなければならないという結論を下した。模倣といっても、ここで言う模倣は外部からの強制によって身についたもので、いわゆる小学校に入る前の子供にはなかったものである。おそらくその後の学校教育の結果生じたものだ。
パイドロスはそうに違いないと思った。考えれば考えるほど正しいように思えた。学校では模倣を教える。教師が望むとおりに模倣しなければ、評価は悪くなる。もちろん大学ではもっと巧みなやり方が要求される。模倣していると悟られないように模倣すること、そしてなおかつ教師の根本的指導に従い、そのうえで自分自身の道を切り開いていくことが必要なのである。そうすれば評価はAである。
出典