短期記憶
この考えは電話番号以外にも広く応用でき、ジョン・スウェラーをはじめとする研究者らは学習が行われる場所は短期記憶であることが多いと証明してきた。バレエの跳躍の型や遺伝学について学びたい場合、長期記憶にたどりつく前にまず短期記憶がその経験を処理しなければならない。
この事実を踏まえれば、なぜ学習の目標を絞り込まなければならないかがよくわかる。知識を習得するには、知識やスキルを消化できる大きさに分割し、一つひとつの習得に集中しなければならない。要するに、新しい専門知識が脳の入り口を通れるようにし、長期記憶にしっかり保存されるようにしてやる必要があるのだ。
こう考えると、例えば「ながら学習」が不可能な理由もわかる。音楽、車の運転、コンピュータプログラムはいずれも短期記憶を占拠するため、理解という頭の働きを妨げる。プレゼンの最中にちょっとした音楽が流れるだけでも内容が頭に入らなくなる。ある調査では、BGMなしでオンライン授業を受けた人は学習成果が一五〇パーセント以上も上がった。
コンテンツの見せ方でも違いが出る。短期記憶は容量が限られているため、少しずつのほうが学習しやすい。資料一ページないしパワーポイントのスライド一枚に掲載されている図は少ないほど伝わりやすい。文章は短いほど良いというのもここからわかる。言葉の数が少ないほど──内容を詰め込みすぎないほど──相手に新しい情報が入りやすくなる。
ところが、ほとんどの人は電話会社と同じことをやっている。短期記憶の容量を過大評価して、一度に多すぎる量を学習しようとするのだ。専門知識の習得に、お皿に盛りすぎた食べ放題式アプローチをとってしまう。例えば、友達と私語を交わしながらスピーチを聞いても内容はわかると考える(そんなことはできない)。大きくて複雑な概念を一回で理解しようとする(そんなことはできない)。
認知力の容量オーバーは時間が長引く場合にも起こる。長い話、長い会議、長い講義はいずれも短期記憶を損なう。長期記憶に通じる狭い通路がいっぱいになってしまうからだ。そのため、ルース・コルヴィン・クラークら専門家は成人向けの授業は九〇分間を限度にすべきと唱える。私たちにはそれ以上学習を続けるだけの知的スタミナがないのである。
さらに私たち自身の思考も認知力の容量を占有する。心配事が知識の習得の大きな障害となりうるのも、短期記憶の容量が限られているためだ。恐れていることや不安なことがあってストレスを感じていると、集中できない。情動が脳のスケッチ帳を埋め尽くしてしまう。心理学者のシアン・バイロックはこのようなストレスがごく幼い子どもにも影響を与えるのを証明した。小学一、二年生が悩みで頭がいっぱいになっていると──あまりにも負荷が重いため──認知力は大きく低下する。