学習のしかたの変化
キーワード: 学習Ⅰ, 学習Ⅱ, 学習Ⅲ
ゼロ学習:反応が一つに定まっている点にある。その特定された反応は、正しかろうが間違っていようと、動かすことのできないものである。
学習1:はじめの反応に代わる反応が所定の選択肢群の中から選びとられる変化
学習2:選択肢群そのものが修正される変化や、経験の連続体が区切られる、その区切られ方の変化
学習3:代替可能な選択肢群がなすシステムそのものの修正されるたぐいの変化。
学習4:個体発生上の変化を変化させる系統発生上の変化
ゼロ学習
入力に対して同じ出力を返す
正しくても間違っていても反応が一つに定まる
学校の計算問題や、暗記問題
学習1(学習Ⅰ)
入力に対して、とりうる選択肢群から今までとは異なる方法が選ばれるプロセス
反応が一つに定まる定まり方の変化
慣れ
試行錯誤
学習2(学習Ⅱ)
入力に対して、選択肢群そのものを変更するプロセス
学習1(反応が一つに定まる定まり方の変化)における、進行プロセスの変化。
解決方法カテゴリーそのものが修正される変化
コンテキストの区切られ方の変化
性格は、学習2の結果として習得されたパターンを記述する言葉
積極的、消極的、大胆、臆病、ユーモラス、ひょうきん、エネルギッシュ、慎重、軽率、楽天家、協調性が高い、自立心が高い
学習3(学習Ⅲ)
学習2の進行プロセス上の変化
代替え可能な選択肢群がなすシステムが修正される変化
性格の変化
単語の単純なパターンマッチ
特定の単語を特定の解法と結びつけるような勉強方法は、特定の時期の特定のテストにはちょいと役立つかもしれませんが、それでおしまいです。せっかくの若い頭が文章の読み方を学ぶ時期に、単語の単純なパターンマッチの訓練をするのはいかにももったいないことだと思います。
Lv1 結果を評価するだけ
Lv2 結果を達成するために行動を修正する シングルループ的 フィードバック回路の成立
Lv3 目的の達成ために行動を修正 ダブルループ的 デューイの信念の評価
Lv4 目的の見直し
Lv5 目的を定める性格の変化
デッサン
小学生
えんぴつのつかいかたを学ぶ。ただし小学生の鉛筆の使い方とは、ノートに書く文字の書き方でしかない。あまたにある戦の書き方の内、その一部である。数ミリから1センチの中で精密な動作ができるようになる運動技能を取得する。大きくても3cm程度の線が精密にかければいい。
手首から指先だけをつかって書く運動技能
デッサン
A3以上の大きさに書く
数ミリから1cmの線を精密に書くだけじゃ駄目
20cmといった広い範囲で線を書けるようにする必要がある
肘や肩を使って書くように学び直さなければならない
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同じコンテクストが繰り返されるという前提が必要不可欠
「学習」という言葉が、何らかの変化を指し示すことは間違いないが、それは実際どんな種類の変化なのだろう。
ただ、「変化」という大きな共通分母の上に立つことで、ひとつ演繹的にいえるのは、ニュートン以来の物理学が「変化」というものを捉えてきたヒエラルキー構造をもって、学習という変化を捉えていくことができるかもしれないということだ。すなわち学習を平板的に見ていくのではなく、それを見るわれわれの思考のなかに、異なった論理レベルの設定をはかること。物理的思考のなかでは、「物体の運動」というような、もっとも単純で日常的な変化さえ、「定位置(ゼロ運動)」「定速度」「加速度」「加速度の変化率」……というヒエラルキー構造に収められているのである。
「変化」という概念はプロセスという概念と連れ立っている。しかし、プロセス自体、変化する。加速もすれば減速もする。あるいは「違ったプロセスになった」という言い方で表されるような変化もする。
「学習」というプロセスの一番の土台となるレベルとは何だろうか。
ゼロ学習
反応が一定しているケースを考え、これを「ゼロ学習」と呼ぶことにしたい。一つの感覚的インプット項目が繰り返し与えられるとき、それに対する反応の揺れが、最小限であるようなケースである。
ゼロ学習の例
a 心理学のラボで、"学習"が完了したケース。このとき被験者である動物は、繰り返し与えられる刺激に対して、正しい反応を百パーセント近い確率で示す。
b 「慣れ」habituation*の形成。以前はそのつど反応していた刺激が、もはや動物を"刺激"しなくなり、それに対する明確な反応が見られなくなったケース。
c 反応のパターンの決定に、経験があずかる部分がゼロに等しく、ほとんどすべてが遺伝的要因によって規定されているケース
d 反応がステレオタイプなものに収まりきってしまったケース
e 単純なエレクトロニクスの回路で、回路内のインパルスの流れによって回路構造が変化しないーすなわち"刺激"と"反応"の因果的つながりが工学用語でいう「蠟接*2」の状態になっているーケース。
*, habituation 心理学で訓化、習慣化と訳される
*2, 半田で接合された状態のこと
日常の非学問的な場では、「学習」learnという語が、この「ゼロ学習」に相当するものに対して使われることが結構ある。われわれは「工場のサイレンから、いま正午だということをlearnする」。この"学習"は、外界の出来事からごく単純な情報受信以上のものではない。後の(適切な)時点で、あたたび同じ(とされる)出来事が起こったとき、同じ情報がもたらされるケースも、われわれは「学習」に数えているわけである。
*3, 学校教育での暗記
正しく動いたりすることはできても、「失敗から学ぶ」ことはできない。
限られた情報の範囲内で、正しい可能性がもっとも高い手を確率的に算出し、それを実行したあとで、新しい情報が手に入り、それによって自分の打った手が誤りだったと知るケース。しかしこの発見によって、将来のためのなにかしらの技量が身につくわけではない。
入手可能なあらゆる情報を駆使し、正しい計算の結果、確率的にもっとも正しい手を打った。この個別例においてたまたま誤っていたという発見は、したがって、後のケースにいかなる影響も及ぼしえない。完全に同じケースに遭遇した場合でも、やはり同じ計算を正しく遂行し、同じ結論に至るだけである。判断が下される際の選択肢も、正しく、以前と同じままである。
失敗(error)
これと対照的に有機体は、(決められたアルゴリズムによって動作するコンピュータ*4)プレイヤーには不可能なさまざまなしくじり方をすることができる。これら選択のエラーから、後のその有機体の技量に役立つ情報が得られる場合、それらのエラーに、われわれは「失敗」という適切な呼び名を与えるようだ。
1次学習(学習1)
ゼロ学習されたものの変化
学習Ⅰのリストに含まれるのは、要するに心理学のラボでもっとも普通に「学習」と呼び慣らされているものの数々である。
a 「慣れ」habituationの現象。ある出来事に対し、そのつど反応していたものが、明らかな反応を示さなくなる変化である。 (刺激となる出来事の間に時間的感覚が一定限度以上あいたり、他の理由で刺激として届かなくなることで起こる)慣れの消失も、同じ項にまとめられる。
b パブロフ心理学の古典的条件づけのケース。ブザーの音に対して、時刻t1にはヨダレをたらさなかった犬が、t2にはヨダレをたらす。
c 報酬、または懲罰を伴う"道具的"コンテクストで起こる学習
d 機械的反復練習。生命体の行動の一項目が別の行動項目に対する刺激となってはたらくものである。
e 一度できあがった学習が、崩壊したり消失したり抑制されたりするケース。強化の変化や欠如にともなって起こりうるケースである。
出典