作品参加
当時、作画のスタッフのなかには、メインスタッフだけでなく、スタッフ全員ができるだけ作品の内容にかかわりたい、そのためにスタッフ内から広く意見や創意を求め、くみあげる機会を作るべきだという強い欲求がありました。これを「作品参加」といいます。
大塚さんもぼくも、もちろんみんなで創意を出し合っていくことに賛成でした。提案を中心にしたおもしろいアニメーションを集団で作っていく以上、ヴァラエティの見地からいってもそれは大事で、過去の投影動画作品でも「作品参加」といわなくてもそういう集団創作的な色合いが強かったのです。
太陽の王子 ホルスの大冒険 1968/7/21公開
高畑は、分業が避けられないアニメーションの制作の現場において、作業の全体を見渡せる者と、そうでない者との序列が生まれてしまうことを問題視し、皆が平等に作品参加できるようなシステムを構築しようとした。企画、脚本、演出、キャラクターデザイン等にスタッフの意見や絵柄が反映できるような仕組みをつくりたいとするメモが残されている。作画監督を務めた大塚康生によると、「私たちスタッフにも一緒に考えてくれるような克明な人間関係の図式や創作ノートを配布して、完成度の高いドラマを目指して苦闘して」いたという。スタッフからの意見を募って議論を重ねていった過程は、宮崎駿、小田部洋一、奥山玲子、吉田茂承らのメモからも窺うことができる。
スタッフひとりひとりが抱く全体感の確保
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物語の中の人間関係を理解するために
高畑は「太陽の王子」の作品世界を構築していくために、登場人物の複雑な人間関係と心理状況を示した図を作ってスタッフと共有した。時間軸に沿って感情の起伏を資格化するテンションチャートや、ホルスとヒルダを主軸に登場人物の関係を表した図表など、いくつもの制作資料が高畑によって作られている。
ステークホルダーマップ
ユーザーの関係者マップ
火事場か臨戦態勢かという忙しさ。一年以上の長丁場。多くの仕事を外注に頼らなければならない。しかも新しい試みに挑戦しながら、できる限り高い質の、統一された作品を作ろうとすれば、強力なメインスタッフを編成して内容・表現両面の主導権を握り、直実に日々の仕事をこなしていくしか乗り切る道はありません。いちいち議論したり試行錯誤したりしている暇はない。ただ気心が知れていたり、才能があるというだけではだめで、仕事上の目指す方向性が一致していてしかもお互いの技量を信頼しあえる関係と、個々の強い責任感と忍耐力があってはじめて総合的な力が発揮されます。場面設計レイアウトや動画チェックなどの職能もこの『ハイジ』で確立しました。そしてこれらのメインスタッフは日夜働きづめに働いて、全話しっかりと一定以上の内容と質の確保に当たったのでした。小田部、宮崎の両氏、いまは亡き井岡さん、小山さんなど、みんなお互いにありがとうを言いあえる同志です。
「アルプスの少女ハイジ」メモリアルボックス 1993
「世界観」とは本来「人として世界をどう把握するか」
この後、宮崎の『千と千尋の神隠し』(2001)に関し、「奇想天外なものがリアルな心理的存在感をもって心に迫ってくること」を評価しつつも「劇場で笑う人はほとんどいませんでした」と批判し、「日本のアニメーション映画のひとつの傾向」をこう総括する。
その傾向とは、主人公の置かれた状況を客観的に示すことなく、観客を主人公についていくしかないところに追い込む傾向のことです。主人公の見る視野でしか世界を見ることができないので、主人公と同じようにドキドキしっぱなしになるけれど、その世界の仕組みがどうなっているかは知らされない。観客は判断力を封じられ、『我を忘れる』しかなく、主人公の行動を状況に照らして批判的に見たり、その行動にハラハラすることはできないのです。
まるで主人公になった気分でじかに冒険を味わったり、心をふるわせたり、主人公のひたむきで美しい心ばえの共感をはぐくんだり、提示される世界の面白さに驚嘆したりすること、それはたしかに映画鑑賞の醍醐味です。けれどもそれが、自分の感受性を対象に向かって全開した結果ではなく、巧みな作者によって仕組まれたレールの上に乗って受け身で得たものだとしたら。おそらく『我を忘れた』結果として、心の『癒し』に役立ったり『泣け』たり『勇気をもらえ』た気になったりはするものの、現実の世の中で、状況を判断しながら強く賢く生きていくうえでのイメージトレーニングにはほとんど役立たないのではないでしょうか。
金払いがよく、感受性も豊かでお行儀のいい #消費者 物語を駆動させるキャラクターの造形とその「動き」に注目が集まりがちなアニメーションにおいて、背景美術は「物語」を支える「書割」として従属的に扱われてきたきらいがある。「キャラクター」と「背景」の二項対立、あるいは前者が後者よりも中心化するヒエラルキーが、制作の段階で両者を分業するセル・アニメーションの描画工程とも連動して強固に存在していたのだ。こうした二分法を「演出」という観点から問い直し、日本の戦後のアニメーションの歴史において「風景」に自律的な役割を与え、映画の文法を根底から作り変えた革新者が高畑だったのではないかと筆者は考えている。
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今後作画に関してはクロサキ ヨシヒロ、ミヤジ アキオ、ヒライ ノブヒロ、ナガシマ ナオヒデの四人が中心になって描いていく