仮説検証
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仮説思考入門 スタートアップの仮説思考 (1)
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アンチパターン
未検証のまま終わる。推測をして満足してしまう。
検証ができたと言うことは、再現性があるということ。再現性は推測のママだったり、願望のままにしてはいけない。
怪しい仮説
「○○がなければ、△△はできない。」
では、○○さえできれば、△△できるのか?
仮説検証を強要する研究スタイルには研究生活初期の出来事からいろいろと思うところがある。これ論ベースで進む「仮説検証でなければ研究ではない」という指導はD論を進める上で大きな足枷にもなった。僕はこれを「これ論の呪い」と呼んでいる。
博士課程に進学し、分類学をテーマとして研究を進めていくと当然記載論文の類を読み散らかすことになる。そこでショックを受けたのは記載論文のどれもが仮説検証なんかしていないことである。どれも「なんかヘンなの見つけたから記載する」としかイントロに書いていないのだ。これは大きなショックだった。それまで「そんなものは研究じゃない」と言われ続けてきたものが実際に学術論文として大量に出版されているのである。
「本当にこれでいいのか?」とこれ論の呪いに囚われながら分類学の勉強を進める中で、完全に解呪できたのはあの超絶名著である『種を記載する』に出会ったときである。そこにはそんなことは一言も書いていなかった。これ論が『学術論文』としているものの中に記載論文は含まれていないのだ、ということに気付かされた瞬間、学術論文は仮説検証でなければならないという呪いが解けた。
分類学の仕事が基本的なのは、きわめて限られた情報の元、あるいはほとんど情報ゼロから開始しなければならないことからも明らかであり、その困難さは派生研究者、つまり未開に面した前線に立ったことがないエスタブリッシュメントには想像しがたいだろう。
「これ論の呪い」と解呪について
条件文推論
P→Qのような形の推論は条件文推論と呼ばれるが、人間はこの形の命題を用いた推論をいつでも論理学問題として行うわけではない。オークスフォードとチェイター( 47) は、人間は仮説検証課題として条件文推論を行うという枠組みを提案した。この考え方にしたがえば、四枚カード問題は、「表が母音ならば裏は偶数」という仮説と、「表が母音か否かは裏の数字とは無関係」という仮説を区別するための課題として捉えられ、この二つの対立する仮説を区別するためにはどのカードを裏返せばよいかと考えてカードを選択するという。たとえばこの仮説が成立している時、P(母音)を裏返してQ(偶数)が得られる確率と、仮説が成立していない時にPをめくってQが得られる確率に大きな差があるとすれば、このPのカードを裏返すことは価値がある(これを期待獲得情報量という)。 また、P→Qという命題のPやQが成立する確率は低いという稀少性の前提をおく。たとえば「花子のハンカチは赤い」という場合、Pに該当する「花子のハンカチ」、Qに該当する「赤い」の確率は低いと考えるのである。これは一般に、あるものが花子のハンカチである確率はそうでない確率よりもとても低いし、あるものの色が赤である確率は、赤以外である確率に比べてとても低いからである。
さて、このように考えてモデルを立て計算を行うと、P→Qの条件文推論においてQを選ぶことは ¬Q を選ぶことよりも期待獲得情報量が大きい、つまり、この仮説検証課題において合理的となる。また、服部( 48) は、これまでに行われてきた条件文推論課題でのP、Qの値を推定し、これに基づいてQの選択率を前述のモデルにしたがって計算すると、実測値とうまく一致することを明らかにしている。
論文
(47)
Oaksford, M., & Chater, N. (1999). A rational analysis of the selection task as optimal data selection.
(48)
Hattori, M. (2002). A quantitative model of optimal data selection in Wason's selection task.
出典
関連
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乗用車用小形ガスタービンの開発
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