ローコンテキスト
ふだんコミュニケーションを取り合う範囲が、立場を同じくする、気の合う小グループに限定されていれば、その中ではお互いに少ない言葉で通じ合うことができ、省略の多い発話でも事足りてしまう。その結果、立場やものの見方が異なる他者の視点を取る機会が乏しくなり、そうした人々とのコミュニケーションにおいては、誤解が生じやすくなる。また、そもそも他者とのコミュニケーションの機会が少なければ、コミュニケーションの十分な練習を積むことができない。自分が肝心な言葉を省略してしまっており、そのために誤解を引き起こしているということにも気づきにくい。
話し手が少々言葉を省略したとしても、聞き手は文脈情報から、その省略された部分を補うことができる。この点は、他の言語文化にも共通しているが、とりわけ日本語においては、言葉が省略されやすい。誤解の言語学的背景(2章)でも見てきたように、日常会話においては、主語や、目的語、述語などが省略されても違和感はなく、むそれどころか、むしろ省略せずにすべてをきちんと言う方が、少し不自然に感じることさえある。たとえば、「あなたは明日、ずっと家にいますか? それとも出かけますか?」という問いに対して、「私は出かけます」というよりも「出かけます」と答える方が自然ではないだろうか。「私は」という主語は、すでに文脈から明らかであるため、日本語では通常、省略する。他にも、「賛成です」「わかりません」「迷っています」など、主語の省略はごく普通であるが、時として、会話の文脈が話し手・聞き手の間で十分に共有できていない場合にも、両者はそれぞれ自分の文脈に依存してしまいがちである。
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