APIのように思考を組み立てると考えるなら、下位のレイヤーには何があるのか?
APIのように思考を組み立てると考えたときに、仮想レイヤーには何がある?
APIの下には通常、ライブラリがあり、仮想マシンがあり……と繰り返して、最後には物理的なハードウェアがある
思考にAPIの比喩を持ち込むとしたとき、ハードウェアの代わりに何を想定しているのだろうか?
自分自身の思考(脳)
世界そのもの
やはり「物理的な実態があるもの」を考えているように思われる
物理的な実態があるもので、扱いがとてもむずかしいもの
難しいものをかんたんに扱うには、レイヤーの積み上げが必要
レイヤー的に扱うこと
レイヤーごとに分離して扱うこと
レイヤーを組み合わせて表現すること
適切なAPIが設計できれば、扱いづらいものをうまくハンドルして、あたらしい世界を開ける、とAndy Matuschakは考えているのではないだろうか?
API的に思考を組み立てるとすれば、下位レイヤーにあるのは自身の脳と世界そのもの、という結論でいいか?
「自分の脳」と「世界そのもの」はどう分離されるのか?
「世界そのもの」は物理的実体だが、「世界そのもの」は「自分の脳」をフィルタしなければ理解ができない
ただし、「世界そのもの」とは、自分の脳だけじゃなくて、ほかの脳もそう思っていそうなこと(共通認識・コモンセンス)と言えるのではないか?
Andy Matuschakは世界実態にたいする認識論みたいなことを、コンピュータアーキテクチャの概念を応用して解こうとしているのか?
⇔一方で、APIのように思考を組み立てると考えるなら、上位のレイヤーには何があるのか?
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世界は「始まりのあるもの」「始まりのないものの」のふたつに分かれるのではないか?
人間がついコンピュータアーキテクチャのように世界を捉えるのはなぜなのだろうか?
#Andy_Matuschak #Evergreen_Note #UFT