清水幹太
https://scrapbox.io/files/677096ebd424323b1d19870f.png
https://scrapbox.io/files/6770a55d778ac93ce7a213ef.png
SFPCに居た頃お世話になる
入国審査で引っかかったり、JFK空港から逆方向の電車に乗った時に、泣きそうになりながら助けを求めた
あまりに広告仕事におけるコミュニケーションがつらかった時に、相談に乗ってもらってた
高木さんと仲が良い
よい
御本人へ:
エゴサでここにたどり着いたなら、これ以降を読むのは自己責任ですよ🍡
もちろん、人身攻撃はしてないし、秘密の暴露も、理由のない悪口も言っていませんが
ただ、時間を掛けてでもこの話題にはちゃんと向き合われたほうが幸せになれると思うし、作り手としてネクストレベルに行けると思います
state
例えば、ケミカル・ブラザーズの「Star Guitar」のミュージックビデオは歴史的な名作と言われていますし、歴史的な名作だと思います。ただ、単一の作品としては一つのミュージックビデオに過ぎないですし、初めて「Star Guitar」に触れた時の衝撃みたいなものは、初めて「Star Guitar」に触れた時にしか得られないわけです。映像は何度も観ることができても、その衝撃はアーカイブできません。別に初回鑑賞至上主義みたいなことを言いたいわけではなくて、「鑑賞」というものは、鑑賞者が何を感じたか、みたいなものとセットなわけで、それはどのみち完全にはアーカイブできないですよね、ということです。
もっとわかりやすく言うと、私は旅先であんまり風景写真を撮らない人間なのですが、「ここでいくら写真撮っても今感じていることはアーカイブできないだろう」というのはあります。家族と写真撮ったりはします。
で、残念ながらデジタル技術でつくられたウェブサイトや体験展示物は、再生環境の変化とともに再生不能となります。アーカイブ性が低いです。これはもうただただ残念ですが、そういうものをつくっているのだから仕方がない部分があります。どのようにそういうものをアーカイブするか、ということに取り組んでも良いのですが、いまのところそういう気分でもありません。そこに対して責任があるのではないか、と言われても、少なくとも、つくる段階では責任については考えていません。
私たちデジタル技術創作物のつくり手は、いまのところ、そういう儚さと付き合っていかなくてはならないのです。大変なんですよ。誰でもいつでも鑑賞できる作品みたいのがないから、常に、実績が風化して、何をやってきた人なのかよくわからない人として人前に出なくてはならなくなりますから。アーカイブどころか、何かやり続けて存在をドヤらないと自分の存在すら忘れられてしまいます。
それはさておき、有史以来と言うと大袈裟なのかもしれないのですが、「作品」というのは、単体ではずっと刹那的な鑑賞対象であり続けて来たように思います。
stateは、自分の中で明確に、サービスインを目標としたプロジェクトではなくて、設計段階から、使ってくださるユーザーの皆様の反応や意見を取り入れて変化していくものとしてイメージしていました。もちろん、誰も使ってくれなかったらそれまでだったんですが、幸いにも結構な数の皆様に使って頂ける感じにはなったので、随時、臨機応変に改善を続けています。改善内容の詳細は次項に譲りますが、stateを私の「作品」とするならば、運用し続けることで永遠に完成しない作品、という考え方でつくっています。
「プロジェクト」「パフォーマンス」としての作品は、それこそGordon Matta-Clarkだったりハプニング、社会彫刻があるし、Open Workって考え方もある むしろタブローのように流通性の高い「自己完結した作品」のほうがずっと特殊
吟遊詩人や音楽のような、その人の身体から発せられる揮発性の高い表現のほうが崇高とされた時代もあった
だから、美術としては相手にされてないどころか、むしろ主流な考え方だと思いますよ
James BridleやRhizomeあたりがそのへんなんか語ってそうな気がする Platform Studies絡みのネットアート作品について
イメソやPARTY時代のお仕事は、正直あまりピンとこない
伊藤直樹さんCD案件、androp関連も含め
そこにミシェル・ゴンドリー性は宿っていない
つまり、彼個人として作ったものは好きだし、可能性がある
けどまだ一歩な気がする。数日砂浜で這いつくばったところで「手を動かしている現場の人」としての矜持を語るのは早い。マッチ箱は彼自身が全部動かすべきだった。30fpsを犠牲にしたとしても。マッチ箱を手でコマ撮りするという身体性が、コードにフィードバックしていない。イデアとしての矩形をoF上で動かしてる
多分自分だったら、パタパタと転がしたり、重なり合ったり、岡崎さんみたいにマッチ棒を動かさないまでも箱が開いたり、少しだけ真俯瞰からずらしたりする
音楽も、Hiroshi Kondoさんのときと違って、「静謐で上品」感が全面に出ていて、そこに引っかかりが無い
あとは、頭下げて義実家で撮影する、とか。机の素材に文脈が無い
それがコレクションされていた場所で、それを撮るというsite-specific性
あとは、ディレクターの指示で真俯瞰プロジェクションに合わせて配置・撮影するって、「怒られないよういかに正確にやるか」に気持ちが行きがちで、oFのスケッチにはないゆらぎをインプロヴァイズする可能性を断つ だから、カンタさん自身が撮影するほうが、ただの「リアル物理レンダリング」以上の要素がそこから生まれる可能性が高かった ボイラー技士じゃなくて普通に電気工事士2種取りなよ、と、取得者として思う
100/200V ACが扱える、建物内の電気施設がどうなっているかへの解像度が上がるのは悪くない
普通にテクニカルディレクションに役立つ
ただし、あえてボイラー技士を取るという形で彼自身の生き様のクリエイティブさを最大化したいなら別だけど
Whatever社の屋上で話したことは、彼に噛みついていたというより、むしろbaku89.icon寄りの立場で面白がって聞いてくれているものだと思っていた
で、出演した normalize.fm 50回を聞いてくれた人への内容の補足として、「高松メディアアート祭」と「映し鏡」の失効したURLをXしたところ、ブロックされた
あ、傷ついていたんだ、ってびっくりした。寝耳に水
DemoDay Tokyoに出たことを後悔している
戸村さんや、クリエイティブ業界のステージ保護者と同じ場に立ちとうなかった
すごく嫌だったのは、息子さんの発言を遮って、彼に変わって彼の出自なり気持ちを喋りだしたこと
ユニットであるはずなのに、コラボレーターとして対等に観ていない
どんだけ彼が緊張して話すのに時間がかかったとしても、彼自身が言葉を紡ぐのを見守るつもりだったのに
けど、そこで打ち立てたビジョンみたいなのに少なからず共感していたし、彼も塩谷さんも旗手を振った以上、何か道筋を作ってくれるのかもしれないと思っていた
結果、彼らのプロップスを高めただけで、DemoDayという文化は根付いてないし、状況は何も変わっていない
その後彼が活路を見出したのは、テクニカルディレクターという新しい種類の実質コンサルだった
(経営者として必死にもがき続けているものの)キャリアとしては上がりを見つけた
別に彼を今も他責しようってわけじゃない どこかでDemoDay的な理想のなかで食っていにはのっぴきならなくなったのだろうし、僕と違って、食わせなくてはいけない、生活に責任を持たなくてはいけない人もずっといる。ただ、色々キャリアを経てどういうふうに「難しさ」を実感したのか、ある種の落とし前として、丁寧に綴ってみても良いんじゃないか
あとは勝手に轍を超えていくので
嬉しいねぇ & 気持ちいいねぇ
前半部はMotoiさんだ
https://scrapbox.io/files/6772104b7ebc9ecd50189991.png
これ、もっとちゃんと話し合ってほしい。お互いしょーもないし、「若い仲間」寄りの身として幻滅する
カンタさんもカンタはんで、発言それ自体ではなく、その背後の心境をうがって憐憫のポーズを見せたりするのは、その煽り要らんくない? と思う それそのものについてのアンサーが聞きたい
っていうのも日記である以上自由だと思うけど
調子の良いときほど、強気で発言できるようになる
作品や制作という後ろ盾があるので
調子が悪いし、成果をあげられてないのに他罰的になるってのがあまり良くわからない
彼との会話の中で当て擦られるものの先には常に「じゃあ具体的に今どの手法がアツいか」「何をつくっているか」があったはずで、それを「負のエネルギー」と一括りにされるのはキツい
実は「かむかも」の手法の初期は清水さんにも相談を持ちかけてた
あと、こっちからは絡んでない。僕のXを前後の文脈を踏まえずRPしてきたのはそちらでは…
けど、ちゃんと御本人の健康を損ねない限りにおいて、公共の福祉に殉じてビーフに乗るのも良いかなって思う
ぼくは正直愉しい 彼くらい(精神的に満たされてるかはは知らんが社会的、経済的な) 成功者、重鎮かつクレバーな人を相手にする緊張感、怖さ
(っていう社会的な権力勾配を無化するくらい、自分はズケズケと清水さんをイジっている気もする)
クリエイティブ・ペーソス
あと、結果的にこのやり取りにはちゃんと向き合ったほうが彼のテクニカルディレクターとしての株も上がると思う
何より、彼にとっての中年の危機を乗り越えるヒントはbaku89.iconにこそある、くらいの自負
なんで、今度トークしましょう
これ↓を見聞きしてもまだ、自分の言わんとしていることが彼にとって「不定愁訴」であり「不特定多数への露悪的発言」に映るんだとしたら、自分の文章能力について考え直す必要がある
あと、意外と音楽とかアニメーション、グラフィックデザイナーに対しては批判をほとんどしたことが無い なぜならリアルだし、好きだから 全部が全部とはいわないけど
デジデジしたり、クリエイティブな世界は有意にフェイクが多い もちろんそこに身を置いているがために解像度が高いのもあるが、え、なんでこれが良しとされてるの? こんなんでいいの?ってのがすごく多い
もう一つナイーブだなと思うのが、「話題になる」ことを要請しているところ
話題性なんていくらでも作れるでしょ 有名IPのプロジェクトに関わるとか、PRイベントに篠崎愛さんを呼ぶとか、高い応募費を払って広告賞にアプライしまくって、偶然引っかかったブロンズあたりで威勢よく1000ドルのトロフィー買ってオフィスの入口に並べるとか
今年ぼくが最高だと思ったのは、久野遥子さん『化け猫あんずちゃん』、村本咲さん『パーキングエリアの夜』、折笠良さん『Miserable Miracles』、宮本拓馬さんの仕事だけど、別に彼の周りでは「話題」になってなかった。だけどぼくは話題になろうがならなかろうが、自分にとっては最高なものは最高だと思う だから、ブロックの壁をつきぬけて云々じゃなくて、話題になっているものも埋もれているものもない混ぜに、自分から色んな作品に触れて、そのなかでどれが自分の中にぶっ刺さったか、でしかないんだと思う
けど、そこはやっぱり広告畑出身ゆえ深く内面化しちゃってる価値観なのだろうか
原野守弘さんのことをbaku89.iconは心底どうでも良いと思っている
クリエイティブについて語りたいならどうぞ、あの手の話にウンウンと頷く界隈にbaku89.iconははなから興味が無い。いい感じに仕事とお金を持ってきて、かつ成果物の内容に彼のセンスのもと口出ししない限りにおいて、良い共犯関係をいつか築けたら、くらいに思っている 広告という営為が元来キショいと思っているので (その中で例外的に意義を持つものも存在する、くらい) 、広告代理店へのルサンチマンというものがそもそもない むしろ広告というものと完全に縁を切れない自分への不甲斐なさが勝る
自分のアジは、具体的にこういうテクノロジーをこういう手法に使うと面白いんでね?っていう着想が無茶苦茶あるのに、けどそうしたものよりも「ピッチ映え」するものにリソースや才能が流れ続けていることに対する憤り
アツい: Gコード、古き良きCNN、フライス盤、Kinectのポイントクラウドやワイヤフレーム以外のビジュアライズ、PWA、Lisp、セルオートマトンいじり、関数型的APIを用いたベジェ操作 → Dec 9, 2024: Pave.js 生成AI / LLM大喜利なんかどうでも良いでしょ、マジ退屈
プランナー的な人たちの「アイディア」や「言語」が中心にある感じ。合意形成のための足場としてのコンセプトやコピーを、作品それ自体を支える大黒柱だと勘違いしてしまうことによる、手法と質感のちぐはぐさ
Director's Labelや、WebDesigning全盛期のような、ちゃんと作品そのものにブチ上がったり、日々嫉妬に狂ったりする世界を維持するには、どういう力学が作用してほしいかという話につきる
たかだか15年しか手を動かさず、30代なかばで「なんでんかんでん化」することが経済的に善手とされる世界が、ジャズのような文化的深みに到達するのかどうか 彼との雑談の中で生まれた概念
ミシェル・ゴンドリー(動詞)
スリザリン
「作品よりも生き様がクリエイティブな文才の人」