なんでんかんでん化
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案の定読んで致命傷をくらった。作れる人だけで作る理想郷に僕の居場所はないだろう。ある程度の紆余曲折あるキャリアを経て結局「そっち側」に行けなかった。いつのまにか僕も「なんでんかんでん化」してしまったんだなという絶望的な気分になった。
清水 それからというもの、私は気がつくとマーケティングの話をする人になってしまったんです。 ... 勇吾さんはそういう経験はないですか。(…)
中村 その話をするなら、またラーメンの話をしなきゃいけなくなるんだけどいい?(…)さっき話したラーメンブームの当時、「なんでんかんでん」の社長さん(…)って、時の人みたいになっていたから、よくテレビに出ていたの。で、ラーメンの話をするのかと思いきや、経営について話したりしていて。おいおい、と。(…)なんか、つくり手として成功を収めていくにしたがって、つくることからどんどん離れていっている感じがして。社長、本当はラーメンの話がしたいんじゃないの?って。
清水 えーと、この話の流れからするとつまり、中村勇吾が「なんでんかんでん化」しかけていたってことですか!
中村 そうそう。ちょっとばかりインターネットなデザイナーが、それこそ日本を代表するような企業家に対して、これからの経営のデジタル化戦略について語る、みたいなことになりかけていたの。特に「デザイン経営」のようなワードがはやった頃は、そんな話ばかり求めあられるようになって、本当にヤバかった。ヤバかったといえば、求められる仕事が一気に上流に移っていった時期もあって、気がついたら、仕事の半分が「指示」と「割り振り」になってしまっていたこと、
清水 私の場合、「こんなにつくる時間がなくなるんだったらこの仕事やめようかな」なんて思ったこともあったんですが、勇吾さんはそういう事態にどう対処したんですか?
中村 それはもう明確に、ある時期を境にそういう仕事は全部やめました。経営のレイヤーでコンサルティングするとか、前工程をさばくとか。
清水 (…)私は自分がそういう人間だからというのがあるから、「前工程でうまく立ち回れない人」に心が向くというか、「ひたすらにつくることが好きな人」を肯定してあげたい気持ちがあるんですが、勇吾さんは、つくることと関係ないことから距離を置いて、幸せになったみたいな感覚がありますか?
中村 もちろん。ただ、誤解のないように言っておくと、「自分にとって本物にはなり得ないこと」から距離を置いて、自分が最も力を発揮できる本筋を見極めてそれに打ち込めばいいということであって、デザインと経営とを結び付ける才能がある人はそこに向かって突き進めばいいし、制作の前工程に面白さを感じている人はそこを磨いていけばいいんだと思います。
Web Designing 2024年6月号 中村勇吾 × 清水幹太
アリストテレス: 「techne」と「episteme」の区別
フーコー
古代ギリシャもローマも、技術と知識に明確に序列を設けていた。free citizenにwage labourerや職人は含まれない。劣位に置かれていた
Aristotle expounded the view that the sons of ‘free’ citizens should refrain from taking too great a part in useful activities which could drag them down to the level of the banausos because craftwork impeded the state of mind and common sense that free citizens required in order to exercise and apply virtue.
現代においては、基礎研究の上に(useful activitiesとしての)応用工学が来る感じがするよね
「稼げる大学」
「エンジニアリング」は元々大学で教える科目として蔑まれていた
Caltech, MIT? だかがその流れを変えた? だっけ
その序列は現代においても生きているのではないか
金融資本主義における自由市民は資本家、経営者、エグゼクティブ? そこにはやはり賃労働者、無産階級としての「職人」は含まれない
Think & Craftというネーミング
ThinkとCraftとを架橋しようとしているのか、Thinkに付加価値をもたせんとする為に、Craft性を盗用しているのか
どのみち、まだまだクラフトクラフト出来ると思う。まだややシンクシンクしてる
Flashシーンから「前工程」のど真ん中に行ったかの方々が「THE GUILD」を名乗っているのは皮肉が効いている
なんでんかんでん化する必要があったのは、ラーメンやFlashのような具体的な事物にまつわる技術(practical skill)を、知識(cognition, knowledge)に変換する必要があったから
そこにはある種ののっぴきならなさがある
従業員も居て、都心にオフィスを構えて、子供三人もいる、とか
藤幡正樹もrm * .txt してしまった時代のテキスト(ひゅうらら)のような、テクネに根ざした経験知を語る人から、知識の人、言語的な知の人に変わってしまった気がする 伊藤ガビンさん「チンコが歩く方向ですかね 細野さんの音楽で」 在野の思想家としての藤幡正樹だけではなく、レイトレーシング、メタボールアルゴリズムと格闘していた一プログラマー、アーティストとしての藤幡正樹の話も同じくらい皆聞きたいんじゃないか CCBTでは
僕はそう
片塰満則さんの語りは経験的な知をビンビンに感じた、たのしかった
「レイトレーシング、メタボールアルゴリズムと格闘していた一プログラマー」は、藤幡正樹ではなくて太田昌孝だと思う。東京芸術大学にいたのだから「在野の思想家」という表現は不適切ではないか。 ぐぅの音も出ない
コンピューター・アート、テクノロジー・アート (的なものも含む) を掘る時、結果的にアーティストとして(少なくとも僕のような制作者にとって)名前が残った方と、その実現を可能にした技術者や研究者の方とをしっかり峻別しなくちゃならんですね
これ、実装された方をリサーチしたい、ガビンさんが話していらっしゃった気が
けど確かにBlinnは知ってらしたけど、PhongやLambertの話を振った時、あまりピンと来てなかったなぁ。シェーディングを自分で実装してたら確実に通るはずなのに
Masaki「20世紀は言語的な知の時代。21世紀はイメージ、経験的な知の時代」
テクネとエピステーメの統合
シリアルな言語を経ずに、イメージで考えるためのテクノロジーの登場
マルチメディア(死語)
「その場で写真を撮って、画面を指さして『これ』って言える。イメージを言語に埋め込めるようになったってことだよね」
「チャリの乗り方はマニュアル化出来ない」
小脳と大脳の話ってホントかいな