知恵
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知恵というのは、情報ではない。身体だ。知恵者というのは、情報処理力の高い者のことではなく、その身体にいつもドープなビートを響かせている者のことだ。彼や彼女の傍に寄るだけで、自分のなかのリズムが同期し始める。悩んでいたことが、その共振するグルーヴへと自ずと解けていく。 上妻世海.icon 他者と交感する技術、僕はそれを知恵と呼びたい。(p131) 実践がコスモロジーにまで高まる、逆に言えば、コスモロジーが実践に落とし込まれる、つねにその地点に向かおうとする知性の働きを「知恵」というのではないか。知恵者は、ヴィジョンを観つつ、他者と柔軟に交わる。知恵において、そのヴィジョンの確かさは、交わりの柔軟さに比例する。 実践→コスモロジー/コスモロジー→実践、ヴィジョンの直観→他者とのコミュニケーション/他者とのコミュニケーション→ヴィジョンの直観、このすべての循環的なプロセスにおいて、「知識」はある種の潤滑油として働く。逆に言えば、知恵者とは知識を潤滑油として用いることができる者のことだ。