交感
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辻村伸雄.icon 話すということが耳で感じとれるようにするってことなら、石だって話すことがあるじゃないか、と。これが〈交感〉です。交わるからこそ観得できる世界の姿、実相がある。僕の言葉で言えば、それは詩的感性がとらえた世界の姿です。世界を感じとる方法は科学だけではないということです。(p319) 辻村伸雄.icon 石倉さんの言う多元的世界へ開かれていく、あるいは多元的世界へ参入していくには、まず言葉によらない交感が必要で、べレンズの話も、石とべレンズとの言葉によらない交感――僕の言い方では、詩的感性による交感――がまず先にあって、そこが肝なのですが、言葉というところに話を寄せてしまったがために言葉の話にしか聞こえなかったかもしれません。(…)つまり、〈言葉への真摯さ〉の前に〈経験への真摯さ〉が要るんです。真摯な言葉というものは、自分の経験に真摯に向き合い、それにぴったりくる言葉を探る中で初めて会得されるものだと思います。そうした真摯な経験に裏打ちされた言葉は、未だ宣伝文句化されていない、手垢にまみれていない生の現実を露出させる。それは、実はやろうと思えば色々な人ができることじゃないでしょうか。これは東千茅さんや坂口恭平さんを見ていても感じることです。世界観を転覆させるような巨大な揺らぎは、小さな個人が自らの生の手触り、触感を精細に感じとり、言葉にするところから始まるのではないでしょうか。