文脈を作り、その先頭に自らを位置させる
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思想と歴史を学んで,自分らしい文脈を構築し,その文脈の先端である現代に置ける自分の役割を位置付ける 影響の受けたものを自分なりに解釈して,違ったルールにのっけるのがオリジナリティ 世界で唯一の自分を発見し,その核心を歴史と相対化させつつ,発表化すること 村上隆.iconのいうその手順
発掘されていない宝を手に入れるため、ぼくは次のような五段階の方針をとりました。
1. 自分の興味のある表現分野を探し、その分野の歴史を徹底的に学ぶ
2. その分野に興味を持ちはじめた理由を探す。興味の源泉は肯定的なものだけではないから理由を探すとかならず行き止まりになるが、それでも原因を究明する。
3. 究明し終わるとそれが本当に自分の興味のある分野かどうかあやうくなっているので、自分の興味のある表現分野がどこにあるのかを何度も検証し直す。
4. 興味の検証を終えて歴史を徹底的に学ぶと、宝島に行くための地図が見えてくる。
5. 地図を解析する勉強に励み、資金を整えて、いざ宝島に出かける航海をはじめる。
学識と学知のこと。あるていど学びを続ければ、いやでも学識は備わってくる。例えば、ある言説にふれれば、類同する先人の言説が浮かぶし、ある作品を視れば、類似する過去作品に思いあたる。しかし、ここがポイントなのだが、その類同・類似をもって、その既視感に滞留するなら学識どまりなのである。
学識とは、既存の知識や経験のストックで索引的思考 retrieval machine していく作用である。それは眼前の言説や作品を「それは既に表現されたこと」と既視化させる。だがそこに滞留すべきではない。学知では、検索された類同・類似を〈参照項〉にして、眼前の作品が「いかに人類初であるか」を観る。 要するに、学識レベルに留まると、世界は既視感につつまれ、「既に表現されたこと」になる。そこでは「新しいこと」とは、たんにストックデータにないだけのこと、知識が疎いことにすぎない。眼前にある「新しさ」を観れないと、その索引的思考を原理化して「類同・類似表現は、不勉強の証し」と宣う。
Scrapboxによって、学識レベルで、索引的思考で、終わってしまってはいけない。