役に立つ
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現在その人が念頭に置いている目的に照らして、それが有効かどうか 「役に立たない」「意味がない」と言われたときに、どのような立場があるか
①役に立たないが、「価値はある」
②実際は(長期的には)「役に立つ」よ
③そもそも役に立つかどうかとか考えないでよ
(④???意味のあるものを作ろうとしても,手段が目的化しがち) まだMECEじゃない気がするggkkiwat.icon*2
①役に立たないが、「価値はある」
役に立つかどうかは、価値の中の一つの基準でしかないから
②実際は(長期的には)「役に立つ」よ
科学体系の場合、すべての現象は、共通の自然法則の下にある
そのため1つの現象に対する新しい理解は、同じ分野の他の研究すべてに影響を及ぼす
またまったく異なる分野の研究に、革命的な進展を促したりすることもよくある(らしい)
「数・多様性・コミュニケーションを担保する」から
ネットワーク内の流通の担保も重要だね
他のホミニドとホモ・サピエンスを分けたのは、異なる領域のアイディアや知識を組み合わせる認知的流動性だった。ユーラシアの文明と他の大陸の文明を分けたのは異なる文明の間のアイディアや産品の流通だった。このことを考えると、新しい価値のあるアイディアの創出(イノベーション)のためには数と多様性とコミュニケーションが鍵であるように思われる。様々な環境で探求を行う人が大勢いて、それぞれが自由に探究活動を行い、価値のある発見やアイディアが摩擦なく人々のネットワークの中を流通すること、これがイノベーションを促進する。
反対語は「何かに役に立つとは、今は言えない」であるべき
『役に立つ』は、短期的な利益になりがち
なぜなら私たちには十分な「審美眼」がないので
=すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる
即効性と実用性
③そもそも役に立つかどうかとか考えないでよ
数学は役に立つかどうかとは関係なく「数とは何かを学ぶ」もので、文学もまた「文とは何か」を学ぶ物なのだとすると、生物学もまた「生物とは何か」考える学問なのだろう。正しかろうがなんだろうが「こうあるべき」とは無縁の世界。
アリストテレス「何ごとにも役に立つかどうかを求めるのは自由人には最もふさわしからぬことである。」 効率化の行きつく先は収斂で、最終的にはつまらなさに帰結
自分の文化観なんだけど、その尺度おける弱者を手厳しく淘汰するほど、個々のつぶつぶは少しでも適応度を下げまいと近視眼的に高い方へと山登りし始めるので、(「よさ」の分布が単峰性でない限り)「自然選択に任せる」は最適化機構として上手く働かなくなるんでなんかの拍子に全滅する(図1)。だから、既知の山のてっぺん付近にいる奴らにとって一見不合理なムーブをするつぶつぶをいかに泳がせておくかが、非効率に思えても「種の保存」(全滅する確度を下げ、より高い局所解への糸口になる)に繋がるというのを、最悪心で共感しなくても良いので数理的に理解していて欲しいという気持ち(図2)。自分の心情としては「泳がせておく」という感覚すら烏滸がましいし、理屈以前に感情面でそうしない手はあり得ないと強く思っているのだけど 一方で、その「確信度」は向こうも同じ、というかその価値観のもと上手く生きてこれた年数も相まってより強いものなんだろうな という想像も働いてしまう
https://gyazo.com/bea3ed43a56de4b3eb2f9c392d7d6e93https://gyazo.com/13c21a58c379a8370c462750ea31115f
④?意味のあるものを作ろうとしても,手段が目的化しがち 意識的に「歯止め」をつくる
「道」には厳しいお作法や制限、制約が多く存在し、礼節を重んじる文化がある そしてそれは師匠から弟子に受け継がれる贈与という形で伝えられてきた 「○○の役に立つ」という社会的承認は「○○のための手段」という代替可能性として消費される
合理的に生きるってことは世の中のシステムに組み込まれてその環境の一部になるってことに近い。代替可能で予定調和的。非合理な選択をする人が面白いのはまだ環境の一部にならずに個としての意思を残してるように見えるからか。 これも近い考えかも
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https://gyazo.com/6b1208babc7741cacf2b260093f3d25d
学問によって判断される基準が違う