市民への教育の水準
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「民主主義」を前提とした社会の場合、二つの方向がある。 ”ある程度の水準の教育”をおろそかにするが、「ポピュリズム的な民主主義」 ”ある程度の水準の教育”を行うが、
”ある程度の水準の教育”とは何を指すか
── 市民は、事実に基づく知識と論理だけでは彼らを取り巻く複雑な世界とうまく関わることはできません。これら二つの市民の能力と密接に関連している第三の能力は、物語的想像力とでも呼ぶべきものです。これは、異なる人の立場に自分が置かれたらどうなるだろうかと考え、その人の物語の知的な読者となり、そのような状況に置かれた人の心情や願望や欲求を理解できる能力のことです。思いやりの滋養は、西洋諸国であれ非西洋諸国であれ、民主教育についてのもっとも優れた考え方の根幹をなしています。こうした滋養の多くは家族においてなされる必要がありますが、学校および大学も重要な役割を果たしています。この役割をしっかり果たしたいのであれば、学校は人文学や芸術をカリキュラムの中心に据え、他人の眼から世界を見る能力を活発化し洗練するような、参加型の教育を築いていく必要があります。(経済成長がすべてか? マーサ・ヌスバウム、p.125)。(p57)